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「みなさーん。私達の住む地元に、誇りを感じてますかー」
選挙カーの上で叫ぶ若い候補に、周囲の年寄り達が手を振っている映像がテレビに映し出される。次いでインタビュー映像に切り替わる。候補の名は一色たかし。数十年前、何度も市長選に立候補してその都度、現職市長に負け続けた候補の息子らしい。地方局は親子鷹の悲願達成、リベンジ選挙として選挙戦を盛り上げている。
インタビューは事務所で行われているらしく、後ろには候補の看板。誇りを取り戻せ! というスローガンが書かれている。若い候補はマイクを向けられ、地域の経済活性、誇りを持てる街づくりなど、耳あたりのいいことを言っている。豊が漠然と画面を眺めていると、候補の背後に控える女性達が目に入った。通称一色ガールズ。候補の応援や選挙戦を手伝う才媛たち、という触れ込みだった。それほど侍らせる女がいるなら、一人くらいこっちに回してくれと言いたい気分だった。
次に画面は一般人のインタビューに切り替わる。画面に一色候補について、と、テロップが表示される。
「んもう、大好き。男前でしょ、若いでしょ。ピチピチして元気いいし。ウヒャヒャヒャ。たかちゃーん。応援してるわよー」
山間部で農作業にいそしむ推定六十代女性がカメラに手を振っている。次いで仕事帰りと思しき定年間際のサラリーマン。
「ええ、まあ、若いからといって、それだけで私は判断材料にはしません。私の会社にも彼と同年代の部下がいますが、皆それぞれです。ケースバイケースで考える必要があるでしょうね」
結局なにが言いたいのかよく分からない。こんなものを公共の電波に乗せるくらいなら、自分の方がずっといいコメントをしてやる、と思った。
魚沼が豊に別れを告げてからひと月あまりが経った。その間、豊はまるで抜け殻のように無気力となり、生命活動以上の行動を起こさなくなっていた。
自然、部屋の中は以前にも増して散らかり放題となり、家の外にまでゴミ袋を置きっぱなしにして、よくワイドショーで見られるごみ屋敷の様相を呈しつつあった。
それでも食事をしなければ生きていけない。食料は近くのコンビニで調達。以前は節約のためにとスーパーまで繰り出していたが、それもしなくなった。
あのスーパーに行けばどうしても魚沼の影を追ってしまう。もちろん会うことはない。魚沼の方もスーパーに買い物に来なくなったか、あるいは時間をずらしたのか、とにかく、魚沼に会うつもりがないのだから偶然再会する可能性は皆無に等しい。
その事実を嫌でも思い知らされてしまうため、あのスーパーには行き辛くなってしまったのだった。
なぜこれほどの虚無を感じるのだろうか。豊はテレビの映像を漠然と眺めながら、ずっとそのことを考えた。以前から何年も独りだったではないか。その状態に戻っただけだ。たまたま出かけた先で魚沼と会い、一緒に過ごした時間は一週間にも満たない。それなのに、なぜにこれほど別れが身に染みるのか。出会う前の状態に戻っただけで、こんなにも辛いのか。幸福の副作用というべきか。一度味わった幸せはおいそれと忘れられない。それがいつの間にか、当たり前のように思えるからだ。幸せを手にすればそれがいつまでも続くものと思ってしまう。もっともっとと、幸せを欲するようになってしまう。
魚沼に会ってから人生に潤いが戻った。活力が沸いた。だが、それは会って間もなかったからだ。何度も会い、関係が深まればお互いの嫌なところも見えてくる。我慢も強いられるようになるだろう。金のトラブルもないとは限らないし、なにより、衰えた自分が女盛りの魚沼を満足させる自信もない。それを思えば、まことにいいタイミングで別れたといえなくもない。
だが、頭でそうと理解はできても、心の整理がつくわけではない。豊はどうしても、魚沼との思い出を思い出にすることができない。豊の中では、まだ魚沼との関係は続いているのだ。魚沼に別れを告げられてから、豊は今まで魚沼から届いたメールを何度も何度も見返し続けた。魚沼の写真。魚沼の文章。踊る絵文字。それらが今の豊と魚沼の、ただひとつの繋がりだった。
タバコを吸おうと思ったが、箱は空だった。買い置きはなかったかなと辺りを探ってみたが、すべて空箱だった。これを機に禁煙でもしようかなと思ったが、一時間もすればタプリでコンビニに買いに行く自分の姿が想像できた。
夕方のワイドショーも終わりの時間が近付き、天気予報が始まった。最近めっきり暖かくなり、コタツをつけなくても済む日が続いている。明日もうららかな陽気に包まれると報じている。カーテンの隙間からは春の夕暮れの光がぼんやりと差し込んでいた。季節は春に移りつつある。だが豊の心はまだ寒い冬のままだった。
天気予報はもうすぐ桜の花が咲き、花見シーズンの到来は近いと締め括った。そんなニュースを聞くたびに、また豊は世間と隔絶されたと感じてしまう。世の中の誰一人として、自分に見向きもしない。存在さえ気付いてくれない。
俺はここにいる。生きているんだ。そう、叫びたかった。自分の存在を世間に認識してほしかった。自分はもうすぐこの世からいなくなる。だが、今でも大差ないではないか。これでは死んでいるのと同じだ。飯を食い、金がかかる分、死んでいるよりタチが悪い。犯罪に走ってでも、自分の存在を知らしめたい。自分は死人なんかじゃない。生きているんだ、と。
すると、豊の心の叫びに応えるように携帯が鳴った。ひと月ぶりに聞く着信音だった。充電器に差していたのでわざわざテレビの近くまで移動しなくてはならない。それでも豊はすぐに立ち上がり携帯を取りにいく。契約会社からの案内でも、なんでもよかった。いや、心のどこかで魚沼からの連絡を期待していた。だから充電だけは絶えず行い、常に着信に備えていたのだ。そんなことはありえないと思いつつ。




