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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第五部】 夢
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第四章 焦燥

挿絵(By みてみん)


鵺が帰ってこなくなった。

時を同じくして、草之助も訪ねてこなくなった。

……伊賀で、何か大変なことが起こっているのだろうか。

挿絵(By みてみん)




 四月に入ると、だいぶ過ごし易くなった。あれほど盛大に積もった雪も、今ではすっかりとその鳴りを潜めている。

 そして、(ぬえ)が長らく家を空けるようになった。

 鵺が家にいないことなど珍しくない。しかし、今回はいつもと違っていた。先月、はつが戦火の中を逃げる夢を見たと話して以来、まったく家に寄りつかなくなってしまったのだ。これまでは、食事時には必ず戻ってきていたのだが、近頃ではそれすらもない。おかげではつは、井戸端で浅葱たちと話す他は、誰とも関わることなく一人で過ごしている。

「鵺……どこで何をしているのかな」

 一人の部屋に、呟いた声が寒々しく響いた。はつは、もう半月以上も鵺に会っていない。また、あれほど頻繁に訪ねてきていた草之助も、どういうわけかしばらく姿を見せていなかった。

「私の知らないところで、里に……伊賀に、何か重大なことでも起こっているのかな」

 そう呟いてみると、途端に恐ろしくなる。もしも、このまま鵺が帰ってこなかったら……そんな思いがはつの胸を占めた。その時、

「入るぞ」

 よく知った声が耳に届く。それと同じくして、戸が引かれた。

「はつ、久しいな」

 そう言って陽だまりの如き笑顔を向けるのは、今しがた思い浮かべていた草之助だった。

「……何かあったか?」

 朝餉(あさげ)の途中だったはつは、箸と椀を持ったまま草之助を見据える。目を見開いて硬直しているはつを訝しんだ草之助が、そう尋ねた。

「鵺はいないのか?」

 再び尋ねる。俄かに我に返ったはつは、箸を置いてこくりと頷いた。

「そうか。飯時ならばいると思ったのだがな」

「……」

「どうした。元気がないな」

「草之助こそ、何かあったの? もしかして、伊賀で何か重大なことが起きているんじゃない?」

「なんだ、それは」

「だって、草之助がこんなに長く訪ねてこなかったことなんてなかったじゃないか」

「ああ、それか」

 草之助は笑いながらはつのもとに歩み寄ると、

「はつ、手を出せ」

と言った。はつは訝しみながらもそれに従う。手の平に、真っ白な和紙に包まれたものが置かれた。首を傾げていると、

「土産だ」

と草之助が言う。

「実は、頭領が町に御用があり、姫もそれについて行くことになってな。俺は、その姫の護衛として町まで下りていたんだ。そして、昨日帰ってきたのさ」

「そうだったんだ」

 頷きながら、はつは渡された和紙の包みを開けていく。中からは、星の形をした白いものがいくつか手の平に(こぼ)れた。

「金平糖?」

「よく知っているな。これを見たことがあるのか?」

 はつの言葉に、草之助は心底驚いた様子で言う。

「え? あ、うん……たぶん」

「俺は初めて見た。姫の護衛の褒美にと頭領から頂いたのだ。商人(あきんど)ですら滅多に口にできない、高価な南蛮菓子らしいのだが」

「へえ、そうなんだ……」

「まさか、はつがそれを知っているとはな」

「……」

「もしや、はつは高貴な身分の姫君だったのではないか?」

 なんとも答えられずにいると、

「ああ、まだ何も思い出せぬのだったな」

と草之助が言い放つ。草之助らしからぬその冷ややかさに、はつは背筋がぞっとする思いだった。

 はつが里にきて以来、すでに半年以上が経っている。その間、何も思い出せないなど都合がよすぎるということは、はつ自身がよく理解していた。

 はつが俯くと、

「まあ、いいさ」

 草之助が、普段通りの明るさを取り戻して言う。

「なあ、はつ。ならば、これは知っているか? 南蛮では、この金平糖を祝いの際に()くのだそうだ」

「……知らない。そうなの?」

「ああ。縁起のよい菓子らしい」

 草之助は、はつの手から一粒の金平糖を取ると、それをはつの口に持っていった。はつは、思わずぱくりと食いつく。仄かな甘みが口内に広がった。つい、無意識のうちに口にしてしまったことで頬が熱くなるのを感じていると、その傍らで草之助の朗らかな笑い声が上がる。

「はつ。何を案じているかは知らないが、元気を出せ」

「……え?」

「何か心配ごとでもあるのだろう? 鵺がいないのも関わりがあるのか」

「……うん」

 はつは頷く。そして、胸の内を草之助に語った。

「もう半月になるんだ。鵺を見なくなってから」

「どういうことだ。鵺はしばらく帰ってきていないのか?」

「うん。それに、その頃から草之助も見なくなったし、里で何か大きなことでも起こっているのかなと思って……」

「ああ、それは時期が悪かったな。俺が頭領について里を出ていたのも、ちょうどその頃だ。急に決まったので話す機会がなかったのだ」

「そうだったんだ」

「不安にさせたようだな」

「もしかしたら、私のせいかもしれないんだ」

 はつは項垂れて続ける。

「私、近頃同じ夢を見ていてね。それを鵺に話してからなんだよ。鵺が帰ってこなくなったのは」

「どんな夢だ」

「戦火の中を逃げている夢。そこには草之助と千手姫様もいたよ。鵺は……見えなかったけれど、たぶん近くにいたのだと思う」

「よく見るのか」

「え……」

「その夢だ」

「うん。初めはたまにだったのだけれど、近頃は七日に一度ぐらいの割合で見るよ」

「そうか」

 ふうむと考え込んだあと、草之助は笑って言った。

「はつが気に病むことはない。鵺が家に戻らないことなど、何も今に始まったことではないのだ。むしろ、はつがきてからは家にいることが多くなったと思っていた。鵺が姿を眩ませたのは、決してはつのせいではない」

「そうかな……」

「ああ、もちろんだとも」

 はつが顔を上げると、草之助は屈託のない笑みを浮かべていた。それを見て、はつも自然と笑顔になる。

「鵺のことは心配ない。俺も心当たりを探してみるとしよう」

「ありがとう、草之助」

 そう言いながら、

 ――草之助がきてくれてよかった……。

 はつは、心底そう思うのだった。


 鵺は、雑木林の中にいた。

 鞘から解き放たれた白刃が、薄暗さの中に鈍い輝きを放っている。

 ひゅうと風を切る音とともに、どさりと木の枝が落ちた。

 切先(きっさき)がわずかにぶれる。それを見据える鵺の表情は固い。

「……戦か」

 そう呟く鵺には、どこか焦りの色が伺える。

 荒い呼吸を落ち着けるように、ひとつ大きく息を吸い込んだ。ふと、はつの言葉が脳裏に浮かぶ。

 鵺は構えた。そして、己が胸に去来する思いを振り払うかのように、手にした刀をその場に振り下ろしたのだった。

雑木林の中、一人刀を振る鵺……。

その表情には焦りの色が伺えた。


次回、草之助が鵺の中の迷いを断ちます。

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