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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第四部】 波乱の予感
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第六章 雪合戦のあとで

挿絵(By みてみん)


鵺に再戦を申し込んだ草之助。

女たちが囲炉裏を囲んでいる中、男たちは寒空の中で戦い続けていた。

挿絵(By みてみん)




「ありがたく存じます」

 (ぬえ)の家の中、囲炉裏を前に座していた千手(せんじゅ)姫の前に、はつが湯気を昇らせる椀を置いた。

「朝の残りで申し訳ないのですが、味噌汁です」

「はつが拵えたのですか?」

「はい」

 千手姫は一口飲むなり、

「美味しい」

 そう言って顔を綻ばせる。

「よかった。実は、ここへきたばかりの頃は、とても飲めたものじゃなかったのですよ」

「まあ」

「かすみに教わったのです」

「そうなのですね。かすみが料理上手だとは存じませんでした」

「とても上手ですよ。味噌汁だけでなくて、煮物なども教えてくれました。けれど、人様に出せるようになったのは味噌汁だけです」

(まこと)に温まりますね」

 はつは別の椀にも味噌汁を注ぐと、それを持って囲炉裏の前に座した。

「それにしても、はつの戦法には感服致しました」

「やめて下さいよ」

 ころころと笑いながら言う千手姫を前に、はつは照れて赤くなった顔を伏せる。

「あれは、戦法とか兵法などと言ったものではありません。本当にたまたまなんです」

「そうかもしれませんね。けれども、はつはやはり凄いと思いますよ。私には、あのように機転を利かせることはできません。はつが姫であったなら、巴御前のような、実に頼りがいのある勇ましい姫になったのでしょうね」

「その代わり、婚期は遅れるかもしれませんね。私は女として、千手姫様のような人にこそ憧れますよ」

 二人は、顔を見合わせて笑い合った。

「鵺ともぴたりと息が合っていましたね」

「そうですか?」

「ええ。もう随分昔から一緒にいるような、お互いのことをよく知っているような、そんな感じでしたよ」

「そうですかねえ」

 はつは考えた。言われてみれば、思い当たることがまったくないとも言えないような気がする。

「なんとなくですがね、鵺の考えていることがわかる時があるんです。本当に、なんとなくなのですが……」

 はつは、土間の向こうの戸に目を向ける。千手姫も、それを追うように視線をそちらへと向けた。


 二人の荒い呼吸が辺りに響いていた。

「もういい加減にやめにしないか」

「そうだな」

 鵺の提案に、草之助は頷くとともにその場に座り込む。

「濡れるぞ」

「もう濡れている」

 そこで、鵺もその場に尻をついた。

「それにしても、どこもかしこも真っ白だなあ」

 それは、何気ない草之助の一言だった。だが、鵺の脳裏には唐突にある場面が蘇る。口籠る鵺を不審に思ったらしい草之助が、鵺の顔を覗き込んだ。

「どうした?」

「いや……」

「嘘をつけ」

「何もない」

「嘘だな。お前は思っていることが顔に出やすいからな」

「そうだな。まあ、何かはあった。だが、聞くな」

「なんだ、それは」

「聞くなと言っている」

「気になるではないか」

 そんなやり取りののち、深く溜め息をついた鵺は目を伏せながら語り出した。

「決して、他言無用だぞ」

「ああ、承知した」

二月(ふたつき)半ほど前、弥助に押しつけられて浅葱の任務に付き添ったのだ」

「なに? それはまた、妙なことになったものだな」

「浅葱のことは、まあいい。任務の途中、里の外で桔梗に出くわした」

「桔梗?」

「浅葱を心配し、黙って里を出てきたらしい」

「それは……」

「だから、他言無用と言っているのだ」

「そうか」

「この雪を見ていたらな、思い出したのだ」

「何をだ」

「……桔梗のな、肌の白さを……」

 俯いている鵺には草之助の表情を伺うことはできない。だが、瞠目してこちらを見据えている草之助の気配は伝わってきた。

「ただ、それだけだ」

「いや、待て。それでは不十分だ。得心がいくどころか、疑念が増えただけではないか」

「他に何が聞きたいんだ」

「肌の白い者などいくらでもいよう。なぜ、雪を見て桔梗を思い出すのだ」

「草之助、何度も言うが……」

「わかっている。誰にも言わん。だから話せ」

「浅葱の任務は、伊賀に侵入した甲賀の抜け忍を追うことだった。俺も追っていた。その途中、見たのだ。追っていた抜け忍に手籠めにされている桔梗の姿をな」

「……まさか」

「真のことだ」

 わずかな沈黙ののち、鵺が口を開いた。

「俺は、己が情けなくなった」

「なぜだ? 桔梗のことはお前のせいではないだろう」

「甲賀の男が言ったのだ。いい女がいたらモノにせずにはいられない。それが、男の(さが)だとな」

「……」

「その時は何を言っているのかと思ったのだが、桔梗に触れられた時にわかったような気がしたのだ。そう思ったらな、俺も奴らと同じなのかと思ってな」

 それを聞き、ようやく合点のいった草之助はくつくつと笑い出した。

「鵺、お前は初心(うぶ)だなあ」

「年下の男に言われる筋ではない」

 いささか腹を立てた鵺が、草之助を睨みつけた。

「男の(さが)か。まあ、わからなくはないがな。美しい女子(おなご)を見かければ、高揚した気分になることもあるだろう」

「俺はないがな」

「まあ、鵺の口からそんな話を聞いたことはないな」

「お前には姫様がいるだろう。恵まれた身でありながら、そのような話をするな」

「無論、姫のことは大切に思っている。だが、それとこれとは別の話ではないのか」

「どう違うというのだ」

「鵺は堅物が過ぎるな」

「ではお前は、その甲賀者の行いは正しいと思うのか」

「いや、間違っている。美しい女子(おなご)を見かけたら片っ端から飛びかかるなど、獣のすることだぞ」

「……そうだ。その通りだ」

(さが)は性として認めながら、時には理性で抑えねばならない。しかし、その(さが)があったればこそ、俺は千手姫という極上の花を得ることができたのも事実だ」

 最後の言葉に、鵺は頷かなかった。それに答えれば、きっと長い惚気(のろけ)話を聞かされることになるだろう。鵺の意図が伝わったのか、千手姫から桔梗へと、草之助が話題の方向を変えた。

「それで、近頃は桔梗を避けていたのだな」

「俺は、桔梗を避けてなど……」

「俺が気づくぐらいだ。桔梗もとうに気づいているだろう。桔梗もお前と関わるのを避けているように見えるしな」

「……」

「鵺、お前は桔梗の肌に心動かされた己を許せないのだろうが、お前のその態度は桔梗を傷つけていると思うぞ」

「どういうことだ」

「俺はよくは知らないが、桔梗は男に裏切られたことがあるのだろう? 男に対して不信感を持っていてもおかしくはない」

 それは、草之助が里に流れ着くよりも前のこと。十七だった桔梗は、すでに里随一の美女として名高かった。ある日、上忍三家の一人である百地(ももち)丹波(たんば)の縁者にあたる男が、桔梗を側室に迎えたいと言ってきたのだ。里の頭領である滝野十郎吉政は百地丹波に仕える身である。頭領は、決して桔梗に無理強いはしなかった。だが、桔梗は頭領のため、そして里のために、恋仲であった男に別れを告げて顔も知らない男のもとに嫁ぐことを決意したのである。

 しかし、桔梗は二年足らずで里に戻された。理由は、子ができなかったこと。子ができないことをすべて桔梗のせいにされ、一方的に離縁状を叩きつけられたというのだ。そうして戻ってきた桔梗だったが、里においてもさらなる不幸に見舞われた。二年前に別れた恋仲だった男が、桔梗が嫁いだ夜に死んだのだという。里を見下ろす小高い丘の上で、男は短刀を手に喉をかき切った姿で亡くなっていたとのことだった。

 そんなことがあって以来、桔梗は里人と深く関わらないようになった。一人でいることが多くなったし、里人も気を遣うのか、そんな桔梗をそっとしておこうとする空気が里中に蔓延しているように思えた。

「しかし、外からきた俺から見るとな、あまり気を遣い過ぎるのもよくないと思うのだ」

「……そうかもしれないな」

「俺はな、どういうわけか桔梗は、お前には心を開いていると見ている」

「……なぜだ」

「お前は男らしくないからなあ。あ、いや、決して悪い意味ではないぞ」

 悪い意味ではないと取り繕われたところで、男らしくないという言葉には納得できない鵺が草之助を睨む。

「お前が男でないと言っているわけではない。お前をけなすつもりなど毛頭ないのだ」

「では、何なのだ」

「まあ、何と言うか、安心感があるのだろうな」

「安心感?」

「……怒るなよ?」

「なんだ」

「お前は男でありながら、どことなく女のような繊細さも持っているような気がするのだ」

「……」

「そうでなければ、はつと寝食をともにするなどできはしない」

「はつ?」

「もう三月(みつき)だぞ。そんなに長く若い女とともに暮らすなど、俺には考えられない」

「ああ、そうか。はつも女だったな」

「……本気で言っているのか」

「はつといるとな、どうも女子(おなご)といるという気がしないのだ」

「ああ、まあ……そうか。なら、いい。だが、とにかく、はつには言わないことだな」

 話が一段落つき、おもむろに草之助が腰を上げた。尻の辺りが濡れて変色している。

「行くのか?」

「なあ、鵺」

 鵺の問いに被せるように草之助が呼びかけた。首を傾げて見上げる鵺に、草之助は笑いかけて言う。

「お前、千手姫のことが好きだろう?」

 鵺は、俄かに言葉をなくした。ただ、目を見開き、草之助を見上げることしかできない。

「隠すことはないさ」

「お前、何を……」

「見ていればわかることだ」

「……待て」

「わかるのだ。俺も姫を好いているのだから」

「待てと言っている」

 鵺は声を荒げながら、反動をつけて立ち上がった。

「お前は、一体何を言っているのだ」

「違うというのか?」

「ああ、違うな。俺は、姫様のことは頭領のご息女としてお守りしなければならないとは思っている。そういう意味で大切には思う。だが、それは里の誰もが同じことだろう」

 草之助は、じっと鵺を見遣る。

「なんだ、俺の思い違いだったか」

「ああ、だいぶな」

「だが、俺はお前に嫉妬していたぞ」

「は?」

「この里に流れ着いたばかりの頃、俺は姫の可憐さに心を奪われた」

「……その頃の姫様は、今の亀之助様と同じ年頃のはずだが」

「ああ、十を数えた頃だった」

「……」

「言っておくが、あの時に思ったのは、この可憐な姫をお守りして差し上げたいということだ。邪な思いを抱いたわけではない」

「……そうか」

「その姫が、大層お前を慕っているように見えたからな。それで、お前に近づいた」

「敵情視察というわけか?」

「そうかもしれん」

 草之助は声を上げて笑った。

「だが、落ちたのは俺の方だ。お前を知れば知るほどに、姫がお前を慕う理由がわかったからな」

「……」

「里の者たちは、流れ者の俺を容易には受け入れなかった。だが、それでも、あの時この里に留まろうと思ったのは、姫とお前がいたからだ。どちらも手放したくなくてな」

「欲深い奴だな」

「今頃気づいたのか?」

 そう言って、草之助はまたも声を上げて笑うのだった。

 ふと、(こう)ばしい香りが漂ってきた。二人の視線が、鵺の家の戸で結ばれる。

「上がっていけ」

 鵺が言う。

「はつの味噌汁でも飲んでいくといい。はつは、味噌汁だけはまともな物を作る」

 草之助は苦笑しつつ、

「はつも、お前にだけは料理のことをとやかく言われたくはないだろうな」

 そう言うと、鵺に促されるままに家の中へと入って行った。

桔梗を女と思えても、はつを女と認識できない鵺。

それがなぜなのか、鵺にもその理由はわからなかった。


次回から、第五部に突入します!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで読ませていただきました。ゆっくりペースですみません。(^^) 里の様子が詳しく描かれていて、読んでいて楽しいです。そして、はつと鵺がラストで結ばれるのかなと期待して読んでいるので…
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