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通帳を開くと溜息が出る。年金とは、なぜかくも少ないのかと政府を呪いたくなる。とはいえ、今年七十一になる、もはや言い訳のきかない高齢者、河村豊は三十いくつの頃から選挙に行ってない。つまり投票していない。かつては一般人以上に政治参画の意識が高いと自負していた。だが豊が票を投じた候補者は常に落選。所詮個人の一票など、組織票の前では無力であることを思い知らされた。ならばと投票を棄権し、一パーセント以下でも投票率を落とし、政治不信を世に知らしめた方がずっと効果的だと考えた。なにも考えずに棄権する連中とは違う、自分は志をもって棄権しているのだ、と。
この持論を世に広めるため、投票を棄権しよう、投票率が極端に低い選挙はやり直しをさせようなどと新聞に投書したりもしたが採用されることはついになかったので購読もやめた。大マスコミなどと言っても、所詮は政府の犬ではないか。そんな組織に自分の志など理解できるわけがない。否、分かるからこそ自分の意見は黙殺されるのだろうと豊は結論付けた。
豊が通帳を閉じる。朝のワイドショーが芸能面になると通帳を眺めるのが日課のようになっている。いくら確認しても覚えのない収入が書き込まれているわけなどないと分かってはいるのだが。しかし他にやることがない。
とりあえず伴侶に恵まれ、勤めていたガソリンスタンドを無事、定年まで勤め上げ、息子はいなかったが一女をもうけ、借家住まいではあったがまあまあ、人並みの人生を送ってこれたとは言える。
だが定年を迎え、悠々自適の生活をと思っていたが、悠々自適も三日続けば飽きがくる。不自由な、時には辞めてしまいたいと思えた勤め人時代の方がよっぽど充実し、輝いていた。年金収入があるので生活には困らないと高を括っていた。が、老後に備えた蓄えが目に見えて減ってゆくのを見るにつけ、年金など気休めでしかない事実を思い知らされる。ならばアルバイトでも、と思いもしたが、自分の年齢を考えれば今更職業安定所に行く気も起きない。まだ若いつもりだったが、自分はいつの間にか社会から置き去りにされたと実感した。
その実感が湧くか湧かないかのうちに妻に先立たれてしまった。自分が定年を迎えた後も、紡績のパートで生活費を稼いでくれていた、多少目障り、耳障りな点を差し引いても、かけがえのない伴侶だった。