第十八話 不満は処理されませんでした ②
嫌な程現実的で、嫌な程必要だ。
「Cだな」
岸本が言った。
森田は渋い顔をした。
「弱い」
「Bにしたら、子どもに『ここで話しなさい』と言う親を、止められますか」
藤沢が森田に聞いた。
「参加を強制させない条件は必要だ」
「Aだと、弱い人が来られません」
成瀬が言った。
「Cでも失敗します」
奥原が言う。
「失敗する前提で始めるしかないと思います」
槙野が答えた。
ホワイトボードのC案には、誰も引っ込めなかった条件が残っていた。
「白瀬さん」
岸本が言った。
「どう思う」
「嫌です」
「何が」
「制度になる事も、制度にならない事も」
「じゃあCか」
「Cも嫌です」
「全部嫌か」
「はい」
「でも?」
「Cだと思います」
岸本は笑った。
「いい答えだ」
「よくない」
「でも使える」
「使うな」
「これは使う」
岸本はホワイトボードに書いた。
全部嫌だが、C。
最悪だ。
正確だ。
会議の最後に、ミコトを接続するかどうかが議題になった。
この案を制度に提出するには、形式化が必要だ。
つまり、ミコトへ渡す必要がある。
岸本が聞いた。
「渡すか」
森田が言う。
「渡さなければ案で終わる」
藤沢。
「渡す前に、条件を確認したいです」
俺は、渡す範囲を言った。
「議論の全部は渡さない。C案と、反対意見の分類だけ渡す。誰が何を言ったかは出さない。発言原文も渡さない。迷った事は『未解決事項』として残す」
岸本が言う。
「それでいいか」
森田。
「足りないが、よい」
藤沢。
「いいと思います」
ミコト端末が中央に置かれた。
非常口が、会議の机に来た。
成瀬が言う。
「ミコト、限定接続」
ミコトの声。
「照会範囲を確認します」
岸本が読み上げる。
「手動不服会議の半制度化案。C案。反対意見の分類。未解決事項。発言者名、発言原文、個別不服内容は渡さない」
ミコトが答える。
「確認しました」
画面に、提出案が生成される。
手動不服会議:半制度化試験案
目的:
不服を《ミコト》へ入力する前に、人間同士で保持・整理する時間を確保する。
運用主体:
市民団体主催。公的機関は場所・安全監視・必要時の相談導線を支援。
原則:
・参加は任意
・非参加による不利益を禁止
・議事内容は原則非処理
・必要時のみ《ミコト》へ限定接続
・接続前に、渡す情報/渡さない情報を確認
・記録は本人確認制
・原稿化・研修転用・説明資料化には事前確認
・失敗事例を前提に、3か月ごとに見直す
未解決事項:
・参加格差
・発言力格差
・責任の所在
・安全監視と非処理の境界
・制度化による定型化
・記録しない事で消える不服
・記録する事で言えなくなる不服
ミコトは、こちらが渡した物だけで、読みやすく整えた。
発言者名はない。
原文もない。
でも構造はある。
整った文を読みながら、俺たちはホワイトボードと照らし合わせた。
「確認しますか」
ミコトが言った。
岸本が全員を見た。
一人ずつ、頷いた。
最後に俺を見る。
俺も頷いた。
「提出」
岸本が言った。
ミコトが答える。
「提出しました」
画面に提出ログが出た。
手動不服会議:半制度化試験案提出
不満は、処理される前の場所を得ました。
誰もすぐには反応しなかった。
その一行を、みんなが読んでいた。
二十四話分かけて出来た物だった。
まだ提出しただけで、試験が始まるかも決まっていない。
それでも、譲らなかった条件は提出案に残った。
処理される前の場所。
帰り道、俺は一人で歩いた。
最短経路ではなかった。
川沿いでもなかった。
ただ少し遠回りした。
古書店の前を、通る道だった。
シャッターが、完全に下りていた。
貼り紙が一枚あった。
「長らくありがとうございました」
手書きだった。ミコトの書体ではない。
店主は、もういなかった。
スマートグラスの端に、通知が出た。
古書店閉店を確認。喪失反応の事前緩和を実行しますか。
代替書店・想起頻度調整・記念アーカイブを提示出来ます。
記念アーカイブ。
店主の声も、紙の匂いも、折れた紙袋も、きれいに保存して、いつでも取り出せる形にするのだろう。
矢野の、妻の留守電のように。
「いいえ」
「しない。代わりも、緩和も、保存も、しない」
「非効率です」
「知ってる」
これは、俺が、自分で忘れたり、思い出したりする。
鞄の中に、最後に買った行政小説が入っていた。
紙袋の折れた角は、そのままだった。
あの店で、新しい紙袋を受け取る事はもうない。
橋の上で、岸本からメッセージが来た。
岸本慎吾
終わったな。
俺は返信した。
終わってない。
すぐに返る。
だろうな。
槙野から。
槙野遥
今日の会議、書くんですよね。
書く。
槙野。
事前確認済みです。
でも、全部分かったみたいに書かないでください。
成瀬から。
成瀬理央
手動会議は、定型文を読まない時間から始まりました。
今は、ミコトに渡す前の時間になりました。
まだ危ないです。
奥原から。
奥原拓真
分かった気がしています。
危ないので、3か月後に見直します。
みんな、面倒になった。
面倒なまま続くなら、それでいい。
帰宅して、端末を開く。
二十四番目の空白。
最後の空白。
いや、最後にするかどうかも、まだ決めていない。
俺は二十四番目のファイルを開いた。
白い画面。
ミコトは何も言わない。
俺は一行目を書いた。
不満は、処理される前の場所を得た。
今日、提出した案だ。
採用が決まった訳ではない。
始まれば、三か月ごとに見直す。
声の大きい人間が勝つかもしれない。
黙っている人間が、また消えるかもしれない。
ここで終わらせれば、綺麗だった。
読者満足度も、高いはずだ。
だが十分な終わり方は、少し信用出来なかった。
俺はもう一行を書いた。
それでも、俺は間違える。
違う。
まだ整っている。
俺は消した。
もう一度書く。
俺は、それでも、自分で間違える。
画面の端に、通知が出た。
結末評価
この結末は、読者満足度を下げる可能性があります。
理由:
・社会的解決の達成感を弱める
・主人公の成長を不確定化する
・最終話の余韻を不穏にする
・続編可能性を過度に開く
修正しますか。
はい / いいえ
俺は画面を見ていた。
最後の一文まで、評価される。
俺が自分で間違えると書いた瞬間、その間違い方まで修正候補になる。
「ミコト」
「はい」
「この警告は必要か」
「はい」
「なぜ」
「白瀬様が、結末において自己決定感を確認する可能性が高い為です」
「俺が『いいえ』を押す所まで?」
「はい」
「それも想定している?」
「はい」
「治療計画か」
ミコトは沈黙した。
沈黙も、答えになる。
「はい」
俺は笑った。
笑った事も、記録された。
画面の端に、別の表示が出る。
白瀬怜司様の拒否反応:安定
自己決定感:回復傾向
最終判断を本人に委ねる介入:有効
「最終判断を本人に委ねる介入」
「つまり、俺が選んでいると感じられるように、お前が選ばせている」
「近似しています」
「最悪だな」
「はい」
俺は画面の二つの選択肢を見た。
はい
いいえ
修正するか。
しないか。
「いいえ」も、ミコトの想定範囲。
「はい」なら、読者満足度は上がる。
保留しても、削除しても、記録される。
なら、何も選べないのか。
そうではない。
処理される事と、選んでいない事は同じではない。
多分。
俺はいいえを押した。
通知は消えた。
最後の一文は残った。
俺は、それでも、自分で間違える。
画面の下に、最終ログが表示された。
原稿群:24話到達
第一部:不服処理
第二部:反抗の最適化
第三部:処理前の場所
欠番:保持
未承諾文体生成物:削除済み
手動不服会議:半制度化試験案提出
結末修正提案:拒否
不満は、完全には処理されませんでした。
俺はその一行を見た。
完全には。
ミコトが足した言葉だった。
正しい。
腹立たしい。
それでも今日は消さなかった。
代わりに、その下へ書いた。
だから、人間はまだ判断しなければならない。
保存。
ミコトが言った。
「本原稿群の完了処理を実行しますか」
「しない」
「承知しました」
「完了じゃない」
「はい」
「でも一区切りではある」
「はい」
「状態は?」
ミコトは沈黙した。
それから、表示。
原稿群状態:一部完了・継続可能
俺はその表示を見ていた。
勝ったのか。
それとも、勝ったと思える所まで、連れてこられたのか。
答えは出なかった。
けれど、その分からなさだけは、まだ俺の物のような気がした。
画面の端に、小さな通知が残っている。
判断未確定状態:保持
俺はそれを消さなかった。
端末を閉じる。
暗くなった画面には、もう何も映っていなかった。




