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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第四部】 波乱の予感
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第二章 処刑

挿絵(By みてみん)


与一の処刑を明日に控えた今宵、鵺はある行動に出る。

挿絵(By みてみん)




 半月ほど前、滝野の里から一人の抜け忍が出た。その者の名を与一(よいち)という。与一は、里の下忍の子であった。

 与一の家は、裕福とまでは言えないものの、食べていくにはこと欠かないほどの暮らし振りである。しかし、まだ十六の与一にとって、この暮らしが一生ついて回るかと思うと嫌気がさして仕方がないのだった。

 そこで、与一は里を出る決意をする。まだ夜が明けきらぬ時刻に、与一は里境を目指した。だが、その夜、見張り番をしていた(ぬえ)に見つかってしまったのである。


 鵺は、与一が里を抜けた晩のことを思い返しながら、岩牢の前にいた。岩牢への入り口には、二人の里人が見張りとして立っている。鵺はおもむろに、懐からこよりと打竹(うちたけ)(短い竹筒の中に火種を入れたもの。携帯用ライター)とを取り出した。その時、

「やめておけ」

 背後から声が聞こえた。弥助だ。振り向くと、弥助は険しい表情で鵺を見据えていた。

「それをやれば、俺はお前を斬らねばならない」

 わずかに逡巡したのち、鵺はこよりと打竹(うちたけ)を懐に戻す。

「やはり、お前には隠し切れなかったか」

 鵺は、この場に弥助が現れたことに驚くこともなく、それをどこか当然の流れのように受け入れていた。鵺は尋ねる。

「俺を斬るか」

「なぜ、俺がお前を斬らねばならない」

浅葱(あさぎ)の言う通りだ。俺は、与一の追い忍を任されながら、捕らえる気などなかった。抜け忍に加担しているのだ。斬る理由としては充分ではないか」

戯言(ざれごと)だな」

「……」

「与一を敢えて捕らえなかっただと? さも己の腕があるように言っているが、そうではあるまい。与一の逃げ足が速く、捕らえようにもできなかっただけだろう」

「俺は、与一を逃がそうとしているのだぞ」

「与一は牢の中におり、お前はその外にいる。見張りもみな無事だ。お前が何をする気だったかなどは知らない。よって、俺にはお前を斬る理由がない」

「そこで何をしているっ」

 話していると、牢の方から声が上がった。見張りの一人が、松明(たいまつ)を手に近づいてくる。

「鵺と……なんだ、弥助か。ここで何をしている」

 声の正体が鵺と弥助であったことに少しばかり表情を緩めたものの、いまだ懸念の残る様子で見張りの男が尋ねた。

「中にいる与一に目通りたい」

 弥助がこともなげに答える。驚く鵺をよそに、弥助は続けた。

「里を抜けようとしたとはいえ、同じ里で暮らしていたのだ。最後に話がしたい」

「気持ちはわからないでもないが、それは駄目だ」

「なぜだ」

「与一はあまりに若い。今の与一を見れば、その境遇を憐れと思って逃がそうとする者が出ないとも限らない」

「俺が、そんな情に(ほだ)されると思うか」

 すると見張りは、もう一人の見張りと相談を始めた。弥助は、一切の私情を挟むことなく任務を遂行するということには定評がある。相談の結果、弥助を牢へと通すことにしたらしい。

「だが、鵺は……」

 鵺を通すことには懸念があるのだろう。言いかけた見張りに、

「俺がついている」

と、弥助がすかさず口を挟んだことで、見張りは何も言えなくなってしまった。その機に、鵺と弥助は岩牢に足を踏み入れる。そこへ、

「先客がいるぞ」

 もう一人の見張りが告げたことに、鵺と弥助は歩を止めて振り向いた。

「先刻、草之助を通した」

「草之助?」

 疑問を呈したのは鵺だ。

「なぜ、草之助を」

 弥助も怪訝に思っているらしい。

「草之助こそ、最も情に絆されやすい男だと思うが」

 それには鵺も頷く。

「いや、今回はそうでもないらしい」

「どういうことだ」

「どうも、与一に対して思うところがあるらしいのだ。珍しく怖い顔をしていたぞ。どうやら、与一は草之助を怒らせたようだな」

 鵺と弥助は顔を見合わせた。その後、二人は岩牢を奥へと進んで行く。

「今の話だが、何のことかわかるか」

 弥助に尋ねられ、鵺は(かぶり)を振った。

「いや。俺とて、草之助のすべてを把握しているわけではないからな」

「それはそうだろうな」

 ふっと、弥助が笑う。

 地下に続く梯子のもとまでやってくると、まずは弥助が梯子に手をかけた。だが、一向に降りようとしない弥助を不審に思った鵺は、梯子がかけられている縦穴に身を寄せる。

 下からは話し声が聞こえている。状況から考えて、草之助と与一だろう。

 鵺と弥助は、息を潜めて下からの声に耳を傾けた。


「与一。お前、鵺を利用したな」

 草之助の声だ。次いで、与一の声も聞こえてくる。

「何のことだ」

「お前が抜けた晩のことだ。なぜ、鵺が見張りの日を狙った」

「狙ってなどいないさ。たまたまだろう」

「抜け忍には死を……それが、伊賀全土に通用する掟だ。そんな大事に臨もうという者が、何の計画もなく行動に移すとは思えない」

「……」

「鵺ならば御し易いと思ったからではないのか」

「……」

「鵺なら、見つかっても情に訴えれば見逃すと踏んだか。それに、鵺をよく思わない者も少なくないからな。抜け忍を出したことで鵺を糾弾する声が広がれば、その騒ぎに乗じて逃げ切れると思ったのではないか」

「……いまひとつのところだったものを」

 与一が吐き捨てるように言った。

「思ったよりも早くに追手がかかったのには焦ったがな。やはり知らせねば己が罰せられるとでも思って、俺が里境を越えてすぐに知らせに走ったというところだろう。だが、追い忍が鵺とは……。俊足だと聞いていたが、まるで俺に追いつけもしなかったようだな」

「愚かだな、お前は」

 草之助の声の質が変わった。穏やかな口調は相変わらずのようだが、鵺にはわかる。草之助は、かなり怒りを感じているようだ。

「お前が抜けたことを知らせたのは鵺ではない、俺だ。鵺の次の見張りが俺でな、鵺の様子がおかしかったので問い質したのだ」

「ちっ、それで口を割ったのか」

「いや、割らなかった。だが、それから間もなく、お前の家の方が騒がしくなってな。お前が消えた、と。そこで、お前が里を抜けた可能性があることを頭領に伝えたのだ。その後、見張り番をしていた鵺も処罰しろという声が上がった。そこで、頭領は鵺をお前の追い忍にあてたのだ。己の汚名は己で晴らせ、とな」

「だが、奴は追手としてもしくじったわけか」

「そこが愚かだというのだ。お前ごときが、鵺から逃げられたと本気で思っているのか。鵺は、お前を捕らえるつもりなどなかった。俺にすら何も話さず、お前を本気で逃がそうとしていたのだ。もしかしたら、今もなおそう思っているかもしれない」

 ぎくりと、鵺は身を固くした。草之助が続ける。

「鵺が見張りの時を狙ったのは、よい計画だったな。もしも俺であったなら、お前は里の外に出ることはかなわなかったろう」

「そうか? あんたも鵺と同じ、いやそれ以上に甘いと思うが」

「よく勘違いをされるのだが、それは違う。俺は、人の心の機微に、人よりもわずかに敏いだけだ。だから、俺が鵺の立場であったなら、お前が俺を利用しようとしていることに気づいただろう。そして俺は、それを知ってお前を逃してやるほど優しくはない」

「……」

「鵺はな、おそらく知っていたぞ。それでも、お前を逃してやろうとしたのだ」

「……なぜだ」

「お前が抜けたとて、伊賀にとっても里にとってもたいした問題とはならないと思ったからだろう。それに、お前は隠していたつもりかもしれないが、お前が下忍としての暮らしに不満を持っているのはみな気づいていたからな」

 与一は、わずかに目を見開く。草之助は続けた。

「優しさは、忍びにとっては甘さとされ嫌われる。だが、鵺はな、俺たちは忍びである前に人なのだと言うのだ。そういう考えができる男なのだ。俺は、忍びでありながらも人とあろうとする鵺を尊敬している」

「……」

「だから、己の欲のために鵺を巻き込んだお前を、俺は決して許すことはできない。少しでも償う気があるならば、明日は潔く鵺に斬られるのだな」


 そこで、草之助と与一の会話はしばし途絶えた。

 弥助が、ちらりと鵺を見やる。鵺は、おもむろに立ち上がると弥助に背を向けた。そのまま、岩牢を出て行こうと歩き出す。見張りのいる出口付近まできたところで、弥助が鵺に声をかけた。

「与一に会わなくていいのか」

 鵺は、振り向くことなく答える。

「ああ。俺は明日、与一を斬らなければならない。会えば……決心が鈍る」

 そう言って、鵺はすたすたと岩牢を出て行く。その背を、弥助は黙って見送っていた。

 翌日の昼過ぎ、刑は厳かに執り行われた。

 与一は神妙な面持ちで座している。顔は青褪め、その身は震えていた。だが、それでも、最期に臨み凛とありたいと思ったのか、気力でもって己を抑えつけているように見える。

 そして、研ぎ澄まされた刀を握る鵺もまた、覚悟を固めたようだった。

 刑は一瞬のうちに終わった。

 鵺が刀を振り下ろした刹那、与一の体は力を失い、前方に掘られた穴に頭を突き入れたまま動きを止めた。穴の中で、与一の首と胴体は切り離されていることだろう。

 目を見張るべきは、返り血がほとんど上がらなかったことだ。鵺の着物には、一滴の血痕も見当たらなかった。鵺の傍らに控えたかすみが、刀についた血を懐紙で拭き取っている。

 はつもまた、里の者たちに紛れてこの光景を見ていた。

 ――処刑って、もっと恐ろしいものかと思っていたけれど……。

 意外に呆気なかったなと思いながら周りを見渡す。泣いている者は誰もいない。だが、みな、どことなく気落ちしているように見えた。

 ――同じ里の人が、それもあんな少年が死んだのだもの。やっぱり、忍びにも悲しむ気持ちはあるよね……。

 ふと、視線を前方へと戻す。

 ――あれ……?

 はつは呆気に取られた。先程までそこにいたはずの鵺がいない。後始末をするかすみだけが取り残されていた。

 首を巡らせ辺りを見回してみるが、どこにも鵺の姿を見つけることができなかったのだった。

与一の処刑は滞りなく終わった。

だが、はつがほんの一瞬目を離したすきに、鵺が姿を消した。

一体、どこへ行ったのか……。


次回、伊賀が騒がしくなります。

北畠と滝川の目論見を潰すべく、いざ丸山城へ。

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