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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第六部】 天正伊賀の乱
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第三章 麓の戦い

挿絵(By みてみん)


予測される三つの侵入経路のうち、滝野の里に最も近い場所は長野峠だった。

長野峠に向かった滝野の里衆。

その峠を越えて伊賀に攻めきたるは、この戦の総大将である北畠(きたばたけ)信雄(のぶかつ)であった。

挿絵(By みてみん)




 滝野の里衆が向かった長野峠には、北畠(きたばたけ)信雄(のぶかつ)自らが率いる軍勢が伊賀に向かって攻め入ってきていた。密偵の情報によれば、その数は八千騎であるという。鬼瘤(おにこぶ)峠には北畠の重臣である柘植(つげ)が率いる千五百騎、青山峠には千三百騎という、総勢一万余りの兵力であった。

 迎える伊賀衆は総勢五千人程度。長野峠周辺には四千人が配置されていた。数で見れば明らかに劣勢ではある。そこで伊賀衆は、この戦力差を埋めるために得意のゲリラ戦法をとったのだった。

 伊賀衆はみな、数人で組を作り行動していた。

 ある者らは木陰などに身を隠し、矢を射かけた。見えない敵からの攻撃に、北畠の兵は心身共に疲弊した。またある者らは、足軽から身につけているものを奪うとそれになりすまし、兵たちの間に「殿が討たれた」「この先に伏兵がいるらしい」などと嘘の情報を流し、混乱を招いた。

 そして今、浅葱(あさぎ)菊乃(きくの)、かすみの三人は、夜陰に紛れて北畠の兵を討つべく、長野峠の麓で待ち構えていたのだった。

「奴らはまだ、峠を越えていないようだね」

 浅葱の呟きに、かすみが頷きながら答える。

「そうだね。峠を越えたら、菊乃が犬笛で知らせてくれるわ」

「ここからくるのが、総大将の北畠か……」

「ええ。その数は八千余りだとか」

「対する伊賀は四千余り……」

「浅葱」

「何だい」

「緊張しているの?」

「ば、馬鹿言うんじゃないよっ」

 思わず上擦った声が出てしまった。浅葱は、ばつが悪そうにかすみから目を逸らす。だが、すぐさま開き直って言った。

「そりゃあね、緊張ぐらいするさ。悪いかいっ」

 かすみは、それに対しては何も答えない。答える代わりに、そっと浅葱の手を両手で包み込んだ。微かに震えている。

「悪くないよ。私も、緊張している」

「……そうか。そうだよね」

 浅葱は、幾分か落ち着きを取り戻して言った。

「かすみは、これが初めての戦だものね」

「ええ。でも、浅葱だって、こんなに大きな戦は初めてでしょう?」

「ああ……」

「緊張して当然だよ」

 普段と変わらずに淡々と話すかすみを、浅葱はじっと見据えた。

「なに?」

 いづらく感じたのか、かすみが尋ねる。浅葱は、しばし考えたあとに口を開いた。

「いや、随分と大人だなあと思ってさ」

「何よ、それ」

「かすみといると、あたしはあたしが幼く感じるよ。本来なら、あたしがかすみを励ましてやらなきゃいけないってのにさ」

「……」

「何かさ、変わったよね」

「何が?」

「昔のかすみは、暗くて何を考えているかわからなくて、鈍くさくてさ」

「……もしかして、悪口かい?」

「いや。何かね、危なっかしい奴だなあっていう印象があったんだ」

「……」

「昔はほとんど話すこともなかったから、あたしの勝手な思い込みだったのだろうけれどね」

 言葉が途切れたことに違和感を得たらしいかすみが、俯いていた顔を上げた。まっすぐに見据えている浅葱の目とかち合う。

「あたし、今のかすみは好きだよ」

 その瞬間、かすみの表情がわずかに(かげ)った。

 ――……気のせいか……。

 浅葱は思った。そう思うほど、それは一瞬のことだったのだ。あるいは、宵闇のためにそう見えてしまっただけかもしれない。

「やめてよ」

 かすみが言う。

「まるで、別れの言葉のようじゃないか」

 浅葱が口を開きかけたところで、はたと、二人は一斉にその動きを止めた。

「かすみ」

「ええ」

 浅葱の呼びかけに、かすみは短く答える。それで充分だった。

 浅葱とかすみは聞いたのだ。菊乃の吹く音なき音……犬笛の()を。

 ややあって、菊乃が山を駆け下りてきた。

「菊乃、ご苦労だったね」

 浅葱の言葉に、菊乃はひとつ頷いて言う。

「向こうの麓に待ち伏せていた伊賀衆によって、敵は右往左往しているようだよ」

「へえ、それはいい情報だね」

「でも、油断はできないよ。まだ、数では圧倒的に北畠が優勢だからね」

「数なんて関係ないよ。伊賀衆の恐ろしさを思い知らせてやろうじゃないか。北畠に、そして織田にも、伊賀を攻めようなんて気を二度と抱かせないぐらいにさ」

 菊乃が大きく頷く。かすみも、こくりと頷いた。

「……きたようだね」

 浅葱の声に一斉に坂の上を見る。そこには、聞いた話よりもしっかりとした足並みでこちらに向かってくる足軽たちの姿があった。大将はいまだ見えない。だが、(とき)の声を上げながら迫ってくるところを見ると、まだ北畠を討ち取れてはいないのだろう。

「菊乃、かすみ。手筈(てはず)通りにいくよ」

 浅葱の号令で、菊乃とかすみは一斉に動いた。三人は、それぞれ木陰に身を隠す。

 足軽たちが坂を下ってくる。いよいよ射程圏内に入ったところで、腰に下げた(えびら)(矢を入れて肩や腰にかけ、携帯する容器のこと)から二尺四寸(約七十二センチメートル)ほどの短い矢をつかむと、手にした短弓(たんきゅう)(忍びがよく使用した弓。世界的に多く見られる弓だが、日本の弓と言えば長弓であるため、それと区別して短弓と呼んだ。日本以外の国では、あえて短弓とは言わない)を構えた。

 きりりと弦を引き、放つ。

 首、肩、胴へと命中し、一度に三人の足軽が倒れた。目に見えて足軽たちの間に動揺が湧き起こる。

「敵だっ」

「どこにいるっ」

 再度、矢を放つ。また、三人倒れた。

「くそっ。どこから狙っているんだ」

「この暗さでは……」

 再び矢を放ったところで、

「敵は、おそらく三人だっ」

 一人の足軽が言った。

「もっと松明(たいまつ)()けっ」

「あ、あそこだっ」

 指差した方を足軽たちは一斉に見遣る。そして、松明(たいまつ)を持つ者らは、みなそこを照らすべく火を近づけた。

 がさり。木の葉が揺れる。

「いたぞっ」

 足軽たちが一斉に迫りくる。その時である。

「敵だっ」

 あらぬ方向から声が上がった。足軽はみな、その声に振り向く。

 足軽らの視線の先にいたのは、かすみだった。

 かすみの手に短弓はなく、腰の(えびら)も外されていた。懐に短刀を忍ばせてはいるのだろうが、抜く気配はない。実に無防備な姿を晒していた。

「……女だぞ?」

「いや、この山にいる以上、ただの女ではあるまい」

「……伊賀者かっ」

 その場にいた足軽たちが、標的をかすみへと変えて迫る。

「……ちっ」

 隠れていた浅葱は、舌打ちをひとつ鳴らすと懐から鳥の子(鳥の子紙を貼り固めて作る煙玉)をつかみ出した。それを足軽たちに向けて放る。大きな炸裂音がしたかと思うと、瞬時に辺りには白煙が満ちた。

 浅葱は、すかさず短弓を構える。白煙が邪魔で狙いは定まらない。だが、足軽たちのいた辺りに手当たりしだいに()ち込むと、短い悲鳴とともに何人かの足軽が倒れた音が耳に届いた。見れば、菊乃も同じように矢を射っているようだ。

 手持ちの矢がなくなった頃、ようやく煙が晴れて状況が見えてくる。辺りには、動けなくなった者も含め数十人の足軽たちが倒れているようだった。

 浅葱は目を見張る。それほど矢を射かけた覚えはなかったからだ。しかし、すぐに納得した。

 増援である。

 峠で交戦していた伊賀衆が、逃れた足軽たちを追って麓まできたのだろう。それぞれが物陰に身を隠してはいるが、敵はすでに、浅葱たちを含め数十人の伊賀衆に包囲されていたのだ。

 ――助かった……。

 浅葱は額に浮かぶ汗を拭うと、肩の力を抜いた。その後、菊乃とかすみの姿を探す。菊乃は最初に身を隠した木陰に、かすみは先刻まで隠れていた場所にまで戻っていた。そして、そこに放置していた短弓と(えびら)を拾い上げている。

 浅葱はかすみの方へと駆け寄った。だが、浅葱よりも先に着いていた菊乃が、いつになく険しい面持ちでかすみを問い詰めている。

「何だってあんな真似をしたんだい」

「……菊乃が危ないと思って」

 足軽たちに姿を捉えられてしまったのは、菊乃であったらしい。

「だからってね、武器も持たずに敵の前に出るなんて」

「至近距離じゃあ短弓は使えないもの」

「なら、他にも戦い方はあるだろう」

「あの数を相手にあの距離で戦うなんて、考えられなかったのよ」

「だったら、何で……」

「浅葱や菊乃が死ぬぐらいなら、私が死んだ方が……」

 かすみが言い切る前に、浅葱は反射的に手を伸ばしていた。衝撃を受け、かすみは体勢を崩す。

「……浅葱っ」

 近くにいるはずの菊乃の声が、どこか遠くに聞こえた。右手がじんじんと痛む。かすみの左頬が見る見るうちに赤く色づいていった。

「もう一度言ってみな」

 そう言った浅葱の声は震えている。

「あたしらを生かすためにあんたが死ぬ? ふざけんじゃないよ。あたしらが、そんなことを望むとでも思っているのかいっ」

「……思ってないよ。でも、里にとってはその方がいいとは思っている」

「は、何だってっ?」

「浅葱も菊乃も、本来なら私と一緒にいるべきじゃないのよ。里のみなもそう思っている。だって、私は穢れた一族の者だから」

 かすみの家は、滝野の里の中で特に貧しい。死人(しびと)の始末を代々任されており、里人の中には「死を呼ぶ一族」と陰口をたたく者もいた。

「里のみなって誰のことだい」

 浅葱は言う。

「もしもそう思っている奴がいるのだとしたら、くだらないね。そんなくだらない奴の言うことなんか、聞く必要はまったくないよ」

「浅葱の言う通りさ」

 菊乃が、浅葱の肩を叩いて落ち着かせながら口を挟む。

「あたしらは好きでかすみと一緒にいるんだよ。家のこととか、里のためとか、そんなことを考えながらあんたと行動しているわけじゃないんだ」

「……すまない」

 項垂れるかすみに、浅葱は盛大に溜め息を吐くと言った。

「もう二度と、くだらないことは考えるんじゃないよ」

 その時、峠の向こうから再び(とき)の声が上がる。浅葱と菊乃は振り向きながら、次なる戦闘を思って固唾を飲んだ。そこへ、

「浅葱、菊乃。……すまない」

 消え入りそうなかすみの声が再び聞こえて、浅葱は反射的に振り返る。

「……かすみ?」

 異変に気づいた菊乃も振り返る。

「何で……?」

 菊乃の問いに浅葱は答えられなかった。

 ひとつの戦いが終わり、次なる戦いが始まろうというその時。ほんの一瞬の間だった。新たな敵の出現に気を取られた隙に、忽然とかすみがその姿を消したのであった。

それは、一瞬のできごとだった。

突如、何の前触れもなく、かすみはその姿を消した……。


次回、滝野の里よりお届け致します。

里に残された者たちも、その心は戦に向かった者たちとともに戦っているのです。

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