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その瞬間、豊は大変なことに気付いた。
「あの、豊さんって、タバコ吸われるんです?」
迂闊だった。自分では気付かなかったが車内にタバコの臭いが染み付いていた。喫煙習慣のない者はすぐその臭いに気付く。しかも魚沼の表情は明らかにタバコを嫌悪する人種のものだ。豊は頭をフル回転させ、この局面を切り抜ける妙案を模索した。
「ああ、タバコ臭いじゃろう。俺もこの臭いには辟易しとる。実はこの車は知り合いが免許を返納して安く譲り受けたんじゃが、そいつがヘビースモーカーなもんだから、臭いが染み付いてなかなか取れんのじゃ。ま、人に言うのも恥ずかしい値段で買うたもんだから、贅沢は言えんがな」
以前、娘の彩子が免許の返納を迫ったので、咄嗟にそんな言い訳が出た。このときばかりは娘に礼を言いたい気分だった。
「あ、そうなんだ。今時はいい消臭剤があるから、それを使えば大分改善されると思いますよ」
「おお、消臭剤か。男やもめだから、そがいな発想はなかった。このスーパーにも置いとるかのお」
「多分あると思いますけど、職安の近くにあるドラッグストアの方がいいと思いますよ」
「そうか。じゃあ、そこでひとつ買うてみるか」
うまくごまかせたかは分からないが、なんとか切り抜けることはできた。ひとまず胸を撫で下ろす。
「ふふっ。なんだか、お父さんみたいですね」
職業安定所への道すがら、魚沼がぽつりと言った。外気はまだ暖かいとは言いがたいが、車内の空気を循環させるため、窓を少し開けている。
「うん? なにか言うたか?」
聞こえてはいたがあえて確認してみた。
「なんでもありません」
魚沼は前方を見つめたまま、いたずらっぽく言った。やはり魚沼は自分を父親代わりにして幼少期に満たされなかった感情を埋めたいのだろうか。そういう思慕から歳の差婚に発展するというのはよく聞く。ハンドルを握る豊の手に思わず力が入る。
安定所は町の中心部にあるので道路はそれなりに混雑している。だが豊は目的地までなるべく時間をかけたかったのでいつものようにイラつくことはない。むしろ前を走るトロい車に感謝したいくらいだ。
「そういえばさっき、男やもめって言ってましたよね。あの、こんなこと聞くのは失礼なんですけど、奥さんは、いらっしゃらないんですか?」
きた。さっき言い訳したときにほのめかした自分の境遇を魚沼の方から聞いてきた。こんなことを聞いてくるということは、やはり自分に気があるのではないか。異性として見ているのではないか。豊は興奮を抑え、努めて平静を装う。




