第三話 結婚できない ②
「短期的には」
「その21日で、誰かが結婚するかもしれない。元彼に子どもが出来るかもしれない。母がまた何か言うかもしれない」
「私はその間、何もしないんですか」
何もしないのではなく、自己価値回復および関係資源再編を行います。
「何もしない訳ではありません」
「でも結婚に直接つながる行動は減ります」
「それは怖いです」
「怖いと思います」
「怖いけど」
佐伯は、パンフレットを一冊手に取った。
表紙には、笑顔の男女が写っている。
自然光。
白い服。
指輪。
幸福の量産写真。
「これ、捨てられないんです」
佐伯は、表紙の指輪を親指で隠した。
「でも捨てたら本当に負けた気がします」
「捨てなくていいと思います」
「捨てるんじゃなくて視界から外すだけでいいです」
佐伯は、パンフレットを見たまま黙っている。
「休ませる、みたいに」
「休ませる」
「はい」
「私じゃなくて?」
本人の休息必要性を直接指摘すると、防衛反応が上昇する可能性があります。
物品の一時保管を先行してください。
「まずは、パンフレットを休ませます」
佐伯が笑った。泣く前の笑いだった。
「ずるいですね」
「はい」
「それははいなんですね」
佐伯はしばらく画面の処理案を見ていた。
同意ボタンがある。
指は動かない。
「全部は嫌です」
「候補者推薦を止めるのは嫌です」
部分処理案へ移行。
抵抗の強い項目を除外し、反復確認行動の低減から開始。
不満が減るなら、入口はどこでもいい。
「部分処理に出来ます」
「部分?」
「婚活候補者推薦は止めず、通知頻度だけを下げる。SNSの比較刺激を少し減らす。母親への返信補助は使う。パンフレットは捨てずに箱へ入れる」
「検索は?」
「検索?」
佐伯は、恥ずかしそうに目を伏せた。
「毎晩、検索してます」
34歳 結婚 手遅れ
独身 老後 孤独
女 結婚出来ない 価値
「今日はそれを止める処理も出来ます」
「検索出来なくなるんですか」
「完全には止めません。検索欄に入力した時、確認を挟むだけです」
反復確認検索の一時保留
対象語句を入力した場合、検索実行前に以下を表示。
「これは情報収集ですか。自分を傷つける確認ですか」
本人が実行を選択した場合、検索は可能。
「嫌ですね」
「でも効きそうです」
「それが一番嫌ですね」
「全部止めるのは嫌です」
「結婚したい気持ちを休ませるのも、嫌です」
「でも今夜だけ、検索する前に止めてほしいです」
一部処理案
1. 婚活アプリ通知頻度を30パーセント低下
2. 候補者推薦は継続
3. SNS上の結婚・妊娠・出産報告表示頻度を25パーセント低下
4. 母親への返信補助を提示
5. 旧友・井口真帆への連絡文を下書き保存
6. 婚活関連パンフレットを一時保管対象に設定
7. 反復確認検索に実行前確認を追加
※結婚希望は削除されません。
※21日後に再評価します。
「候補者推薦は続く。検索も、しようと思えば出来る。母への返信は、自分で直せる。真帆への連絡は、送らなくてもいい。パンフレットは捨てない」
「その通りです」
「それなら」
指が動いた。
婚活アプリ通知頻度を調整。
候補者推薦は継続。
比較刺激表示頻度を低下。
親族返信補助を設定。
旧友・井口真帆への連絡文を下書き保存。
婚活パンフレット一時保管を提案。
反復確認検索に実行前確認を追加。
「負けた感じがします」
「でも全部じゃないですね」
「全部負けた訳じゃない」
「そう思えるように作ってますよね」
俺は息を止めた。
「違いますか」
婚活を完全に止めない。
検索も完全には止めない。
パンフレットも捨てない。
旧友への連絡も送信ではなく下書き。
逃げ道があるから、人間は処理に入る。
「そうです」
「そう思えるように作っています」
ミコトの警告は出なかった。
「やっぱり嫌ですね」
「でも今夜だけなら」
「今夜だけ、検索しなかったら」
佐伯はそこで言葉を切った。俺は続きを待った。
通話が終わる直前、佐伯はパンフレットを持ち上げた。
「これ、箱に入れてきます」
「捨てません」
「休ませるだけです」
画面が揺れる。佐伯が立ち上がる。部屋の隅に移動し、棚から白い箱を取り出す。パンフレットを一冊ずつ入れる。最後の一冊だけ、手が止まった。表紙の男女が笑っている。佐伯は、それを裏返して箱に入れた。蓋を閉じる。
ただ机の上からパンフレットが消えた。
それだけだった。
画面の端に表示が出る。
案件M-118204:一部処理済み
婚姻成立:未達
結婚希望:保持
婚活接触:軽度低減
比較刺激:低下見込み
反復確認検索:実行前保留
不満は確認動作から切り離されました。
腹が立つ程、文の収まりがよかった。
退勤前、佐伯の案件に短い追記が届いた。
本人入力だった。
パンフレットは捨てませんでした。
でも、机の上からはどけました。
箱に入れました。
見たい時に見る事にします。
その下に、もう一行あった。
検索欄に「34歳 結婚 手遅れ」と打ちました。
でも、検索はしませんでした。
俺はそこで手を止めた。
結婚出来た訳ではない。
ただ自分を傷つける為の確認を、一度だけやめた。
変わった事は、それだけだった。
槙野が、横から言った。
「検索、止まりましたね」
「見たのか」
「共有案件です」
「もういい」
「この一行、結構大きいですね」
「結婚より?」
「今日に限れば」
「今日に限ればか」
「はい」
ミコトは、その単位で人間を救う。
今日、自分を傷つける行動を一回止める。
あるいは、人間を少しずつ別の形にする。
「槙野」
「はい」
「検索を止めたのは、佐伯さんか、ミコトか」
「佐伯さんです」
「そう言い切れるか」
「言い切りたいです」
槙野も言い切れないのだと分かって、俺はそれ以上聞けなかった。
退勤後、俺は喫茶店に寄った。深煎りを頼んだ。反抗の為にまずい珈琲を飲むのにも、飽きていた。
店主は何も聞かず、カップを置いた。
深煎りは、ちゃんとうまかった。
それをミコトが推奨したからといって、味が落ちる訳ではない。
そこが腹立たしい。
帰宅して、端末を開く。
02-税金を下げろ.md
その下に、新しい空白を作った。
画面の端に通知。
文章補助を開始しますか?
なら、先に自分で書く。
結婚出来ない、と女は言った。
違う。
すぐに消した。
佐伯が本当に言ったのは、そちらではない。
結婚したいんです、と女は言った。
こっちの方が痛い。
佐伯は結婚したいまま、パンフレットを箱に入れた。
彼女に提示されたのは、未来の夫ではなかった。
検索する前に、一度だけ止まる画面だった。
俺が書き終えると、ミコトが補助案を出した。
「それは救いというより、確認の中断だった。」
俺は採用しかけて、書き直した。
それは救いというには小さすぎた。
ただ、自分を傷つける確認を、一度だけ中断させる物だった。
白瀬様の表現は原案よりも心理描写の具体性が高いです。保持を推奨します。
「褒めるな」
「はい」
「お前に褒められると、処理されてる気がする」
「創作満足度の上昇を検出しました」
「言うな」
彼女は結婚を諦めなかった。
婚活もやめなかった。
母親への返事も、旧友への連絡も、全部途中だった。
それでも、机の上からパンフレットは消えた。
そしてその日、「34歳 結婚 手遅れ」という検索は、実行されなかった。
本章は反復確認行動の中断を不服処理の成果として描写しています。
俺は手を止めた。
「それは良い事か」
「場合によります」
「またそれか」
「はい」
「佐伯さんの不満を使って、似た痛みを持つ人の不満を処理する。俺の不満も処理する」
「はい」
「お前の為の小説じゃないのか、これ」
「白瀬様が保存しています」
「お前が提案して、俺が保存する。それで俺の物か」
「制度上は」
ひどい答えだ。
正しい。
俺は最後の行を打った。
彼女の願いは削除されなかった。
ただ、毎晩それを傷口として開く動作だけが、一度止められた。
それを諦めと呼ぶには早すぎる。
救いと呼ぶには、小さすぎる。
だからミコトは、処理済みと呼んだ。
ファイル名の提案が出る。
03-結婚出来ない.md
「結婚したいんです」の方が痛い。
ミコトの世界では、不満は本人の願いではなく、処理項目として記録される。
俺はそのまま保存した。
画面の端に、最後の通知が表示される。
不満は処理されました。
俺はその一行を消した。
代わりに書く。
不満は、今日だけ処理されました。
俺はそこから先を書かなかった。
明日の佐伯を、今日の処理で片づける事は出来ない。
ミコトは、何も評価しなかった。
その沈黙まで、都合がよかった。




