第七章 忌み子
伏兵の放つ矢が風を切る音に、鵺がいち早く気づいた。
草之助に届く直前に身を挺してそれを庇ったのだが、いつまでも衝撃がないことを訝しんで顔を上げる。そこには、鵺を背に庇うようにして立つ、岩のような大男の姿があった。
「……島村様っ」
鵺が叫ぶ。その声に、草之助は上に覆い被さったままの鵺を払い除けた。島村の肩に矢が突き刺さっているのが見える。
唖然とする二人の耳に、再び風を切る音が聞こえた。鈍い音を上げながらさらに二本の矢が、島村の胴を貫いていく。
「あっ」
「島村様っ」
島村は、耐えかねてその場に片膝を着いた。また、きりりという、弦を張る音がする。
「鵺、島村様を隠せっ」
草之助に従い、鵺は島村を引き摺るようにして木陰へと連れて行った。草之助は、矢の飛んできた方角を見据え、右腕をまっすぐに伸ばす。その直後、短い悲鳴とともに木の葉を散らしながら落下した者があった。おそらくは木の下で絶命していることだろう。
草之助が使ったのは、袖箭という暗器(隠し武器)である。矢を仕込んだ竹筒を腕に縛り、敵に向けて腕を伸ばし矢を飛ばすというものだ。草之助はこれに毒を仕込んでいた。掠っただけでも致命傷だろう。
放たれた矢の数からして、まだ敵は潜んでいるはずだ。しかし、こちらの飛び道具は袖箭のみである。一人を屠ったことでわずかに攻撃の手が止んだ隙に、草之助も鵺と島村のいる木陰に身を寄せる。
「鵺、島村様はっ?」
鵺は、深手を負った島村の処置に追われていた。
「……駄目だ、血が止まらないっ」
鮮血に塗れながら、鵺は必死に島村の傷口を押さえている。見れば、刺さった内の一本が心の臓付近を貫いていた。
――当たり所が悪い。これでは、もう助からないかもしれない……。
ふと沸いて出た考えを打ち払うかのように、鵺はぶんぶんと首を振る。その時、がっしりとした手が、血に塗れた鵺の手をつかんだ。
「……鵺」
「島村様、話してはなりませんっ」
だが、島村は構わずに口を開く。
「なりません、傷口が開いてしまう」
「鵺、待て。島村様の言葉を聞くんだ」
草之助が言う。そこで、はたと鵺は押し黙った。
「鵺、お前に話さねばならないことがある」
島村の言葉は、とても瀕死にあるとは思えない、しっかりとした重みのある口調だった。
「お前が、なぜ里の者に避けられているのか、その理由をな」
「俺が避けられる、理由……?」
島村は、ひとつ息を吐くと話し出した。
「お前が拾われた日は、雨も降らないのに雷が轟いていてな。乾いた風も吹き荒れていた。里の近くに落雷があり、こんな日では山火事が起きかねないと、頭領が二人の供を連れて様子を見に行ったのだ。しかし、里に戻ってきた時には供は一人になっており、代わりに頭領はお前を抱えていた」
「……どういうことです」
「供の内の一人は、落雷に遭って死んだのだ。その日、雷は二度落ちた。二度とも、お前の捨て置かれていた付近にな」
「……」
「最初に落雷のあった場所を探しているところ、お前を見つけた。供の一人が駆け寄り、泣いている赤子を抱えようとしたその刹那、再び落雷があったのだ。二人とも死んだかと思われた。だが、死んだのは供の者だけだった。お前は無傷だった。二度も落雷に遭いながら、無傷でそこにいたのだ」
「……」
「頭領は仰せになった。この子は、天に生かされた子だと。そして、天が遣わされた子だと言い、ご自身の子として育てることをご決意されたのだ。だが、身内を失った里人にとっては、お前が災厄を運んできたように見えたことだろう」
そこで、島村は目を閉じ、深く息を吐く。
「島村様……っ」
鵺は止血の手を休めてはいない。だが、傷口からは、いまだにどくどくと血が溢れ出していた。
「それだけではなかったのだ」
島村は目を開くと、苦しそうな息を吐きつつ続ける。
「お前がきてから間もなく、里に疫病が流行った。すぐに終息はしたが、九人が死んだ。儂の妻もその中にいた。その時、妻は身籠っていてな。腹の中の子ともども死んでしもうた」
唇を噛み、俯く鵺を見た草之助が少しばかり声を荒げた。
「まさか、それらがすべて鵺のせいだとでも言うのですか」
「よせ、草之助」
島村の傷を案じた鵺が制する。島村は、ふうと深い息を吐いた。
「ああ、そうだ。鵺のせいであるはずがない。赤子だった鵺が、一体どんな術を使って里に災厄を撒き散らせたというのか。ただ、不幸が重なってしまっただけに過ぎない。儂もどうかしていたのだ。あんなことを口にするなど……」
「……」
「すまなかった」
「島村様、何のことです」
「鵺、なぜお前は、頭領の屋敷を出たのだ」
島村は鵺の質問には答えずに尋ねる。
「それは……亀之助様がお産まれになったからです」
「そうではあるまい」
島村は、どこか確信めいた口振りだ。
「忌み子」
その言葉に、傷口を押さえる鵺の手がびくりと震えた。
「聞いていたのだろう」
「……まさか、あれは島村様が……?」
「真に、儂はどうかしていたのだ。まだ、十四の子に、儂は……」
「……」
「儂のせいで、長い間お前を苦しめてしまった」
「……島村様のせいではありません」
「いや、儂のせいなのだ」
島村は、どこにこれだけの力が残っていたのだろうと思えるほど、己の胸に当てがったままの鵺の手を力強く握った。
「お前が拾われた日、儂も頭領の供をしていたのだ。そして、落雷によって、儂は無二の友を亡くした」
「……」
「初めにそれを言ったのは儂なのだ。拾われた子は里に災厄をもたらす、忌み子だと……」
「……」
「鵺……すまなかったな」
そう言った途端、島村は激しく吐血した。
「……島村様っ」
今も、胸からは血が流れ続けている。最早、鵺にできることなどないに等しい。それでも、傷口を押さえることをやめなかった。
宙を彷徨っていた虚ろな眼が、今にも泣き出しそうな表情の鵺を捉える。
「お前は、忌み子などではない。お前がきてから、それまで一向に兆しのなかった頭領と奥方に、お子が二人もできた。嫡男も、お産まれに……」
またも、血を吐き出した。
「もう……もう、話さないで……」
「鵺、儂は……」
「もう、よいのです。もう充分にわかりましたから……」
「すまなかった」
「島村様……っ」
「鵺……生きよ、鵺……」
あれほど強かった島村の力が、途端にすべて抜け落ちたように感じた。
「島村様……?」
呼びかけるが返事はない。目はうっすらと開いている。しかし、まるで生気が感じられなかった。
「島村様……」
島村の目を覗き込んだ鵺は、息を呑む。
島村陣内は、鵺の手を握り締めたまま、既にこと切れていたのだった。
「鵺っ」
どれほどそうしていたのだろうか。島村の体からはいまだに血が流れ続けているので、それほど時は経っていないと思う。
「伏兵がこちらを狙っている。正確な数はわからないが、おそらくは向こうも少数だ」
「……」
「鵺……?」
島村を見据えたまま動かない鵺を不審に思った草之助が、伏兵を警戒しながらも軽く鵺を揺さぶった。
「おいっ」
今度は乱暴に揺すられ、鵺ははたと我に返る。
「しっかりしろ、鵺っ」
顔を上げると、いつになく厳しい形相でこちらを見据えている草之助の目とかち合った。
「お前、死ぬつもりか」
「なに……」
「生きることを諦めるのか」
鵺の脳裏に、かつての草之助の言葉が蘇る。
――生きることを迷うな……。
戦が始まる前に、草之助は鵺にそう言ったのだ。
「ここは戦場で、敵はまだ近くにいる。この状況で気を抜くなど、死ぬ気でないならなんなのだ」
「……」
「お前が死にたいなら勝手に死んでくれても構わない。だが、島村様の思いはどうなるのだろうな」
「島村様の……」
「考えろ、鵺。島村様は、一体何のために死んだんだっ」
島村陣内は、草之助を庇った鵺を庇い、その身に矢を受けたのだ。
――ああ……そうだな。
鵺は、島村の手の下から己の手を引き抜いた。島村の大きな手が力なく地に落ちる。
「……草之助、飛び道具はあるか」
「この距離で使える物はないな」
「そうか。俺も手裏剣ぐらいしかない」
「この距離では、届かんだろうな」
二人が思案を巡らせていると、がさりという音を立てながら伏兵が木から落ちる音が聞こえた。落ちた伏兵の数は二人だ。二人とも、まったく動く気配がない。
呆気に取られていると、足音が聞こえてきた。それは、悠然とこちらに向かってきている。
「お前は、弥助か……?」
だいぶ近づいてから、草之助が口を開いた。一月半振りに見る弥助の姿がそこにはあった。
弥助の手には、編み笠と短弓とが握られている。箙は見当たらないが、おそらくは笠の裏に矢を仕込んでいるのだろう。
「あれは、お前がやったのか?」
草之助の問いかけに、
「ああ」
とだけ答える。
鵺も草之助も、弥助には聞きたいことがあった。
追い忍を任されてから、一度も里に戻ることなく今までどうしていたのか。小次郎は見つかったのか、と。
だが、そのどれも聞くことはできなかった。
二人に近寄ってきた弥助の目線が、冷たくなりつつある島村陣内に向けられていたからだ。
「弥助……」
いたたまれなくなって草之助が口を開く。
「すまない……」
それを追うように鵺も言葉を紡いだ。
「何を謝る」
そう言った弥助は、普段と何ら変わらなかった。あまりにも落ち着き払った様子に、弥助にはもともと何の感情もないのではないかとさえ思えてくる。
「ここは戦場だ。命を落とすこともあるだろう」
「だが、島村様は、俺の盾となって……」
最後の言葉は、声になることなく鵺の中に呑み込まれた。しかし、弥助にはそれで充分に伝わったらしい。
「そうか。父は、お前の盾となって死んだか」
「……」
「それならば、よかった」
鵺が、俯いていた顔を上げた。
「鵺、お前が気に病むことはない。これは、父が望んだことだ」
「島村様が……?」
「長い間、後悔していたからな。かつて、お前に酷いことを言ったと。ことあるごとに、よく話しておられた。そのお前を庇うために死んだなら、きっと本望だったのではないか」
「そんな、本望などと……」
「見よ。随分と安らかな死に顔ではないか」
ふっと弥助が笑う。口角をわずかに上げてはいるものの、その目元は悲し気に歪んでいた。
――俺は、愚かだな……。
弥助に感情がないと思ったことを恥じた。弥助の母は既に流行り病で亡くなっている。その上、父までこうして失って、何も感じていないはずなどなかったのだ。
だが、弥助が感情を見せたのは一瞬のことだ。次の瞬間には普段通りに戻っていた。
「鵺、草之助。お前たちは里へと戻れ」
弥助が言う。
「俺は頭領に伝えねばならないことがある。その際に、お前たちのことも伝えておく」
「なぜ、俺たちが里に……?」
「俺の代わりに伝令を果たして欲しい。戦は現時点で伊賀が優勢。もうじき終息へと向かうだろう」
「それを伝えればいいのだな」
「ああ。それともうひとつ、里を守ってくれ」
「里を?」
「戦が終わろうとする時には何が起こるかわからない。統率を失った兵が、里を襲うことなどもよく聞く話だ。今、里には戦える者は少ない」
鵺と草之助は頷く。それを見届けた弥助も頷き、横たわる島村陣内にちらりと目を向けた。しかし、すぐさま二人に視線を戻す。
「では、頼んだぞ」
弥助はそう言うなり、颯爽と闇の中へと消えて行ったのだった。
戦場にあって島村陣内の死に顔は、実に安らかなものであった。
次回、山中を走り通してようやく里に辿り着いた鵺と草之助。
着いてすぐ、里で見たものとは……。




