77
今までずっと一人で暮らしてきた。交通刑務所の生活も存外、悪くないかもしれない。刑期を勤め上げれば魚沼との生活が待っている。臭い飯というやつも実際はそれほどひどくはないと聞いたこともある。と、希望的観測を抱いていたが、甘かったようだ。
事故のあと、豊は長い取調べを受け、精神的にも追い込まれた。まるで自分が犯罪者のように扱われ、人格まで否定されるのには納得できないものがあった。
並みの者ならそこで心が折れ、自分の首を閉めるような証言をしてしまうものなのだろうが、豊は狙って事故を起した。それが豊に闘争心を持たせた。
取り調べ、拘留、裁判。それらはどれも苦痛を伴い、長く、厳しい戦いだった。
豊の起した事故で死んだのは増井少年だけではない。一緒に登校していた少年が巻き添えで一人が死亡。もう一人は重体だったが、なんとか一命は取り留めた。
その事もあり、子供達の遺族は被害者の会を結成し、豊に重い量刑を課すべく行動を起こした。が、豊の弁護士は優秀だったと見え、豊が高齢者であること、低所得者であること、乗っていた車がいつもと違うものだった、等々の酌量材料をフルに活用。ついに豊は交通刑務所への半年間の服役を勝ち取ることに成功したのだった。
交通刑務所の暮らしも噂で耳にしたとおり、さほどひどいものでもなかった。だが、それはそれで精神的にくるものがあった。更正プログラムに従い、規則を守って生活しなければならない。時間は常に分刻み。やる事も大してないので一日がとにかく長い。老いた身には耐え難い日々だった。これなら孤独でも、あの独りきりの生活の方が自由な分、ずっとマシだった。娯楽といえるものも食事と排泄。一時間程度の休憩時間くらいのものだった。
そしてもっとも耐えがたかったのが、豊よりずっと若い職員に罪人として扱われ、人としての尊厳も許されないことだった。高齢者の豊にとっては受け入れがたい責め苦だ。これが毎日続くと思うと、半年後がとても遠いものに感じられた。それでも豊は、塀の中でひたすら魚沼を想い続け、手製のカレンダーに日々、バツ印をつけて、それに耐えるほかなかった。
自由時間、豊はグラウンドの隅に腰掛ける。すると大抵、豊と同世代の服役囚が隣に座り込んできて、聞いてもいない身の上話をしてくる。暴走した挙句、歩行者を三人も巻き込んだ豊はちょっとしたヒーローだった。ただし悪い意味で、である。
服役囚達は豊を下に見ることにより、自身の精神の安定を図ろうとしたのだ。彼らはおしなべてまず自分の言い訳から始める。運が悪かっただけだ、決して酔ってたわけじゃない。あるいは、あんなの避けられるわけがない。横断してきた婆さんが悪い。俺は運が悪かった、などと、ほぼ例外なく運が悪かったと言い訳する。そして決まってこう締め括る。
「河村さん。あんたはいいよ。運が悪かったわけじゃなくて、自分で操作を誤って、二人も死なせといて、それでも半年座ってりゃあいいんだから。俺なんか不幸が重なって、不可抗力で殺人犯にされちまったんだから。だからさ、あんたもそう腐りなさんな。これで車と縁が切れたと思えばめっけもんだよ。まあ、あんたに車の運転は向いてなかったってことだな。免許の再取得はやめといた方がいい。ははは」
こんなことを言われる度に豊ははらわたが煮えくり返った。俺はお前等とは違う。自分の未熟な運転技術を棚に上げ、すべて不運のせいだと言い訳して、自分は百パーセント悪くないと思っているような輩は根本的に間違っている。人間ができていない。そんな連中がハンドルを握れば公道を我が物と勘違いして、遅かれ早かれ事故を起す。お前等は運が悪かったわけでも、相手が悪いわけでもない。命が助かっただけ、運が良かったんだ。お前等に殺された連中こそよっぽど不幸だというのに、お前等はそのことに気付きもしない。一緒にするな、と。
だが、豊は操作を誤って情状酌量の余地ありと判断されたのだ。そんなことは口が裂けても言えなかったし、言ったところで負け犬の遠吠えでしかない。
服役囚に義務付けられる贖罪の活動も豊の心を苛んだ。
坊主の説法は豊の心には全く響かない。豊は魚沼を手に入れるため、計画を練り、故意を過失に見せかけた。そんな豊に人の運やら、仏の巡り合わせなどを説いてもらっても、大きなお世話としか思えない。事故を起した豊が罪の意識から自暴自棄になっていると勝手に思い込み、一方的な救済の押し売りに鼻白む思いだった。仏前で手を合わせ、経を唱えて死者の供養をする時間も豊には衰えた膝を酷使する、ただの拷問だった。豊くらいの齢になると神仏ほど避けて通りたいものはない。そんなものに関わって、経まで唱えていると、いよいよ自分にもお迎えが近付いていることを実感せざるを得なくなる。あるいは、豊は罪人として本能的に神仏を遠ざけたかったのかもしれない。
また、被害者遺族への謝罪の手紙も苦痛を強いた。反省しています、申し訳ありません、などと、白々しい謝罪の言葉を書き出す作業は苦痛以外の何者でもない。増井の息子は殺されても仕方ないと豊は考えている。そう考えることによって豊は自分の犯した行為を正当化しようとした。巻き添えを食った子供には悪いとは思ったが、豊の進路に入った子供の方が悪いと考えて罪悪感を回避しようとした。だが、手紙を書いていれば嫌でもそれと向き合わなければならなくなる。心にもない謝罪の文章を書くという行為は、豊にとっては自己の否定であり、自分は正しいことをしたという、心の拠り所を削っていくような作業だった。だが、少しでも心象を良くしておかなければ服役期間の短縮は望めない。魚沼に会いたい一心で、豊は自分の心を削ぎ続けた。
そんなことを繰り返すうち、豊は悪夢に悩まされるようになった。




