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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第五部】 夢
26/48

第一章 草之助と千手姫

挿絵(By みてみん)


またも風邪をひいたはつ。

今度は高熱を出して寝込んでしまった。

挿絵(By みてみん)




 年が明けた天正七年の一月、はつはまたも感冒に見舞わられた。その上、今回は咳だけではない。高熱を出して寝込んでしまったのである。

 熱に浮かされながら、はつは夢を見ていた。

 状況はつかめないが、何かから逃げているような……そんな夢だった。

 草之助の背が見える。その傍らには千手(せんじゅ)姫もいる。千手姫がこちらを振り返った。

 必死な面持ちで、何かを叫んでいる。

 ――なんて言ったのだろう……?

 そう思っているうちに視界はぼやけ、映像が途切れるように呼び覚まされた。

 ふと、額にひんやりとした感触があって目を覚ます。

「……千手姫様」

 はつは、夢に見た千手姫が傍らに座しているのを見て、いまだ夢の中にいるのかと思ってしまった。だが、穏やかに笑いかけられて俄に覚醒する。

「はつ、具合はどうですか?」

 ちゃぽんという水音が耳元で聞こえた。どうやら熱で温まった手拭いを、千手姫が替えてくれたらしい。

「千手姫様がどうして……」

「はつ、無理をしてはなりません」

 起き上がろうとしたところを千手姫に制され、再び横になるよう促された。

「はつが病床に就いていると聞き及びまして、こうして見舞いに参ったのです」

「病床だなんて大袈裟ですよ。ただの風邪です」

「はつ、感冒を侮ってはいけません。こじらせると命を落とすことすらある、恐ろしい病なのですから」

「え、ただの風邪で……?」

 そんな話をしていると、前触れなく戸が引かれた。入ってきたのは家主である(ぬえ)だ。

 鵺は、はつの傍らに座している千手姫に目を止めると、

「……何をしておいでですか」

 静かに、されど焦ったような口調で尋ねた。

「はつが病床にあると聞きましたもので、見舞うために参ったのです」

「姫様がそのようなことをなさらなくてよいのです」

「ですが……」

「姫様」

 千手姫は俄かに口を噤み、目を伏せる。その姿は、まるで父に叱られた子、あるいは兄に叱られた妹のようであった。

「さあ、外へ」

「はい……」

 外へ連れ出そうと鵺が千手姫の手を取る。まさにその時である。まるで間を見計らったかのように、あの男が現れたのだ。

「何をしている」

 開け放った戸口の向こうに、草之助が立っていた。草之助は、鵺が千手姫の手を取るところをしっかりと見止めた上で言う。

「鵺、姫がなぜここにいるのだ」

「……」

 鵺は、答える代わりに千手姫から手を離した。

「草之助様、私が病床にあるはつを見舞いに参ったのです」

 鵺の表情が陰ったことを見て取った千手姫が、鵺の弁護をするように口を開く。

「感冒はうつる病。姫がここにいてはなりません」

「ですが……」

「姫」

「はい……」

 想い人にまでそう言われてしまっては、千手姫も頷かないわけにはいかない。渋々といった(てい)で、草之助に連れられるままに家を出て行ったのだった。それを見届けると、鵺は額に手をあてがいながらその場に座り込む。

「まったく、あいつの嫉妬深さにはついていけんな」

 そう独り言を呟きながら、はつの赤らんだ頬に手の甲を当てた。鵺の冷えた手が心地よい。

「まだ、熱いな」

 そう言うと、奥の棚に並べられていた小さな壺のひとつを取り、蓋を開ける。はつに背を向けて何やらやっていた鵺だったが、間もなく、はつの枕元に座すと湯気を立てる椀をそこに置いた。

「起きれるか」

「うん……」

 はつは上半身を起こす。だが、それだけでも軽い眩暈を覚えて項垂れた。それを支えてやりながら、鵺がはつに椀を手渡す。

「薬湯だ」

 その言葉に思わず顔を(しか)めたはつだったが、椀を覗いて驚いた。椀の中は透き通るような色をしていたし、まったく嫌な(にお)いもしていない。もっとも、鼻が利いていないというだけだったかもしれないが。

「これが薬湯?」

「ああ。金針菜(きんしんさい)という。解熱作用がある」

「なんか、綺麗だね」

野萱草(のかんぞう)の蕾を乾燥させたものを煎じたのだ。沈殿しているものを見ろ。黄金の針のように見えないか」

「うん、見える。だから金針菜かあ」

 はつは椀に口をつける。そこで、再び驚いた。

「え、甘い……?」

 とろりとした食感のあとにほのかな甘みが口内に広がる。

「もしかして、私の舌がおかしくなったのかな」

「何を言っている。それはそういうものだ」

「甘くていいの? なんか、薬という感じがしない」

「お前に薬を飲ませるたびに、苦いだの(にお)いが嫌いだので騒がれるのは面倒だからな」

 身に覚えがあるだけに、はつはその後、黙って椀の中の薬を飲み干した。

「飲んだら少し休め。じきに熱も下がるだろう」

 鵺の言葉に従い、はつはごろりと横になる。すると、いつの間にか眠ってしまったのか、はつは再び夢の中にいた。

 先程と同じで、草之助と千手姫がいる。二人とも(すす)けたような酷い姿をしていた。千手姫がこちらに向く。何かを叫んでいる。

 ――なんて言っているのだろう?

 よく聞こうと耳を澄ますのだが、どうしてもその言葉が聞こえてこない。ただ、今にも泣き出しそうな、必死な千手姫の表情がとても印象的だった。


 こんこんと戸を叩かれる音で目が覚めた。

「はつ、お休み中でしたか?」

 手拭いで鼻と口とを覆った千手姫が、戸口で申し訳なさそうにこちらを見ている。

「姫様……」

 鵺は、驚いているというよりは呆れるているふうにそちらを見ていた。千手姫のあとに続くように、草之助も顔を出す。

「鵺、すまない。姫がどうしてもはつを見舞うのだと仰られてな」

 千手姫は、二人の心配をよそにはつの元へと歩み寄る。そして、はつの額に自らの手の甲をあてがった。

「先程よりも幾分か熱が引いたのではありませんか」

「言われてみれば、少し楽になったような気がします。鵺の薬が効いたのかもしれません」

「そうですか。それはよかった。ところではつ、お腹が空きませんか?」

「え……」

「今からお粥を拵えますね」

 そう言うと、千手姫はくるりと鵺に向き直り、

「お鍋をお借りしても宜しいですか」

と尋ねた。

「はあ……」

 曖昧に返事をしたあと、鵺は千手姫には気づかれないように草之助を睨みつけている。草之助はそれから目をそらし、ぼそりと呟く。

「……すまない」

 その声が、微かにはつの耳に届いた。鵺は溜め息を()くと、鍋を出してそれを囲炉裏へとかける。

「まさか、姫様が作られるおつもりですか」

 鵺が疑念をぶつけると、

「はい。私とて、お粥ぐらい作れますよ」

 笑って千手姫が答えた。

「まあ、鵺より達者なことは間違いないでしょうね」

「確かに、鵺はお料理は不得手かもしれませんね」

 草之助の言葉に千手姫は何を思い出しているのか、ころころと可愛らしく笑っている。

 用意のよいことに、千手姫は米も持参してきたらしい。鍋に入れると、そこに水を張って蓋をした。その間に、土間で草之助とともに何やら下拵えをしている。それが済むと、下拵えをしたものを持って鍋の近くにきた。まな板の上でとんとんとそれらを刻んでいく。それを見て、植物に詳しい鵺には、千手姫が何を作っているのかがわかったらしい。

 しばらくして、鍋がぐつぐつと音を立て始めた頃、千手姫が蓋を開けて刻んだものを飯の上に散らした。そして、塩で味を調えていく。

「できましたよ」

 半刻(約一時間)が経った頃、千手姫がそう言い、粥の入った椀をはつの枕元に置く。そこで、はつはなんとか上体を起こして椀を受け取った。

「綺麗……」

 思わず声が漏れる。透き通るような飯の上に、緑、黄緑、黄色などの優し気な色合いの草が散りばめられている。

「七草粥を作ってみました」

「今日は人日(じんじつ)の節句だからな」

 千手姫と草之助が、そう言って笑い合った。

「今しがた、草之助様と採ってきたのですよ」

「いい香り……」

「さあ、どうぞ」

 促され、はつは椀と匙を受け取った。しかし、匙を持つ手になかなか力が入らない。自身でも気づかないうちに、だいぶ体力を消耗していたようだった。見かねた千手姫が、はつの手から椀と匙を取り上げた。そして、粥を一掬いすると幾度か息を吹きかけて冷まし、それをはつの口へと運んでやる。

「さあ、はつ」

 はつは、一瞬どきりとした。明らかな胸の高鳴りに違和感を覚えつつも、差し出された匙に口をつける。

「美味しい……」

 それは、世辞などではなく本心から出た言葉だった。

「ああ、よかった」

 そう言うと、千手姫はまたも愛らしく笑う。その姿を見て、先程感じた胸の高鳴りは、女の己から見ても千手姫が美しいと思えるからだろうと解釈した。目元だけでも、千手姫の美しさは充分に伝わってくるものがあった。

「草之助、いい加減に落ち着け」

 鵺と草之助も、千手姫の拵えた粥を食していた。そして、鵺が声をかけた先には、はつに粥を食べさせる千手姫を、匙を噛みしめたままに見据える草之助の姿がある。

「何のことだ」

 草之助は平静を装って言った。しかし、明らかに苛立っている様子である。

「はつにまで嫉妬してどうする」

「な、俺は別に、嫉妬など……」

「自覚がないのか」

 ふむ、と草之助は考え込んだ。そして、ひとつの結論を出す。

「お前とはつは、どこか似ているな」

「どこがだ」

「さあな。これといって上げることはできないが、雰囲気というものが似ている気がする」

「俺はそうは思わんがな」

「だが、そうすると得心がいく。はつが姫といると、お前と姫がそうしているようで……無性に腹が立つのだ」

草之助の言い分に、鵺は粥を咽に詰まらせかけて咳き込んだ。

「何を馬鹿なことを……」

「ふむ、確かにな。実に馬鹿げたことだ」

 口では馬鹿げたことだと言いつつも、目がそうは語っていない。鵺は深い溜め息とともに、粥を咽の奥へと押しやったのだった。


 鵺の薬が効いたのか、はたまた千手姫と草之助の七草粥のおかげか、はつの感冒はほんの数日で癒えた。

 はつの熱が下がると、鵺はまたも家を空けるようになった。その日も、鵺は朝餉(あさげ)のあとから姿を眩ませている。そこに、戸を叩く音が聞こえてきた。入ってきたのはかすみである。

「はつ、具合が悪いのかい?」

 養生して(とこ)に臥せていたはつに、かすみは尋ねた。

「うん、少しね。もうだいぶいいけれど」

「そう」

「かすみはどうしたの?」

「ここのところ、はつも鵺も見かけなかったからさ。何かあったのかと思ってね」

「風邪を引いていてね。鵺に看病してもらっていたんだよ。草之助や千手姫様の手まで煩わせてしまって……」

 そう言った途端に、かすみの表情が俄かに曇った。

「千手姫様が、ここへきていたのかい」

「あ、でもね、マスク……じゃない、手拭いを巻いてうつらないようにはしていたんだよ」

「まったく……姫様にも困ったものだね」

 かすみは呆れたように肩を落とす。

「感冒の恐ろしさを知らないわけでもないでしょうに」

「どういうこと?」

「姫様のお母上様はね、感冒でお亡くなりになったのよ」

 その言葉に、はつは、頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。

「千手姫様って凄いね」

「何がだい」

「かすみもだけれど、年齢(とし)の割にしっかりしているなあって……」

 この時代の人たちは……と言いかけたところを、なんとか呑み下した。

「そうかい?」

「そう思うよ。ねえ、実際さ、千手姫様っておいくつなのかな」

「……そんなことが気になるのかい?」

 鵺にも言われたことを思い出し、はつは苦笑する。この里の人々は、あまり年齢というものを意識していないのかもしれない。

 ――明らかに年上の弥助さんにだって、浅葱はかすみたちに話すのと同じように接していたものね……。

 そんなことを思っていると、

「十五だったと思うよ。あ、いや、今年で十六だね」

 そうかすみが答えた。

「今年? 千手姫様の誕生日って、最近だったの?」

 尋ねた矢先、かすみが怪訝な表情を浮かべる。

 ――あ……。

 はつは、はたと気がついた。

 誕生日という概念か生まれたのは、もっともっとずっとあとになってからのことだった。

 この時代には誕生日というものはなく、みな元日にひとつ歳を取るのである。また、(ゼロ)という概念もない。そのため、極端な例ではあるが、大晦日に生まれた子はその翌日には二歳と数えられるのだ。

「誕生日って何だい」

「さあ……?」

 答えに困って曖昧に返したところ、かすみは眉を潜めてこちらを見る。最早、言い訳すらも思いつかずに重い空気に耐えていたはつだが、かすみはそれについて深く追及することはなく、やけにあっさりと引いてくれた。

「鵺はいないようだね」

 かすみが話題を変えてくれたことに安堵し、はつは頷く。

「うん。朝からどこかへ出かけているよ」

「そうかい。それなら、はつのことはもう心配することはないということなのだろうね」

「そういうことなのかな」

「鵺は生真面目な奴だよ。それに、一度負った責務を投げ捨てるような男でもない」

 少し前のはつだったなら、かすみの言うことに疑念を抱いたかもしれない。だが、今はかすみの言うこともわかる気がする。

 鵺は、はつが具合の悪い時には、憎まれ口を叩きながらも常に傍にいてくれた。薬にしても、効き目の良し悪しだけでなく、はつの好みを考えて飲み易いように調合してくれた。鵺は、草之助が常々言っていたように優しいのだ。今回のことで、はつにはそれがよくわかった。

「そうだね」

 かすみの言葉に、はつは素直に頷く。そして、汗ばんだ前髪をかき上げながら笑ったのだった。

風邪をひいたおかげで、鵺の優しさを知ったはつだった。


次回は、衝撃の事実が発覚します。

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