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「お願い、か。俺みたいな年寄りがなにかの役に立つとも思えんが」
コーヒーをすすりつつ横目で店内の時計を見ると、すでに二時間以上も話し込んでいた。魚沼が今まで黙って自分の話を聞いてくれたのは、そのお願いとやらを通す魂胆だったかと思うと、もう豊は帰りたくなってきた。が、ここまで自分が一方的に話しておいてさようならとはさすがに言えない。ならば魚沼の要求がどんなものか、聞いてから判断してもよかろうと思った。あまりにも無理なものなら断れば済む話だ。
魚沼はしばらく逡巡すると、意を決したように、両手をテーブルの端につき、まるで土下座のようなポーズで頭を下げた。
「お願いします! 私を弟子にして下さい!」
下げた頭がテーブルに当たり、ゴツンと小さな音がした。急に大きな声を出したので店内の客、店員が一斉に注目。好奇の目に晒された豊が慌てて魚沼を宥める。
「お、おいおい。若い娘さんが公衆の面前で頭なんぞ下げるもんじゃない。皆がこっちを見とろうが。顔を上げてくれ。大体、弟子とはどういうことぞ。俺はなんの家元でもないぞ」
「いてててて。えへへ」
魚沼がおでこをさすりながら頭を上げる。黒縁のごつい眼鏡が少しずれていた。
「私、人と話すのが苦手で、職場でいじめられて、仕事も転々としてるって話はしましたよね」
魚沼は身の上話を訥々と始めた。
魚沼は職場だけでなく、学生の頃からいじめにあっていたらしい。確かに、魚沼のファッションセンスはいかにも浮いている。性格もおとなしそうだし、いじめられやすいキャラクターといえば、いえる。また、魚沼は幼い頃に父親を亡くしたらしい。高校を出る頃には母親との関係も悪くなり、別居同然で家を出たのだとも言った。
「で、それで仕事にありつけたのが高校を出て三年も経った後で、そこもすぐに辞めちゃって今はプー。根性がないんですよね。私、見た目も性格もこんなだから、彼氏もできなくって、もう毎晩泣いてたんです。いっそ死んじゃった方が楽かなって思ったことも何度もあります」
魚沼は急に俯きがちに低いトーンで話し始めた。その姿は根の暗い女そのもの。今の魚沼の方がよほどイメージに合う。やはりさっきまでは無理に明るく振舞っていたのだと思った。
「そんなときに河村さんを見たんです。自信を持って、言うべきことを堂々と言って、間違ったことははっきりと間違ってるって言える。ああ、世の中にはこんなまっすぐな人もいるんだな、私にもこの強さの十分の一でもあれば、少しは人生が変わるのかなって、その時思ったんです」
「ふうむ。あんたがさっき、俺に弟子にしてくれ、言うたのもそれか」
コーヒーを飲みつつ相槌を打つ豊だったが、頭ではまったく別のことを考えていた。魚沼は彼氏ができなかったと言った。今時の娘なのでさすがに鵜呑みにはしないが、少なくとも、今は男はいないと考えて差し支えあるまい。また、幼い頃に父親を亡くしたという話も引っ掛かった。そういう娘が成長すると母親との関係が悪くなるというのもどこかで聞いたことがある。また、幼児期に満たされなかった父親との交流の代償行為として、パートナーに父性を求めるものらしい。豊の心臓が高鳴る。
「ええ。実はそうなんです。こんなダメダメな私でも、河村さんみたいな人に鍛えてもらえば、少しは強くなれるかな、社会に適応できるかなって思ったんです」




