とおる道ときょうが変わる日
何度も繰り返された言葉に
勘違いしそうになっているだけ
何度も繰り返された言葉は
冷たい風がひらりと服を揺らす。いつだったかテレビでオシャレをしたいのなら寒さや暑さは我慢だ、と言っていたのをぼんやりと思い出した。
つい先ほどまでコートを脱いでも暑いくらいだったのに、今はマフラーを巻いてもじわじわと体が冷えていくのがわかる。
「……かなのばぁか」
小さく呟いた言葉は誰にも言えない感情を多大に含んだ本音だった。
かな、もとい要は高校の同級生で、大学も就職先も違うのに付き合いが続いている数少ない友人の一人だ。自分自身は何とも思っていないけれど、友人と言える相手が少ないため貴重な存在と言えよう。
今日も仕事帰りに飲みに行こうと誘われ、一も二もなく乗った。
予定では朝までコースのはずが三十分ほどで解散になり、何度目かのため息をつく。このまま帰宅して一人きりになるのは何だか危ない気がして職場へ向かう事にした。
「あれ?きょうちゃんお休みじゃなかった?」
「フラれちゃったんだもん。暇だから来ちゃった」
「どおりで寒がりのくせに可愛い服を着てるわけね」
オフショルダーのふわふわしたニットの首元にはお気に入りのブルームーンストーンのネックレス。ゆるく巻いたセミロングから覗くお揃いのピアスに買ったばかりの小振りな花柄の腕時計。淡い色で統一した膝丈のスカートにリボンのついたショートブーツという出で立ちに店のママーー実際にはオーナーなのだが、オーナーと呼ぶと怒られるのでママか名前で呼ぶ事にしているーーは言った。
ここは俺の勤める所謂オカマバーだ。
ロッカーに置いてある適度に露出しつつも隠すべき所はしっかり隠れるドレスに手を伸ばしながら、またため息が出る。
「享、ごめん。また埋め合わせするから」
ついさっき聞いた言葉はずっと頭の中で繰り返され、その度にため息が零れるのを自覚して意識して気持ちを切り替えた。
俺の名前は享と書いて『とおる』と読む。店では読みを変えて『きょう』と名乗る事にしていた。当然だが、その方が可愛らしいからだ。
少ない友人たちは全員が俺の勤め先を知っている。つまり友人が少ない理由はそこに起因しているのだ。だから、何とも思わない。万人に受け入れられる職種でも性癖でもないと理解も納得もしている。
予定外の出勤を喜ぶ常連客に愛想を振りまいて、無理のない程度の高いボトルをねだり腕にしがみついた。他の客に呼ばれ名残惜しむ姿に同調して次のテーブルにつく。
胸元にも耳にも腕にもお気に入りのものではないロッカーに置いたままの煌びやかなアクセサリーを輝かせながら。
日によってまちまちだが、夜に仕事をして朝方に帰宅し、世間様が動き出す頃に眠る。大半の人々が仕事から解放される頃に起きてから俺の一日は始まるのだ。
こんな生活でも食べていけるのだから、認知度や理解度は低くても需要と供給が成り立つ職種である証拠と言えよう。
『とおる』と『きょう』
どちらが本当の俺なのかは、二十五年間生きてきた俺自身にもまだわかっていない。
ベッドに放り投げたままだったスマートフォンにメッセージが届いていた事に気付いたのは、ゆっくりと入浴を堪能した後の通勤ラッシュタイムだ。
【昨夜はごめん。ちゃんと仲直り出来たよ。ありがとう。また時間ある時に飯でも食おう】
実にマメな男だと思いながら簡素に返信をしてベッドに倒れ込む。
その体は成人男性の平均的なものより身長以外は小柄に見えなくもないとはいえ、女とは決して見間違える事はないだろう。化粧は化けると書く理由がよくわかる。
女装をしていて男だとバレた事は一度だけだ。
髪を伸ばし始めたのは大学卒業間近で、バイトとして店に勤め始めた頃はウィッグを被っていたのに、客と開店前にデートじみた事をする同伴というものの最中に要と遭遇してしまった。バレないと思い込んで素通りしようとした俺の腕を掴んだ要の表情はいつもと変わりなく、ただ「享?」と確認されただけでむしろ俺の方が驚いた事はよく覚えている。
「享は女の子の服を着るのが好きなのか?」
その後、二人きりの時に尋ねられたけれど他言するような事はなく、誠実な男だと改めて実感したのも覚えている。
「それとも男が好きなのか?」
しかし嘘をつけない誠実な男は遠回しな言い方もしない正直で真っ直ぐ過ぎる男でもあった。
「……女の子の可愛い服は好きだよ。メイクして自分の顔が変わるのも楽しい」
そんな要に嘘をつく気にはなれなかったけれど、二つ目の質問はさすがに言い淀む。何せ今でもわからないのだから、当時の俺にも答えようがなかった。
「別に無理やり聞き出したいわけじゃないから、言いたくない事は言わなくていいよ。俺が享の知らないとこを知りたいだけだから」
実に狡い言い方だと思う。彼女が途切れた事のない男は言葉選びが秀逸だ。遊び人というわけではないが、俺が知る限りでは彼女がいない時期の方が少ない事だけは確かなのである。
「俺は、誰かを好きになった事がないからわからない」
特に何かがあったわけでもなく、ごく普通に年齢相応な性欲もあったけれど、特定の誰かを強く想った事がないと告げると、納得したのかその後この話題に要が触れる事はなかった。
一人暮らしのクローゼットにはレディースの服ばかりで、学生時代に来ていたメンズの服はほとんどない。マスクをしてしまえばノーメイクでもごまかせるし、思っているより人間は他人に興味を持っておらず、まじまじと顔を見る事は稀だ。
「仲直り、ね……」
飲みの誘いは彼女の話だったのだろう。飲み始めたばかりの段階で彼女から連絡が入ったために、俺は構わないから彼女に会いに行けと告げたのだ。
行かないで欲しい、という本音を隠して。
その一ヶ月後に要がうちに突然やってきた。
「薄々気付いてはいたんだよ。他に男がいるんだろうなって」
約束もせずに来る時は必ず彼女と別れた時なのは学生時代からの習慣で、ほんの少しだけ愚痴る。
信頼されているからだろう思うと嬉しいけれど、この状況に慣れれば慣れるほどなんとも言えない気分になるのも、回数を重ねる度にその気持ちが大きくなっていくのも何故なのかわからない事だけが俺を戸惑わせた。
「俺も仕事が忙しくてあんまり構ってやれなかったから寂しい思いをさせてた自覚あるし、仕方ないけど」
愚痴と言うには柔らかく、決して相手だけを責める事はしない。手土産に缶ビールを持っては来るが、アルコールに飲まれる事もなく至って冷静だ。
浮気をされて別れを相手から切り出されたというのに。
「かなはさ……優しすぎるんじゃないの」
ずっと思っていた。
要は優しくて良い奴だけれど、誰にでも同じように接する。彼女という特別な存在からすれば、平等にされるのはきっと嫌だと思うだろう。
今の俺はぼんやりとだけどわかる気がする。
「それは……誰だって優しくされたいし、したいと思っていると思ってるし」
「わかるけど。わかるんだけどさ、やっぱり特別が欲しいと思うのも誰だって同じなんじゃないかな」
「……とくべつ……」
思案顔でじっとこちらを見つめられた。真っ直ぐな視線が何故だか怖く思えてくるのにそらせない。
「あぁ……そういえば言われた事あるかも……きょうって子と私、どっちが大事なのって」
「……は?ちょ、ちょっと待って。かなは俺の事、彼女になんて話してるの」
「え、親友の女の子」
「それだめなやつ……!一番だめなやつだから……!」
思わず両肩を掴んでぶんぶん揺らすとその手を掴まれ返されてビクリと震えてしまった。相変わらず視線は絡んだままだ。
「だって享は可愛いから、男って言っても信じてもらえないだろ」
「かわっ……」
膝立ちで肩を掴んでいるせいで、いつもは大差ない位置にある顔が上目遣いに俺を見つめている。他意などないとわかっているのに、その眼差しに何かを見出したい気持ちがわいてきた。
わざわざ俺の話をする必要もないし、もしデート中に遭遇したとしても素通りすればいい。俺がそうしようとしたように。けれど先に告げられた言葉に俺は何も言えなくなってしまった。
「とおるは俺の特別だから。女の子の服を着て可愛く化粧をしているきょうも、俺には大事な存在だよ」
この天然女ったらし
その口を閉じろ
今の俺は女の服を着ていない
メイクだってしていない
ただの髪の長い男だ
どれくらいそのままでいたのかはわからない。手を掴んだまま要は俺の胸にゆっくりともたれかかってきた。
「……享と一緒にいる時は何も考えずにいられるのに、なんでかな」
「……そんなの俺がわかるわけないでしょ」
するりと手から背中に腕を回されて、心臓が飛び跳ねる。ぺったりとくっついている要にも伝わったらしく、小さく笑われた。
わからないのではなく、わかりたくない。
何も考えずにいられるのは、良く言えば信頼しているからだと思う。同時に悪く言えばどう思われても構わないと、もし嫌われてしまってもいいと思っているからだと思う。
付き合いの長さから前者であろう事はわかるのに、後者かもしれない不安を俺が拭えなくなってきている事を要はきっと気付いていないはずだ。
「……享はたまに不思議な顔をするよな」
ぎゅっと背中に回された腕に力が入って抱きしめられている感覚が強くなる。
ーー気付きたくない
「俺に見られるの、いや?」
嫌じゃないと答えたいのに言葉が出て来ないまま、隠せない鼓動が早くなっていく。
「困ってるみたいな……居心地悪そうな、そういう顔をするから、迷惑なのかなって」
「ちが、違う。そんなこと、思っ……て、ない……」
我ながらたどたどしく嘘っぽい言い方になってしまったけれど、要は安心したように腕を緩めて再び見上げてきた。
男らしい精悍な顔。
厚みのある体。
低い声。
それらを羨ましいと思った事はないし、自分の体に不満を感じた事もない。
でも、たまに思う。
もし俺が柔らかな体をしていたら。
もし俺が……女だったら。
こんな時は慰めてあげられたんじゃないか、と。
バカバカしいたらればもいい所だ。俺は女になりたいなどと思った事は一度もない。自分の性に疑問を抱いた事もない。ただ、可愛く着飾るのが好きなだけだ。
「……本当に?迷惑かけてない?」
「……嘘ついて意味があるのかよ」
良かったと言いながら今度は勢いよく抱きしめられ、床に倒れ込む。したたかに打った後頭部が痛くて物申してやろうと見上げた先にあったのは、何度も繰り返し見てきた表情。
そして囁かれる言葉。
ーーやめろ、言うな
強く願っても言葉にしなければ伝わらない思いは当然叶わない。
「享が……女だったら良かったのに」
感傷的になっている時に俺と一緒にいるのは倒錯的な状況を生み出す。そのために判断力が低下しているだけに過ぎないはずだ。
俺はゲイではない。要も違う。
これはお互いにわかっている事実なのだ。
「そしたらずっと……ずっと、可愛い享を守れるのに」
大切なものを大事にするように、愛おしそうに見つめられる。これが俺を一番なんとも言えない気分にさせる瞬間だ。
「……俺は女じゃないし、女にはなれないし、なりたいとも思ってなければ要に守られなきゃならないほど弱くない」
「俺が守りたいんだよ、お前を」
いつまでも変わらずにいられるわけがない事は知っていても、そのままであり続けたいと思うのは良くない事なのかもしれない。
何度も繰り返される言葉と何度も繰り返す言葉をやめたいと伝えられないのも、要に対する配慮でもなんでもなく、俺が望んでいるからだ。
きっともう、気付かないフリは出来ない。
グッと力を込めて乱暴に要を押しのけてコートを投げつける。いつもと違う行動にぽかんとしている間抜けな男を仁王立ちのまま見下ろしてやった。
「……俺は、お前に……」
往生際悪く言いたい事が口元まで出てきているのに伝えられない。
「……享……?」
不安気な表情も、何もかも、失いたくない。
純粋に頼ってくれている貴重な友人から、知らない感情に名前を付けられてしまうのは、怖い。
とけるまえに、はやく
誰かこの気持ちを壊してくれ
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