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居間に戻るとそこはいつもの光景。部屋の中は散らかり、灰皿もゴミ箱も溢れんばかり。鎮座するテレビにはうっすらと埃が張り付いている。コタツのスイッチを入れ、その中に足を突っ込むと大きな溜息が出た。
今朝、この部屋にいたときは期待に胸膨らませていた。魚沼とショッピングモールを歩ける。実際には面接の付き添いだったが、それでもよかった。魚沼を助手席に乗せた。食事も楽しんだ。魚沼の方から腕も組んできた。そのときは妙に恥ずかしかったが、いま思い返せばこの上ない幸せだ。そして魚沼が自宅に来る約束まで取り付けた。
すべて順調すぎるくらいだった。なにも不足はない。それなのに、なぜこれほど憂鬱になってしまうのだろうか。
理由は明白だ。最後に現れた、あの増井という男がすべてぶち壊しにしてくれたのだ。
あの男は自分の知らない魚沼を知っている。今まで豊が見たこともない表情を魚沼は見せていた。それがあの男、増井と魚沼が共有した時間の距離であり、関わりの深度である。昨日今日、出会ったばかりの自分との、埋めえない差として横たわっていた。
魚沼も多少、浮世離れしているところがあるとはいえ、今時の娘だ。男の影がちらついたとて、さほど驚くには値しない。だが現実にその姿を見せ付けられると、まったく考えないわけにもいかなかった。タバコに火をつける。
以前、魚沼は言っていた。仕事に就いたものの、職場の人間関係が上手くいかず、いくつかの職を転々とした、と。増井とはその頃に出会ったのだろうか。ショックなのは、増井が魚沼より二十は年上の年代ということだった。
恐らく、二人が関係を持っていたのは魚沼が二十代くらいの頃と考えられるから、その頃から魚沼は異性に対して父性のようなものを求めていたのだろう。その当時、増井は四十代だったはずだから、結婚して家庭を持っていた可能性が高い。だとすれば、あのときの二人のやりとりはすべて推測できる。
魚沼はいかにも不倫に向いた女といえる。本人が聞けば気を悪くするだろうが、男の目から見ればそうだ。社交性が乏しく、寂しがりで、そのくせ家庭への欲求が強い。結婚願望も強いのかもしれない。そんな魚沼に父親代わりとして慕われれば、そこに付け入れば容易に関係が持てそうだったし、自分もそうしようとした。増井と自分の違いは不倫になるか、ならないか。その程度のものだ。
結婚をちらつかせてやれば魚沼はいくらでも丸め込めそうだったし、事実、増井もそうしていたであろうことは想像に難くない。だが、どこかで関係が破綻し、魚沼は別れた。いや、もしかすると増井の方が一方的に捨てたとも考えられる。そう考えた方が、二人のやりとりも説明がつく。
家庭か保身のために関係を清算した増井だったが、ほとぼりが冷めた頃に偶然再会し、また不倫の虫が騒ぎだした、そんなところなのだろう。
あのときの魚沼の反応を見るにつけ、まだ増井との関係を引き摺っているようではあった。もしもあの場に自分が居なければ、魚沼の方もまんざらではなかったのかもしれない。
とりあえず自分の目を気にしてか気丈に振舞ってはいたが、別れた後の動揺を見るにつけ、やはり魚沼の方にも未練があるのだろう。そこに自分が入り込む余地などないように思えた。




