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はつと鵺 〜天正伊賀物語〜  作者: 高山 由宇
【第二部】 里での生活
11/48

第三章 川辺にて     ※写真付

挿絵(By みてみん)


流石にそろそろ臭いが気になりますね……。

挿絵(By みてみん)




 はつは、少しばかり悩んでいた。

 昨日、井戸端で騒ぎに巻き込まれた経緯があるので、もう一人では出歩くまいと固く誓ったのだ。しかし、その決意が早くも崩れようとしていた。

「どこに行ったのだろう、(ぬえ)は」

 目が覚めると、またも鵺の姿がなかった。朝餉(あさげ)には顔を出したのだが、食べ終えると、忙しなくどこかへ行ってしまったのだ。その後、帰って来る気配がまるでない。しかし、はつはこの日、どうしても外に出たい用事があった。

「もう六日目だものね……」

 はつは、着ていたカットソーの裾を持ち上げて臭いを嗅いでみる。埃と汗とが混ざり合ったような、独特の臭いが鼻をついた。体は洗っているものの、毎日同じ服を着続けているのはいい加減に耐えられない。

「洗濯に行きたいんだけどなあ」

 呟きながら家の中を見渡す。ふと、目についたのは男物の小袖だった。おそらく鵺の物だろう。脱ぎ捨てられたように放り置かれた小袖を手に取る。おそるおそる臭いを嗅いでみるが、それからは温かい陽だまりの匂いがした。洗い立てを取り込んだものだったらしい。

「……これ、借りてもいいかな?」

 勿論答えはない。だが、尋ねようにも持ち主の姿が見当たらないのだ。それに、これ以上汚れた服に身を(くる)めているのは我慢ならなかった。

「洗濯する間だけ、借りるね。あとでちゃんと洗濯して返すから」

 相変わらず答えはないが、着ていた服を脱ぐと、はつは男物の小袖に手を通した。麻の生地がちくちくと肌を刺激する。鵺が着たならば膝丈ほどの小袖なのだろうが、はつが着るとふくらはぎまで届く上に、肩幅がまるで合っておらず全体的にぶかぶかだった。

「これでいいのかな……」

 着付けなどしたこともないはつは、羽織った小袖にただ帯紐を巻いただけという無様な姿になった。根本的に着方が間違っているだろうことはわかったが、どう直せばよいかはまったくわからない。洗濯する間だけなのだからと自分を納得させ、はつは土間に置かれていた盥を手に家を出たのだった。

 ――さて、どこに向かったものか……。

 はつは考えた。井戸の水を使ってもよいのだろうか。だが、それならば、昨日鵺が汲んできた水が(かめ)の中にある。それを使えばよいということになるが、昨日の労力を考えると、一滴足りとも無駄遣いしたくはないという思いが湧いてきた。

 ――そうか、川だ。

 ここは山の中にある里である。近くに川のひとつも流れているのではないだろうか。そう思ったはつは、川を探しに向かった。

 里の中心を避け、外れた場所をとぼとぼと歩く。

 何も、里の外れに川辺があると踏んだわけではない。しかし、里の中心に踏み込もうとすると昨日のことが脳裏を(よぎ)り、どうしても足が竦んでしまうのだ。できることならば、鵺と草之助以外の里人にはもう会いたくはなかった。だが、そんな思いも虚しく、川辺を探し始めてすぐに里人と思われる女と出くわした。

 年の頃は浅葱よりも幾分か若く見える。まだ、少女と呼べるぐらいの年齢なのかもしれない。

 浅葱は勝気で男勝りな印象だが、それに対してこの女は物静かだった。はつと目が合っても、無表情で、それでいて落ち着き払っているのがとても印象的だ。この六日間、憎しみの目を向けられ続けていたはつは、それをしない女に妙な居心地のよさを感じてしまい、気がつけばこちらから話しかけていた。

「こんにちは」

「……」

 女は無表情のままにこちらを見ている。

「あの、私ははつと言います」

「知っているよ」

「あ、そうですよね」

「かすみ」

「かすみ、さん……?」

「かすみでいいよ。もしかして、川を探しているのかい」

 かすみが、はつの手にした盥と衣服を見て尋ねる。

「あ、うん。そうなの」

「それなら、もうすぐそこだよ。私も今から行くところだったから、案内してあげる」

「そうなんだ。よかった。ありがとう」

 かすみについて少し歩くと、水のせせらぎの音が聞こえてきた。清々しい風が、髪を掠めながら吹き抜けていく。

挿絵(By みてみん)

 ばしゃばしゃという水音を辿ってそちらに目を向けると、そこにはふたつの人影があった。どうやら先客がいたらしい。はつは無意識のうちに立ち止まり、身構える。

浅葱(あさぎ)、菊乃」

 かすみが二人に声をかけた。振り向いた二人は、はつを見るなり険のある表情へと変わる。

「かすみ、川辺まで連れてきてくれてありがとう」

 傍らのかすみに礼を述べ、浅葱と菊乃がいる場所よりも下流へと向かって歩き出したはつだったが、

「待ちなよ」

 浅葱の声に呼び止められた。

「何で逃げるんだい?」

「別に逃げているわけじゃ……」

「なら、ここにきたらいいじゃないか。あんたも、着物を流しにきたんだろう」

 そう言われては、浅葱たちに混ざらないわけにもいかなかった。おそるおそる歩み寄り、浅葱の隣に屈むと手始めに下着を川の水に浸す。その際、布の巻かれた左の小指を庇う振りをするのは忘れなかった。

 ――そう言えば……。

 はたと気づく。この時代は、一体何で汚れを落としているのだろうか。水だけで汚れが落ちるとは思えない。横目で隣の浅葱を見る。白い色をした何かを使っているようだった。しかし、はつにはそれが何なのか見当もつかない。

「ほら」

 動きを止めたはつの思考を読んだのか、桶に盛られた白くて柔らかい粘土のような塊を、浅葱が差し出してきた。

「持ってこなかったんだろう。使いなよ」

「これは……?」

 浅葱だけでなく、傍にいた菊乃とかすみも目を白黒させている。はつの言葉は、どうやらかなり想定外だったようだ。

「米糠だよ」

「米糠……」

「あんた、一体どんな家で育ったんだい。米糠は着物を洗うだけじゃない。床を磨いたり、器を磨くのに使ったりもする。暮らしには欠かせないものだよ」

 そう言うと、浅葱が米糠を使って着物を洗って見せる。はつも、それに倣って洗い始めた。

 ――昭和の頃は、ワックス代わりに床を米糠で磨いていたって聞いたことがあるけれど、戦国時代では洗濯用洗剤にもなるのか……。

 驚きが感動となってはつを満たす。どこか楽しげなはつを、浅葱と菊乃は訝しむように見つめていた。

「あんたさ、何かひとつぐらい憶えていることはないのかい」

 着物を洗いながら、浅葱が尋ねる。

「名以外にさ、何かないのかい。あるいは、六日前には忘れていたけれど思い出したこととかさ」

「いえ、何も……」

「それが怪しいって言うのさ」

 菊乃が口を挟んだ。

「もしも記憶がないんだったら、知っていることは洗いざらい話そうとするものだろう。それをあんたは、知らないの一点張りだ」

生国(しょうこく)はどこだい?」

 浅葱に尋ねられ、

「宮城県、です」

 思わずそう答えてしまった。当然と言えば当然なのだが、浅葱と菊乃は怪訝そうな表情を浮かべて顔を見合わせている。それまで黙々と洗濯に勤しんでいたかすみまでもが、その手を止めて不思議そうな目をこちらに向けていた。

「もしかして、南蛮(なんばん)の生まれか何かかね」

「まさか。さすがに南蛮人には見えないよ」

「けれどさ、あんな着物見たことがないよ。南蛮衣装ってやつなんじゃないのかね」

「南蛮衣装なんて、見たことがないからわからないね」

「あたしだってないよ。菊乃は南蛮人がどんななのか知っているのかい」

「いや、知らないね」

「なら、こんな南蛮人だっているかもしれないじゃないか」

「でも、はつって名乗ってなかったかい。はつなんて名の南蛮人がいるのかね」

 あれやこれやと論じていた浅葱と菊乃の視線が、はつで結ばれる。

「あんた、はつって名だけ憶えていたんだよね。それって(まこと)の名かい?」

「え……」

「ほら、もしも南蛮からきたなら、商談のための通り名ってこともあるんじゃないのかと思ってね」

「いえ……たぶん、本当の名前だと思います……」

「ふうん、そうかい」

 ――危うく南蛮人にされてしまうところだった……。

 そう思いながら、ちらりと浅葱と菊乃を見る。二人ともどこかがっかりしている様子だ。南蛮に憧れでも抱いていたのだろうか。

 ――外国に憧れる、か……。

 はつは、くすりと笑った。浅葱と菊乃、それから現代の一般的な若者たちのことを思う。時代は違えども、そこに変わらないものがあることを感じ、はつは少し嬉しくなった。

「何を笑っているんだい」

 菊乃に指摘され、はつは思わず俯いてその口元を隠す。

「あたしらが南蛮に関心を持っていることが、そんなにおかしいのかい」

「違う、そうじゃない」

 喧々とした雰囲気になりそうだったので、否定するはつの声にも力が籠る。

「今、こうして話していたら、昔も誰かとそんな話をしたような気がして……」

 咄嗟の誤魔化しではあったが、二人は意外にもすんなりとその話を受け入れてくれたようだった。

「さてと」

 一声かけて立ち上がったかすみは、縮こまった腰を伸ばしながら言う。

「私はもう行くとするよ」

「もう終わったのかい」

 浅葱が驚いてかすみの盥を覗き込む。洗って脱水までされた洗濯物が、こんもりと盛られていた。

「三人が話している間にね。私はこの後もやることがあるのよ」

 そう言って去って行くかすみの背を見つめながら、

「あたしも、畑仕事をやらないといけないんだ」

と、菊乃も止まっていた手を動かす。浅葱も同様だった。

「あんたは遅過ぎやしないか。たったそれだけなんだろう?」

 浅葱がはつの手元を見て言う。確かに遅いと自分でも思う。しかし、初めてのことでなかなか思うように進まないのだ。それでも、下着とカットソーを洗い終え、最後のアンクルパンツを洗うところまでは漕ぎ着けた。

 はつは、一度立ち上がると膝を伸ばす。しゃがみっぱなしの足は痺れ、笑いが止まらなくなっていたのだ。

「あんたのその着物、それは鵺のかい?」

「……うん」

「はあ、仕方ないね」

 浅葱が、洗濯物の中から一枚の小袖を取り出してはつに手渡す。

「あげるよ」

「え、いいの?」

「ああ。どうせ捨てようと思っていたヤツさ。あんただって、洗濯のたびに鵺の着物を借りるのも面倒だろう。それに、だいぶ不格好な上、着付けが滅茶苦茶だよ。着物の着方まで忘れちまってるようだね。それとも、誰かに着つけてもらっていたりしたのかね」

「……」

「まあ、憶えてないっていうなら、今日のところはよしとするさ。洗濯に(とき)をかけ過ぎちまったからね。これからの仕事が立て込んでるんだ」

 浅葱も立ち上がる。盥に残った水をぱしゃりと川に放つと、天を仰ぐように腰を伸ばしていた。

「さて、あたしも行くよ」

「浅葱、ありがとう」

「ああ。はつもさ、いい加減に切り上げなよ」

 浅葱が去ってほどなく、菊乃も立ち上がった。

「菊乃も終わったの?」

 尋ねるが、菊乃はそれには答えず、

「あんたさ、その小袖……大事にしなよね」

と、それだけ言い残すと足早に立ち去って行く。一人残されたはつは、震える足を叱咤しながら洗濯に集中した。

 アンクルパンツを洗い終え、浅葱から貰った小袖に手をかける。それは、水色一色で仕立てられており、紋なしではあるが実に美しい色合いの小袖であった。

「浅葱色って言うのかな、こういうの」

 呟きながら小袖を川に流す。透き通る川の水の中を泳ぐ小袖はまるで白魚(しらうお)のようで、日の光を受けたそれは、より一層にきらきらと輝いて見えた。

思ってもみなかった浅葱からの贈り物。

はつは、仄かに胸が温かくなるのを感じていた。


次回、はつと菊乃のお話です。

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