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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第五部】 夢
30/48

第五章 迷い     ※写真付

挿絵(By みてみん)


鵺が消えてから二月(ふたつき)が経った。

いまだ戻らない鵺を案じるはつ。

そして、草之助はある行動に出る。

挿絵(By みてみん)




 夏も近づく五月。近頃では暖かい日が続いている。だが、はつの心は、いまだ冬を抜け出せずにいた。

 (ぬえ)が、まだ帰ってこないのだ。

 鵺の姿を見なくなってから、もう一月(ひとつき)あまりになる。

「鵺……」

 鵺がいなくなってから、何度呟いたか知れない。

 鵺をはつの目付に据えたのは、他ならぬ頭領である。そうであるならば、鵺は今もどこかではつの行動を見ているかもしれない。そう思うと、鵺の名を口にすることをやめられなかった。もしかしたら、どこからかひょっこりと現れるかもしれないと思ったからだ。しかし、鵺は一向に姿を見せなかった。

 代わりに、草之助が毎日のように訪ねてきた。

 この日もまた、無遠慮に戸が引かれる。

「はつ」

 陽だまりのような草之助を見ていると、わずかながらはつの心は軽くなるようだった。

「毎日こなくてもいいのに」

「俺にこられては迷惑か?」

「そんなわけないよ。でも、鵺だっていないのだから……」

「鵺のことなどどうでもいいさ。俺は、はつに会いにきたのだからな」

 そう言って朗らかに笑う草之助に、つられるようにはつも笑った。

「ねえ、草之助」

「なんだ」

「生まれ変わりってさ、あると思う?」

 唐突なはつの言葉に、草之助は俄かに黙り込んでしまった。それに気づいたはつは咄嗟に手を振る。

「あ、ごめん。なんでもない。忘れて」

「それは、輪廻(りんね)……というもののことか?」

「輪廻……?」

「違うのか? (みん)から渡ってきた教えに、そういうものがあったと思ったが」

「うん。たぶん、それのことだね」

「さあ、どうだろうな。俺は信心深い性質(たち)ではないからなあ」

「そう……」

「それが、どうかしたのか」

「うん、少しね。少し、気になっただけなんだよ」

「そうか……」

 はつの言動に怪訝な表情を浮かべた草之助だったが、はつが口を(つぐ)んだので、その件についてはそれ以上何も尋ねることはなかった。

 その後、草之助は半(とき)(約一時間)ほどもはつと他愛(たわい)ない話をすると帰ったのだが、最後に、

「鵺も近々戻ってくるだろう」

と、何の根拠があるかもわからない言葉を残して行った。

 ――ああ……また、草之助に気を遣わせてしまったかな。

 おそらくは、気落ちしているはつを気遣い、安心させるためについ発してしまった言葉なのだろう。そう思い、はつは草之助に対してどこか申し訳なく思うのだった。


 辺りは一面、火の海だった。

 ――ああ、またか……。

 はつは、ぼんやりとそんなことを思った。ここがどこかなどすぐにわかる。これは、夢の中だ。

 最初にこの夢を見てから、もう四月(よつき)が経つ。初めはたまにだったものの、日を追うごとにその間隔は狭まり、今ではほぼ毎日のようにその光景を見ている。

 夢の中は、決まって真っ赤な炎に彩られていた。また、そこには決まって、(すす)けた姿の草之助と千手姫がいるのだ。そして、これも決まってそうなのだが、鵺の姿はどこにも見えないのである。

 しかし、もう一人その場にいるのも確かなのだ。それは、はつの意識が入り込んでいる人物だ。はつは、この人物が誰なのか、ずっと疑問に思っていた。その謎が、このところようやく解けてきた。

 その人物こそが鵺であったのだ。

 ――草之助、先へ行け。

 これまでは気づかなかったが、その声は紛れもなく鵺のものである。

 ――お前はどうするのだ?

 草之助が尋ねる。珍しく焦っている様子だ。それとは逆に、鵺は実に落ち着き払っていた。

 ――姫様をお守りするのがお前の役目だろう。……行け。

 鵺と草之助は、わずかに見つめ合う。先に目を()らしたのは草之助だった。草之助はくるりと踵を返すと、千手姫の手を強く握り走り出す。驚いた千手姫が声を上げた。

 ――草之助様……っ。お待ち下さい。……待って。草之助様、どうして……っ?

 だが、草之助は一向に止まる気配はない。千手姫は、(なか)ば無理矢理に連れられて行く。

 ――鵺っ。……鵺っ。

 顔だけをこちらに向けながら、千手姫が叫んだ。その目にきらりと光るものがある。それを見て、鵺は笑った。それは、これまでにはつが見たこともないような……きっと、とても優しい笑顔をしていたことだろう。

 ――泣かないで……。

 鵺の意識がはつに流れてくる。

 ――千手姫様。どうか、逃げ延びて……。そして、草之助とともに、幸せに生きて行って……。

 二人の姿が見えなくなるまで見送ると、鵺も踵を返した。

 眼前に広がる炎。その向こうから、(とき)の声が近づいてくる。だが、鵺の心は、()いだ湖面のように実に穏やかだ。

 鵺は、腰に下げた刀を抜く。そうして、(ほむら)立つ中を風の如く突き進んで行ったのだった。


 目覚めたはつは、もう驚きはしなかった。頻繁に見る夢に、すっかり慣らされてしまっていたのだろう。

 布団から出てひとつ伸びをする。そして、今しがた見た夢のことを考えた。これは、もはや日課と言ってもよい。夢を見た朝は、はつはこうして、その夢が意味するところを考えるのだった。それを繰り返していたはつは、近頃ひとつの仮定が脳裏に浮かんだ。

「やっぱり、鵺って、もしかして……」

 そこまで呟いて、口を(つぐ)む。あるはずがないとは思っていても、一度はっきりと認識してしまったその考えを、はつは完全に追い払うことができなかったのである。


 雑木林の薄暗がりの中、鵺の手にした刀が青白い輝きを放つ。鵺はそれを振り上げると、上段から振り下ろした。太い枝がどさりと落ちる。次いで、その隣の木にも斬りかかった。また、斬られた枝が落ちる音が、静かな林の中に響いた。

 鵺は荒い呼吸を繰り返す。刀を振るうたびに鵺の呼気は早くなる。ぶんと横薙ぎに払った。その時、何かに当たった手応えとともにがきんという金属音が上がり、鵺は途端に動きを止める。驚いてそちらを向けば、抜き身の刀を手にした男と目が合った。

「……草之助」

「随分と荒い太刀筋だな」

 そう言いながら、草之助は手にした刀を鞘に収める。

「それでは、動かぬ木の枝を落とすことはできても、雑兵(ぞうひょう)一人倒すことはできないぞ」

「……何をしにきた」

「お前の様子を見に」

「今、俺は修行中だ。帰れ」

「しばらく帰っていないようだな。はつが案じていたぞ」

「……」

「少しやつれたのではないか? 随分と酷い顔をしているな。いくらなんでも、髭ぐらい剃ったらどうだ」

「……帰れと言っているだろう」

「何の修行をしているか知らないが、そんな乱れた精神ではろくな結果にならないぞ」

 一向に去る気のない草之助を、鵺はひと睨みする。しかし、草之助が怯む様子はない。鵺は深く息を吐くと、腰に下げた鞘に刀を収めた。

 鵺は、手近にあった切り株に腰を下ろす。その後、項垂れた様子でぼそりと呟いた。

「はつが、俺を案じていたか……」

「ああ。だいぶな」

「そうか」

「お前が帰ってこないのは、己のせいかもしれないと思っているようだ」

「……どういうことだ」

「夢に見たことをお前に話したせいだとな。それを聞いて以来、お前は家に戻っていないそうではないか」

「……ああ」

「実のところどうなのだ」

「はつのせいではない」

「それはわかる。俺が知りたいのは、二月(ふたつき)もの間、一度も家に戻ることなくこんな所にいる理由(わけ)だ」

 鵺はおもむろに天を見上げた。その先には、木の葉の合間から青空がぼんやりと覗いている。

挿絵(By みてみん)

「もうじき戦が起こる」

「だろうな」

「これまでのような、里同士の小競り合いとはわけが違う」

「ああ」

「伊賀全土を巻き込む戦だ」

「恐れているのか?」

 草之助の言葉に、鵺は天から地へと目線を落とした。

「俺は、いざとなれば、死ぬ覚悟ぐらいはある」

「違う」

 草之助が言う。

「死ぬことではない。人を(あや)めることをだ」

「……」

「戦となれば、誰かの命を奪わねばならないこともあるだろう」

「そんなものは今更だ。俺とて、これまでに多くの命を奪ってきた」

「そうだな。そのたびに傷ついてきたのだろう、お前は」

「……」

「恐れるなというのは、お前にとっては難しいことなのかもしれないな。だが、敵の身を案じて迷えば、お前は死ぬ」

「……」

「迷うな、鵺。伊賀のため……いや、頭領のために。そして、千手姫のためにも」

「……ああ。だがな、躊躇いなく人を殺せるようになっては、人として(しま)いではないか」

「そうではない」

 思いのほか力強く否定され、鵺は顔を上げた。まっすぐにこちらを見据えている草之助の目とかち合う。

「俺が迷うなと言っているのはな、生きることをだ」

 鵺は目を見開いた。草之助は続ける。

「お前は人の命の重さを知っているのに、己のことには疎いからな」

 なぜ鵺が己の命に重みをおけないのか、その理由に草之助はおそらく気づいているのだろう。

 それは、鵺が拾われ子だったからだ。

 鵺は、物心ついた頃にはすでに、里中の者に蔑みの目を向けられていた。頭領に拾われ、頭領と奥方の手で育てられたというのに、なぜこうも里人に嫌われているのか。鵺にもそれはわからない。

 ()み子……。

 かつて、鵺が頭領の屋敷で暮らしていた頃のこと。頭領を訪ねてきていた者が、陰で鵺をそう呼んでいたのを聞いたことがあった。それが誰であったかは思い出せないが、頭領の屋敷を離れることを決意させるには充分な出来事だった。

 間もなく、頭領に嫡男が誕生した。千手姫の五つ離れた弟亀之助である。それを機に、鵺は十四年間世話になった屋敷を離れ、一人で暮らすようになったのだった。

 鵺の中には今もなお、「()み子」という言葉が重くのしかかっている。

 もしも、里にとって己が忌むべき者であったのだとしたら、一体何のために生きているというのだろうか。

「生きていいんだぞ」

 そう言って草之助は笑った。

「頭領にも千手姫にも、それからはつにも……もちろん、俺にもな。お前が必要なのだ。だからな、鵺。生きることを迷わないでくれ」

 ――ああ、これだったのか……。

 鵺は、長年胸の奥底に沈んだ澱みが晴れていく思いだった。

 鵺はこれまで、心のどこかで、己が生きていることそのものがいけないことのように思っていた。それが、草之助は今はっきりと、生きてもいいのだと言ってくれたのだ。

 不覚にも、目頭が熱くなるのを感じた。しかし、そこはぐっと堪えて草之助に笑いかける。

「草之助。俺は……最後まで生きることを諦めたりしない」

「ああ、そうだ。頼むぞ、鵺」

 二人の静かな笑い声が、雑木林の中に木霊(こだま)する。その時、木々の切れ間から日の光が差し込んできた。そして、朗らかに笑い合う二人の顔を照らし出したのだった。

鵺の迷いを見抜き、見事断ち切ってみせた草之助。


次回、ある男の行動が、里に不穏な影を落としていく……。

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