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その日は生憎の雨だった。いや、正確には雨の日に決行しようと決めていた。降りすぎず、視界が塞がれない程度の、それでいて傘をさしてしまう、そんな中途半端な雨。春にはそんな雨の日が何日かある。
なにもゲンを担いだわけではない。雨の日は事故も多く、小学生は黄色い傘をさす。本来はドライバーに注意を促し、事故を防ぐものではあるが、逆の立場にすればそれはターゲットの目印になる。豊の衰えた目でも、それなら狙いを外さない。そして豊の背を押す、ほんの少しのきっかけが欲しかった。
豊は小さな軽をコンビニの駐車場に停め、ターゲットの接近を待つ。タバコを手にし、運転席に身を沈めて獲物を待っていると、熟練の狙撃手かマタギにでもなった気分だ。
雨に混じって桃色の桜の花びらがどこからか舞っている。魚沼にこの話を頼まれたあの晩から、もうひと月半経っていた。その間の時間を豊はほぼ、この計画に費やした。決行の時間は刻、一刻と近付いている。見慣れない運転席の中央部にある、古臭いデジタル時計に目をやる。ひと昔前の緑色の数字が、ターゲットが来る十分ほど前を示していた。折りよくタバコを吸い終わり、灰皿に押し付ける。これでタバコの箱は空になった。豊は軽から降り、コンビニの店内に入る。初めて入るコンビニだったが、雑然として人が多い。出勤前の会社員や、労働者。仕事すらしていそうにない若者、通学途中の学生などがたむろして、店員も忙しなく動いている。豊は混み合うレジに並ぶ。前の客が買い物を済ませると、豊は店員にいつものクリアマリンライトをひとつ注文。
「はい。クリアマリンライト、ひとつですね。少々お待ち下さい」
店員がこなれた調子で棚から商品を取り出す。
「おお。これじゃこれじゃ。今、たまたま切らしてしもうての。道にも迷って散々じゃ」
豊はわざとらしく、普段はしない力士が切る手刀の仕草をして商品を受け取った。緊張しているのか、少し身振りが大袈裟になっている。だが自分を店に印象付けておかねばならない。それくらいで丁度いいと思った。それから店内を少し歩く。すると道路に面した雑誌コーナーの窓から、三つの黄色い傘が見えた。豊の鼓動が早まる。増井の息子は毎日、仲良しと思しき二人の小学生と登校している。少子化ゆえか、昔は集団で登校していたようだが、今は小さなグループでの登校。豊としてはありがたい限りだ。無駄な犠牲を出さなくて済む。
豊は自然な動作を心掛けて店を出、自動車屋で借りた代車の運転席に乗り込む。
「この車はオートマですので、運転の際はくれぐれもご注意下さいね」
「ああ、分かっとる分かっとる。なるべく乗らんけん、そう心配するなや」
車を借りるときのやりとりを思い出した。車検はまだ少し先だったが、調子が悪いと理由をつけ、ひと月前倒しでタプリを出した。車屋にすればいい仕事が入ったと思ったことだろう。だが、この代車はもうじきスクラップになる。少し心が痛む。
三つの傘は通りを歩き、角を曲がった。登校コースは頭に入っている。ドライバーに注意を促す標識がある緩やかなカーブに三人が近付くには、いま少し時間がかかるはずだ。
豊はポケットから携帯を取り出し握り締めた。ひと月前、豊は魚沼との通話を最後に、一切の連絡を断った。メールもすべて削除した。
事故に見せかければ通話履歴まで調べることはしないだろうが、万一がある。魚沼との繋がりの形跡を消しておく必要があった。豊は目を閉じ、魚沼との最後のやりとりを思い出した。




