天井裏の逃走
多少時間が遅れたものの(ふと時計を見たら、十一時だった。軽い寝坊どころではない)、いつも通りに着替えてリビングに顔を出すと、母親と姉のほかに、一人見慣れない顔があった。
見慣れないどころではない。間違いなく僕の知らない顔だ。
外見年齢は僕と同じ高校生くらいに見えるが、来ているものが全体的に、なんというか、高級感に満ち溢れている。
草津温泉の御当地Tシャツ(黒地に白で温泉マークが描かれている)とジーパンというシンプルイズベストな自分の格好と比べてみると、さながら木星とすっぽんぐらいの差がある。ファッションの神様に詫びを入れたくなるぐらい比較にならない。
「・・・・・・・・・・誰だよ」
が、ファッションで圧勝したからと言ってそれですべてが許されると思うなよ少女よ。
僕は自分の勝利で何かを要求することはあっても、自分の敗北で何かを容認することは絶対にありえない。そういう人間なんだよ。
捉えようによっては負け惜しみに聞こえなくもない僕の心の呟きは心の呟きであるが故に、この場にいる誰一人として伝わることなく(ハクがいたら、伝わっていたかもしれないが)、結局この少女は何者なのか、その問いのみが宙づり状態で残された。
「そうですね、私は・・・・・・・・」
一瞬、考える様な素振りを見せた後、彼女は実に正々堂々と宣言した。
「正義の味方、と呼ばれる類のモノですわ」
場の空気が凍りついた。
いや、正確には僕一人が凍りついていた。
母と姉はさしてリアクションを起こすことなく、平然としている。
あの二人が平然としているということは、この情報は二人にとっては既知のものだったようだ。
いや、だって僕が凍りつくレベルの情報で、あの二人がはしゃがない訳ないモノ。
なんだよ正義の味方って。名乗る奴初めて見たよ。
テレビに出てるヒーローだって、自分から正義の味方を名乗ることなんて滅多にないのに。
「正義の味方、というと少々語弊がありますわ。正義そのものと考えていただいて結構です」
大した自信だなオイ。いや、自信云々の問題ではない。
僕も高校一年生、某ライダーやレンジャーやウルトラが空想の産物、フィクションであり現実に存在するものではないと言う事を理解して久しい。
また、そこから一歩思考を進めて正義というものは一つではなく、人一人一人によって認識の異なるもので、そもそも善悪というのは簡単に二分できるものではなく物事は常に多面的な云々、とまあ少々難しいことを考えたこともある。
要するに、正義などというのはそう簡単に名乗れるものではない。
というか、自分から正義を名乗る奴などいない。
今まさに、それが目の前にいるという事実はさておくとしてだ。
「ちなみに、人は私のことを桃枝さん、或いは牙ヶ原桃枝とよびますわ」
「「ええっ!?」」
姉と母が驚愕する。どうやらそちらの方は新事実だったようだ。
名前ぐらい聞いとけよ。そもそも、彼女達が何処に驚いたのか、全く分からない。
正義云々の名乗りでリアクションできなかったから、物足りなくて無理やり驚いてみただけかもしれない(なんだよ、物足りなくてって)。
「本日は私、そこの方にお願いに来ましたの」
そう言って彼女、牙ヶ原桃枝は僕の方を指さす。
「お願い、ですか」
「はい、お願いです。とても簡単で些細なことですわ。貴方の部屋の、屋根裏を調べさせていただきたいの」
それは一体どういう、と言いかけて俺は口を噤んだ。
屋根裏、ようするに天井裏のことだ。
一般家庭なら、天井裏を調べさせてくれ、と言われても一体何のことなのかさっぱりだろう。が、我が家の場合は少々事情が異なる。
天井裏には、ハクがいる。
「ね?簡単でしょう?これはあなた方にもメリットのあることなんです。了承していただけると嬉しいんですけども」
僕はアイコンタクトで姉と母を呼び寄せると、小声でいう。
「なんであんなの家に入れたんだよ」
「だって・・・・・・・かわいかったし」
と、小声で姉。
「だって・・・・・・・正義の味方って言ってたから・・・・あと、天井裏を調べるなんて一言も・・・・・・」
と、小声で母。
あんたらは押し込み強盗とか、本当に気をつけた方が良いぞ。
それにしても、彼女は何の目的で我が家の天井裏を調べようと言うのか。
場所が場所であるだけに、ハクが絡んでいることは確実だ。
が、ではハクは一体どういった形で絡んでいるのか。
まさか妖怪とかその手の物を捕獲する団体のメンバーだろうか(実は一年前、その手の集団に本気で狙われたことがある。あの時は本当に死ぬかと思った)。
しかしその場合、少女一人で訪問というのは如何なものだろうか。
では、彼女の言う『正義』に関する何らかの目的があって行動しているんだろうか。
「あの・・・・失礼ですけど、僕の部屋の天井に何か?」
試しに探りを入れてみると、彼女は深刻な表情で言った。
「・・・・・はい。実は。落ち着いて聞いてくださいね、貴方の部屋の屋根裏には・・・・・『ストーカー』が潜んでいる可能性があります」
・・・・・・・ストーカー、ときたか。
一体どうやって彼女が、我が家の屋根裏事情を知り得たかということはさて置くとして、それにしてもストーカーときたか。
なるほど、見方によってはそう見えなくもないかもしれない。
「ストーカーです。それもかなり悪質な類でしょう。度々屋根裏から侵入しては、あんたの部屋を物色したり、食糧を盗んだり、勝手に何か持ち込んだりしているようなのです。一体どこから屋根裏に侵入しているのか、その経路はまだつかめていませんが屋根裏を利用していることは明らかです」
本当に、一体どこからそれらの情報を得ているのか不可思議極まりないが、深くは追求しないことにする。怖いし。
彼女の説得にまさか動じたわけではないだろうが、母が僕に話しかける。
「やっぱり・・・・・調べてもらった方がいいかしら」
ばっちり動じていた。
「いや、アンタ何を言って・・・・」
「ご協力、感謝しますわ」
「だってほら、ストーカーなんて怖いじゃない?もしハクちゃんの身に何かあったら・・・・」
そのハクがストーカーの疑惑かけられてんだよ!!!
察しの悪い我が母に許可を得た牙ヶ原は、リビングを出て僕の部屋へ向かおうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください!!!」
「・・・・・・なんでしょうか」
「少し、部屋を片付けさせてもらっていいですか?散らかってるんで」
牙ヶ原は何故か少し迷った後、どうぞ、と短く言った。
「どうも!!!」
僕は言って、急いで部屋に飛び込むと、念のために鍵をかける。
そして、ベッドを踏み台にして天井に空いた穴を覗き込んだ。
「ハク!!!」
「大声を出すなうざい。・・・・・・・事情はわかってる」
案の定、ハクは目の前で待機していた。
天井のこの穴を僕が覗き込むのを見越して、ずっとスタンバイしていたようだ。
「全部、リビングの穴で聞いていたから」
「そうか、じゃあ話は早いな」
「うん」
「ハク・・・・ちょっとお前、薄くなれ」
天井ハクの所有する妖怪スキルその3。
彼女は頭以外の自分の体を、折り紙の様な厚さまで、『薄くする』ことができる。
薄くなった体は折りたたみができ、畳んでしまえばハクは小さめのリュックサックに余裕で収まる。
一体、薄くなる、しかも頭を除く部分のみというこの中途半端な能力が何を意図されて備わっているものなのか、それは未だ解明されていない。
が、この状況ではかなり役に立つ。薄くなった彼女の体はコンパクトに折りたたむことができ、折りたたんでしまえば何と僕が通学に利用している小型のリュックサックに納まるサイズになる。
「わかった」
ハクが言うと、彼女の体が空気を抜いた風船のようにしぼんでいき、そして紙の様な薄さになるまでそう時間はかからなかった。
「たたむぞ」
僕はそう言ってハク(の頭)を掴んで穴から引きずり出し、胴体を適当に小さく折りたたむ。
頭部はそのままなので、彼女の長い髪がチャックに絡まないように気をつけながら、リュックサックに入れる。
「・・・・・・・においが気に入らないわ」
「我慢しろ」
僕はそれだけ言って、チャックの口を閉じるとリュックを背負って、戸の鍵を開け、外で待つ牙ヶ原に何事も無かったかのように言う。
「すいません、すこし片づけに手間取ってしまって。どうぞお好きなように調べて下さい。あ、僕はこれから友達の家に行くので、失礼しますね」
さわやかな笑顔を残し、その場を立ち去る。
一人リビングに残って茶を啜っていた姉と、親指を立ててサインを交わすと(親指の向きを姉は上に、僕は下に向けていた)、僕は家を出た。
取り敢えず、夕方ぐらいに戻ればいいだろうか。
(妥当ね)
ハクがテレパシーで答える。
上手く逃げ切った、僕はそう思っていた。
が、その思考は少し楽観的過ぎた。
僕とハクの後ろを、数名の怪しげな黒服たちが尾行していたことに、その時僕はまったく気が付いていなかったのだ。