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「やかましい! そがいに車に乗るな、乗るな、言うんなら、まず交通費を俺に送ってよこすのが筋じゃろうが!」
「な、なんなんよ、いきなり怒りだして。なんで私がおとんの交通費まで面倒見んといけんのよ!」
「そうじゃろうが。車がのうなったら一番に困るのは俺ぞよ。生活が成り立たんようになるんぞ。そうなったら、お前、俺に死ねと言うんか。お前は俺に死ねと言いよるのと同じことぞ。」
「そんなこと言うてないじゃろ! 車がなくても、バスやタクシー使うた方が安上がりじゃって、さっきも言うたじゃろ。人の話ちゃんと聞いとるん?」
「ほじゃけん、その交通費の面倒を見るのが筋じゃというんじゃ。俺は車に乗っとる限り、お前にガソリン代も、維持費も世話になった覚えはない。もちろん、事故を起しても、お前の世話なんぞにはならん。じゃが、俺に車に乗るなと強制するなら、その面倒を見る覚悟はあるかと言うとるんじゃ。そがいな覚悟もないようなら、つまらんことを言うてくれな!」
「なんでそうなるんよ! 私の言う通りにするのがなんぼ嫌じゃけんいうて、そがいな我が儘、言わんといて!」
「我が儘じゃないわい! 俺は筋道の話をしよるんじゃ。法律的にはそがいな義務はあらへんかもしれん。じゃがの、俺は筋道を通さん話が一番許せんのじゃ。とにかく、俺に車に乗るな、言うんじゃったら、まず筋を通せ! 話はそれからじゃ!」
「なにが筋道よ! そんなこと言うて、事故を起したとき、筋道どうのと言うたら責任が免れるん? そんなことないじゃろ! おとんが言うのは子供の理屈なんよ! おとんはの、なにからなにまで間違えとるんじゃけん、私の言うことをひとつくらい聞いて! 私の言うとおりにしといたら間違いないんじゃけん」
「お前にようそがいなことが言えたの! 二回も大失敗しとるお前の言うことなんぞ、聞いとれるか!」
興奮してつい、口走ってしまった。豊もしまったと思ったが、後の祭りだった。
「ひどい! ひどすぎる! 私はおとんを心配して電話してあげたのに、なんでそんなこと言われんといけんのよ!」
彩子は涙声を残して電話を切った。二十歳そこそこで勝手に結婚したものの二年で破局。長男がいたが経済的理由から親権は相手方に渡った。それから十年ほど後、再婚し、鞠が生まれたもののまたも離婚。だが今度は母親が援助し、どうにか親権を得ることができた。
豊は一切関わらなかったが、妻の死をきっかけに彩子は豊と不本意ながらも交流を持つようになった。だが、結婚に失敗した事実に触れるのはタブーだった。売り言葉に買い言葉でつい言ってしまい、その時は後悔したが、一方的に電話を切られると、やはり自分は悪くないと思い直した。
落ち着くためにタバコを一本取り出し火をつける。煙を吐き出し、なんとはなしに天井を眺める。さっきまでの娘とのやりとりを頭の中で再生する。だが、やはり最後に行き着くのは、娘と意見が折り合うことはないということだ。 あの様子では今後、何度も車に乗るなと催促してくるだろう。もちろん聞くつもりはない。今度こそ本当に娘とは縁が切れるかもしれない。孫娘とも会えなくなるかもしれない。覚悟を決めたつもりだったが、いよいよとなると、やはり暗澹たる気持ちになった。肩を落とし、溜息が出た。
気分転換にテレビでも見ようとチャンネルに手を伸ばしたとき、携帯が着信音を鳴らした。一瞬びくついたが、どうせ娘がまた車に乗るなとかけてきたのだろうと思った。いや、もしかすると考え直して謝罪するつもりなのかも。と、淡い期待も抱いた。携帯を手に取ると豊は目を疑った。背面ディスプレイには見慣れぬマークと共に、魚沼の名が表示されていたのだ。




