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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第三部】 鵺
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第三章 鵺とかすみ

挿絵(By みてみん)


鵺の家は里の外れにあり、近づく者は少ない。

草之助を除けば、あとはかすみぐらいのものである。

はつは、家の前の植え込みで、かすみをよく見かけた。

かすみは、鵺をどう思っているのだろうか。

挿絵(By みてみん)




 目覚めると、例の如く(ぬえ)の姿はない。

「まあ、もういい加減に慣れたけれどね」

 ひとりごちたはつは、土間へと下りて水瓶(みずがめ)を覗き込んだ。水は、まだ半分ぐらいはあるようだ。その水で顔を洗い、身嗜みを整える。その後、寝間着から萌黄色の小袖に手を通した。

 里にきてから、いや、戦国時代に飛ばされてから、もう十日あまりになる。薄い敷布団で眠るのにも、ようやく慣れてきつつあった。だが、それでもひとつだけ、どうしても慣れないものがある。それは、気候である。肌を突き刺すような痛みを伴うこの寒さだけは、慣れようがなかった。

 はつは、両手を合わせて息を吹きかける。白い煙とともに温もりが手を包み込んでくれる。だが、それもほんの一瞬のこと。吐息の温もりはすぐさま空気中に消えて水分だけが肌に残され、さらに熱を奪っていった。しかし、それでも、かじかむ手をなんとか動かそうとさらに息を吹きかける。毎朝、目覚めてからしばらくはそれの繰り返しであった。そうでもしないと、火打ち石を持つことすらかなわないのだ。

 ようやく火打ち石を握れるようになると、鵺に教わったやり方で囲炉裏に火を灯す。灰の中の薪に火種がつくと、それを絶やさないように息を吹きかけた。次第に火が燃え広がり、薄暗い部屋の中にランプでも灯したように、その一部だけが温かい輝きを放っている。

 はつは、囲炉裏にかけたままだった鍋の蓋を取った。その中には、昨日はつが作った味噌汁が入っている。料理の腕はまったくなっていないはつだが、かすみのおかげで味噌汁だけはまあまあの腕前になっていた。

 ことことと鉄製の鍋が鳴く。ほどよい頃を見計らって、焦げつかないようにかき混ぜていたお玉杓子を置き、鍋を囲炉裏から外した。追い上げられるような熱から解放された味噌汁は、勢いよく白い湯気を立ち昇らせている。

 味噌汁を椀に注ぎ、菊乃から貰った大根の漬物を小皿に三枚乗せる。鵺が採ってきて拵えた山菜のお浸しを、菊乃の漬物の隣に添えた。それから、昨夜の残りの冷や飯を別の椀によそう。

 箸を手にすると、はつは味噌汁をちびりちびりと冷や飯にかけ、固まっていた飯を解した。また、さらに味噌汁をかける。普段、はつはこのような食べ方はしない。だが、冷えた飯をそのまま食べると、体が冷えるばかりか腹の調子も悪くなることを、鵺の家にきた初日に知ったのだ。それ以来、この食べ方を続けている。

 大根を一口齧る。相変わらずの美味であった。その隣のお浸しにも箸を伸ばす。こちらは、かなり水っぽいお浸しだ。鵺もはつと同様、度を超えた料理下手である。というよりも、食にはまるで興味がないようなのだ。はつの作る飯は、はっきり言って不味い。自分でも思うのだから、それを食す鵺はさらにそう思っていることだろう。しかし、鵺は食に対する文句を発したことは一度たりとてなかった。

 食事が済むと、はつは食器を片付けるなり盥に二枚の小袖を入れ、戸に手をかけた。

「あれ……」

 間の抜けた声が漏れる。戸を開けたはつの目に飛び込んできたものは、植え込みの辺りにしゃがんでいるかすみの姿だった。

「かすみ、何をしているの?」

「はつ、あんたはいつも同じことを聞くんだね」

 かすみは、こちらを見ることもなく言い放つ。

「あ、うん、そうだね。草花の観察をしているのだったよね。でも、私には不思議な感じがするよ」

「何がだい」

「そんなに違うものかな。私は植物のことはよくわからないけれど、鵺が特別上手に育てているというわけではないと思うのだけれど」

「……」

「だって、鵺は植物にかかりっきりになっているわけではないもの。むしろ家を空けていることの方が多いんだよ」

「植物はね、手を加えれば加えるだけよい花や実をつけるというものではないんだよ。時には手を抜いたり、しばらく放っておいた方がよい時もあるんだ」

「ふうん。けれどね、私は少し気になっているんだ。鵺以上に、かすみをここで見かけることが多い気がしてね」

「好きなんだね」

「え……」

 かすみの呟きに、はつは一瞬どきりとした。

「それって……」

「鵺の育てている植物さ」

「あ、そうか。そうだよね」

 はつの乾いた笑いに、それまで植え込みに向けられていた視線がこちらに向けられる。

「私は、鵺のことは好きでも嫌いでもないよ。まあ、里の連中には嫌いだと言ってあるけれどね」

「どうして?」

「そうしないと、私が爪弾きにされてしまうじゃないの」

「ねえ、かすみは知っているの? 鵺が里の人たちからよく思われていない理由を」

「すべてを知っているわけじゃないよ。ただ、浅葱が鵺を嫌う理由(わけ)なら知っている」

「それは、どうして? 浅葱はなぜ鵺を嫌うの?」

 話に食いついてきたはつを、かすみは右手を翳すことで抑えながら言った。

「待って。はつは、今から川に行くところだったんじゃないのかい」

「……そうだけれど」

「なら、私も行くよ。ここでただ立ち話をしているだけというのは、無駄じゃないか」

 両手についた土を叩き落とすと、かすみは立ち上がって腰を伸ばす。それから、一旦家に帰ったかすみだが、間もなく洗濯物を盛った盥を手に戻ってきた。

「待たせたね」

「そんなことないよ」

 そう答えたのは本心だった。はつは、本当にたいして待っていなかったのだ。かすみの家まで行くのに、はつの足ならば四半刻(しはんとき)(約三十分)はかかる。それを、かすみは往復した上に洗濯物を運びながらも、何をどうやったのかその半分の時間しかかけなかったのだ。

 不思議に思いながらもかすみが何食わぬ顔ですたすたと歩いて行くので、はつもそのあとを追って歩き出す。

 川辺に着くと、はつとかすみはそれぞれ着物を取り出して洗い始めた。

「それで、かすみ。さっきの続きだけれど」

 浅葱色の小袖を泳がせながら催促するはつに、かすみは淡々と語る。

「浅葱には、ふたつ年の離れた兄がいたんだよ」

「……いた?」

「五年前に死んだ。そのことを、鵺のせいだと浅葱は思っているらしくてね」

「そんな……どうして」

「鵺はね、里の中でも足が速いんだよ。浅葱の兄、左ノ助もそうだった。五年前、詳しい事情は言えないけれど、二人に物見(ものみ)(敵情を探ったり見張りをしたりすること)の任が下りたんだ。その任務中に、左ノ助は命を落とした」

「けれど、それが鵺のせいだなんて……」

「鵺は無傷で帰ってきた。けれど、左ノ助は死んだ。左ノ助は里随一の駿足の持ち主でね。足の速さだけなら、鵺は左ノ助に及ばなかった。浅葱としては納得がいかなかったのだろうね」

「浅葱が、お兄さんが亡くなったのは鵺のせいだと言ったの?」

「浅葱としては、そう思うしかなかったのかもしれないね。ともに行った鵺が無傷で左ノ助だけが死んだなんて、認めたくなかったのよ。鵺が左ノ助を見殺しにしたのだと思い込み、里中に触れ回った。そして、日頃から鵺を疎ましく思っていた里の連中は、その話に乗った」

「そんな……。鵺は何て言っているの?」

「何も。鵺は、その件については何も語ろうとしない。否定しないのは肯定の意だと、里人の大半は思っているのだろうね」

「かすみも……?」

 五年前の出来事を語るかすみには、一切の感情が見えない。

「かすみも、そう思っているの?」

 ただ事実だけを淡々と告げるかすみがどう思っているのか、気になって尋ねた。すると、着物を洗う手を止めたかすみが、はつをまっすぐに見据えて答える。

「どうも」

「え……どうも……?」

「どうも思いやしないわ。浅葱の言うことが事実だろうがそうでなかろうがね、どうでもいいのよ」

「どうでもいい……」

「例えば、鵺が左ノ助を見殺しにしたとして、里の誰もそれを責めることはできない。忍びにとって、最も優先させるべきは情報を持ち帰ることだから」

「……」

「最悪なのは、敵に捕まり向こうに情報を与えてしまうことだけれど、その次に厄介なのは二人とも死んでしまうことだよ。鵺まで死んでしまっていたらたいへんだった。あの時、鵺が生きて帰ってきたから、戦に早く備えることができたのだからね」

 そう言うと、かすみは再び、ざぶざぶと着物を洗う手に力を込める。

「まあ、浅葱の前ではそんなことは言えないけれどね」

「里のみんなも、浅葱と同じ考えなのかな」

「それは、浅葱が騒いだからよ。あの時、里にいた浅葱が事情を知っているはずはないもの。知っているとすれば鵺だけれど、鵺は何も語らなかったからね」

「……」

「左ノ助を見捨てたとも、左ノ助がしくじって命を落としたとも、なぜ左ノ助が死んだのかは言わなかった。ただ、左ノ助は任務中に死んだとだけ、そう言っただけだったのよ」

「そうなんだ……」

「頭領には事実を伝えているかもしれないけれどね。それを受けて、頭領が何も語らず鵺にお咎めもないということは、左ノ助の死について里人に広く知らせる必要もないし、鵺を罰する必要もないとお考えになったからではないのかしらね」

 話しながらもかすみの手は止まらず、既に三枚目の着物に手を伸ばしていた。一方のはつは、まだ一枚も洗い終えていない。

「私が知っているのはそれぐらいだね。もっと詳しく知りたいなら、草之助にでも聞いてみたらいいよ。もしかしたら、草之助には事実を話しているかもしれないからね」

「うん。そうだね……」

「それからね、あんまり濡れたままにしているのはよくないよ」

 きょとんとしていると、呆れた様子のかすみがはつの手元を指差して言う。

「早く洗って引き上げないと、傷んでしまうよ」

 見ると、浅葱色の小袖が、いまだに川の中を優雅に泳いでいた。はつは、慌てて洗濯に取りかかる。

「その小袖ね、左ノ助が浅葱に贈ったものなのよ」

 その言葉に、はつは手を止めてかすみを見遣った。

「仲のよい兄妹だったからね」

「でも、浅葱は捨てようと思っていたって……」

「捨てるはずのものを、洗おうとすると思うかい」

「それじゃ……」

「五年前まで、浅葱はよくその小袖を着ていた。それが、左ノ助の訃報(ふほう)を聞いて以来、ぱたりと袖を通すことがなくなってね。だから、あの日、浅葱がその小袖を川辺に持ってきた時、ようやく吹っ切れたのかと思ったんだよ」

「そんなに大切なものだったなんて……」

「それは、はつが気に病むことじゃないね。ただ、はつは、その小袖を大事にしてあげればいい」

「そう言えば、鵺と菊乃にも同じことを言われたね。その時は、意味がよくわからなかったけれど」

「菊乃は、浅葱と仲がいいからね。それに鵺は……優しい男だよ」

 もしかしたら、その時のはつはとてもおかしな表情をしていたのかもしれない。かすみにくすりと笑われてしまった。

「鵺は愛想もよくないし、口も悪い。でも、優しいよ。草花を見ればわかる。思いやりのない者に、あんなふうに育てることはできないもの」

「そうだね。うん、そうかもしれない」

「私が鵺の立場なら、浅葱のことを気にかけたりはしないと思うよ」

 不意に、かすみがはつに手を伸べた。

「貸して」

 はつの盥から梔子(くちなし)色の小袖を取り上げると、じゃぶじゃぶと洗い出す。見ると、かすみが持ってきた着物はすべて洗い上げられ、盥にこんもりと盛られていた。

「ありがとう」

「いいよ」

 その後は、二人とも洗濯に集中した。結局、かすみが五枚の着物を洗う間にはつが洗った着物は、浅葱色の小袖の一枚だけだった。

 梔子色の小袖を洗い終えると、かすみはそれをはつの盥に入れて颯爽と川辺をあとにする。

「これから、やるべき仕事があるんだ」

 そう言い残して。

「……美雪、どうしているかな」

 ぼそりと呟き、はつは親友に思いを馳せた。かすみと話していると、なぜか美雪といるような錯覚に陥るのだ。顔立ちも仕草も背格好も、まるで似つかないというのに。

 似ていないかすみと美雪の共通点はどこにあるのか。そんなことを考えながら、はつも川辺をあとにしたのだった。

浅葱が鵺を憎む理由がついに明らかとなった。


次回、鵺の苦手分野が明らかとなります。

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