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「豊さん。豊さん」
魚沼の声と、肩を軽く叩く振動で目が覚めた。びっくりして起きたが、夢でよかったと安堵した。
「変な夢でも見てたんです? なんか、呻き声みたいなの出てましたよ」
「ああ、そうか。うん。確かにおかしな夢だったな。そんなに変な声を出しとったか」
「ええ。もしかして呼吸困難になったんじゃないかって、心配しましたよ」
「すまんすまん。で、仕事は見つかったか?」
「いくつか見繕っただけですけどね。これから受付に求人票を提出するところです」
「そうか。今度はうまくいくといいのう」
「ごめんなさい。こんなつまんないことに付き合わせちゃって。退屈だったでしょう?」
「いや。ええよ。どうせ暇な身じゃ。これで淀水ちゃんが勇気付けられれば、お安い御用じゃ」
魚沼は軽く手を振って受付の前の椅子に座った。しばらく話して、受付の女が電話をかけ始めた。これから魚沼の次の職探しが始まるのだろう。豊はうまくいかないことを願った。落ち込む魚沼を自分が慰める。そうすることによって、さらに距離が縮まりそうだ。もしかすると魚沼が男として自分を求めてくるかもしれない。そんな夢想をした。
それはともかく、妙な夢だったと思う。魚沼がひと昔前の革命活動グループの一員で、自分もそこに参加させられるなどと。なにか、そんなドラマか、ドキュメンタリーでも最近見たかなと思ったが、そんな番組は見ていない。やはり心のどこかで魚沼に警戒心を抱いているのだと思った。
受付から魚沼が戻ってきた。
「どうじゃった?」
「どうにかひとつ、面接までこぎつけました。明後日、お店で面接です」
「お店?」
「ええ。豊さんのアドバイスを受けて、今回は接客業に絞ってみたんです。それが当たったかな。衣料ディスカウント、ウニむらです」
魚沼がピースサインで応えた。余計なことを、と、過去の自分を軽く呪った。
「もうお昼過ぎちゃいましたけど、これからどこかでお昼しません?」
魚沼が近所に行きつけのファミレスがあるという。嬉しい申し出だったが、豊はしばらく考え込んだ。
「ぜひ、行きましょうよ。私もうお腹ペコペコで。今までずっと一人で食べて寂しい思いしてたけど、今日は豊さんと一緒にリベンジです」
「うん。まあ、それもええが、その前に薬局に行かんか? 淀水ちゃんの言う消臭剤を買うておきたいんじゃ」
「あ、そうでしたね。ドラッグストアなら歩いた方が近いですよ。一緒に行きましょう」
魚沼の言うとおり、ドラッグストアは道路の向かい、五十メートルほど離れた場所にあった。店内を巡り、車内だけでなく、自分の体にも使えそうな物を探す。タバコの臭いが染み付いているなら、体臭にも気を付けておく必要がある。魚沼がこれがいいと勧めてきたのはよくコマーシャルで見るものだ。気になる価格は周囲の物と比べて高くもなく、安くもなく。だがなぜ、たかが臭いを除去する物が一本五百円近くもするのか。年金生活者には痛い出費だ。とはいえ、ここまで来て手ぶらでは格好がつかない。二本買う予定を一本に変更し、渋々購入。店を出て豊が切り出した。
「今気付いたんじゃが、財布にあまり入ってなかった。昼飯にしようにも淀水ちゃんに奢れそうもない」
「あ、そんなこと気にしなくてもいいです。私が奢りますから」
「いやいや。仕事を探しよる淀水ちゃんにそんな真似はさせられん。そこでどうじゃろう。
今回は割り勘ということにして、スーパー近くの牛丼屋に入らんか? そこなら俺も、自分の昼飯代くらいは出せるぞ」
疑いたくはなかったが、魚沼の案内する店にホイホイ入りたくなかった。ついて行ったらそこに男が待ち受け、あるいは後からやってきて、俺の女に云々言いがかりを付け、慰謝料などを請求される恐れがある。昔からよくある美人局の手口だ。魚沼がそんな悪事に加担するとは思いたくはないが、あまりにもうまく行き過ぎるとどうしてもそんな疑念が頭をもたげてくる。もしこのまま魚沼が予定の変更を拒み、頑なに当初のプランを押し通そうとするなら魚沼は限りなくクロに近い。豊は探りを入れてみたのだ。
「そうですね。無駄遣いはよくないですからね。さすが豊さんは人生経験豊富なだけあって、計画的だなあ」
考えすぎだったか。魚沼は感心しきりであっさり豊の提案に乗ってきた。疑った自分を嫌悪しかけたが、まだ油断はできない。今回は諦め、後日改めて計画を実行に移す、とも考えられる。いや、そんなことをせずとも、今は携帯という物があるではないか。それで男を呼びつけるつもりではないのか。豊は自分の浅慮を悔いたが、後の祭りだ。もうこうなったら魚沼の動向に注意し、スマホをいじり始めたら危険と判断するしかなかった。




