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「淀水。待たせたのう。準備は概ね整った。後は条件さえ揃えば、実行に移すだけじゃ」
「条件?」
「計画の実行には雨が降っているのが条件なんじゃ。それともうひとつ、この連絡を最後に、淀水は俺と関わらん方がええ。連絡も一切せん。もしなにかあっても、淀水は俺とはなんの関わりもない、その態度を貫いて欲しいんじゃ」
「豊さん……本当にいいんですか? 私なんかのために、そこまでしていただいて。今ならまだ、考え直せるんですよ」
「でも、俺がやらなんだら、どうせ淀水がやるんじゃろう? そんなことをお前にはさせられん。してほしゅうもない。男として、そんなことを見過ごせるか。どうせ老い先短いオッサンじゃ。なら残りの人生、お前のために使うのも悪うない。淀水にも、そんな男が世の中に一人くらいはおらんと悲しいじゃろ」
「豊さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。私、豊さんをこんなことに巻き込んでしまって、一体どうやって償えばいいのか、それさえもわかりません」
「謝らんでもええ。これは俺がやることなんじゃ。間抜けにも乗り慣れない車で下手を打って、事故を起す。全国で頻発する、ありふれた事故じゃ。特別なことはなにもない。淀水は何も気にせんでもええんじゃ。いや、気にするな。決して、気にするんじゃないぞ」
「……はい」
「願わくば、すべてが終わったら、俺と一緒になってくれんか。年寄りで少し手がかかるかもしれん。お前を嫌な気分にさせることもあるかもしれん。でも、俺は淀水が好きなんじゃ。一緒にいたいんじゃ。どうせ長生きもできへんから、いつまでもお前の世話にはならんと思う。もちろん、お前が嫌じゃというなら、俺は無理強いはせえへんよ」
「そんなこと、できません。私のためにそこまでしてくれる豊さんを見捨てるなんて、私にできるわけ、ないじゃないですか」
「そうか。ありがとうな。ただ、ひとつ約束してくれ。これが済んだら、もうお前は昔のことや、増井のことなんか綺麗さっぱり忘れて、自分自身の幸せを考えて欲しいんじゃ。俺もできるだけ協力する。だから、これからは幸せになってくれ。これが、俺が淀水にする、たった一つの要求じゃ」
「はい……はい」
電話の向こうで、魚沼が泣いているのが豊に伝わった。豊は電話を切り、魚沼との履歴を断腸の思いで消去した。
「淀水。待たせたが、今、やるぞ。成功を祈っててくれ」
豊はそう呟いて、息を吐いた。緊張はしているが、頭ははっきりしている。手も震えていない。豊は自分でも驚くほど、ここまできても冷静だった。
キーをひねりイグニッション点火。ややうるさいエンジン音を立てて、豊は軽をゆっくりと発進。道路際に出てウインカーを出す。住宅地のコンビニなので駐車場は狭いが交通量は少ない。それも豊はリサーチ済みだ。すべての条件は整っていた。




