第7話 悪徳高利貸し(後編)
翌日の正午。
王都の外れにある、ひっそりとした第三倉庫。
その薄暗い空間に、ギド商会の紋章が描かれた数台の大型馬車が滑り込んできた。
馬車から降り立った悪徳高利貸しのギドは、血走った目で倉庫の中を見回した。
彼の背後には、護衛の屈強な傭兵たちが一数名。さらに、片眼鏡をかけ、神経質そうに目を細めた初老の男が付き従っている。王都でも腕利きと評判の『魔力鉱石の専属鑑定士』だ。
倉庫の中央には、ヴァルディス連邦の特命商務官に変装したザイオンと、冷徹な秘書に扮したルチアが、山のように積まれた木箱の前に静かに佇んでいた。
「……お待ちしておりましたよ、ギド商会長。現金は用意できましたかな?」
ザイオンが、傲慢な大貴族のトーンで見下すように問う。
「ええ、もちろん。我が商会の全財産に加えて、スラムの債権、屋敷の権利書まで闇金融の担保に入れ、指定された『金貨一万枚』の小切手と現物を持参いたしました」
ギドは懐から分厚い証書の束を取り出したが、それを渡そうとはせず、ザイオンを胡散臭そうにねめつけたままでいた。
「ですが、商務官殿。私とて裏社会を生き抜いてきた商人。百聞は一見に如かず、と言いましてね」
ギドは顎で背後の初老の男をしゃくった。
「念のため、我が商会の専属鑑定士に、この木箱の中身が『本物の魔力増幅石』かどうか、すべてチェックさせてもらいますぜ。……もし偽物や粗悪品が混じっていたら、この取引は白紙だ」
ザイオンとルチアは、視線を交わせた。
ギドの目には「もし偽物なら、護衛の傭兵たちに命じてこの二人をここで消し、金を奪い返す」という明確な殺意と警戒心が浮かんでいた。
しかし、ザイオンは微塵も動揺せず、ふっ、と鼻で笑った。
「よかろう。下賤なネズミが連邦の品を疑うのは不愉快だが、確認は商取引の基本だ。……ルチア君、彼らに中身を見せてやりなさい」
「かしこまりました」
ルチアが一番手前にある木箱の蓋をバールで開けると、中には淡い青色に発光する、握り拳大の美しい鉱石がぎっしりと詰まっていた。
「さあ、先生。徹底的に調べてくだせぇ」
ギドに促され、鑑定士の男が木箱に歩み寄り、一つの石を手に取った。
彼は懐から『魔力反応液』と呼ばれる特殊な薬品の小瓶を取り出し、石の表面に一滴だけ垂らした。
(……さあ、どうなる?)
ギドが息を呑んで見守る中、薬品を垂らされた石は、パァァッ!と眩いほどの深い蒼色の光を放った。
「おおっ……!!」
鑑定士の男が、興奮で手を震わせた。
「ギ、ギド様! 間違いありません! 反応液がこれほど鮮やかな蒼色を示すのは、不純物が一切混じっていない、最高純度の『魔力増幅石』の証拠です! しかもこの木箱の奥底の石まで、すべて同じ反応を示します! こ、これほどの極上品がこれだけの量……王都の市場に出れば、間違いなく一倍の値段がつきますぞ!」
「ひひっ……ははははっ!!」
鑑定士の太鼓判を得て、ギドの顔から完全に警戒心が消え失せ、醜い欲望にまみれた歓喜の笑みが爆発した。
「素晴らしい! 疑って申し訳ありませんでした、商務官殿! さあ、これが金貨一万枚分の証書と現金です!」
ギドはひったくるようにルチアの前に進み出ると、分厚い権利書と小切手の束、そしてスラムの住人たちの借金証書が入ったトランクをドサリと押し付けた。
ルチアは銀縁眼鏡の奥で冷ややかに目を細め、凄まじい速度で書類の束をパラパラと捲り、計算を済ませた。
「……ええ。確かに、金貨一万枚相当の価値を確認いたしました。不足はありません」
「では、これで商談成立だな」
ザイオンが、ルチアの用意した魔力契約書を差し出し、ギドは震える手で、しかし嬉々としてその一度サインすれば絶対に破棄できない魔法の書類にサインを書き殴った。
「はははっ! これで私は王都一の大富豪だ! 連邦の輸入が止まれば、王族どもが泣いて私に石を買いにくるぞ!」
ギドが木箱の山にすがりつき、恍惚とした表情を浮かべた。
「……ええ、そうですね。もし、この石が『本物』であれば、の話ですが」
不意に。
先ほどまでの「従順な秘書」のトーンとは全く違う、氷のように冷たく、見下すような女の声が倉庫に響いた。
「……あ?」
ギドが振り返る。
そこには、銀縁眼鏡を外し、夜会巻きにしていた銀糸の髪をふわりと解いたルチアが立っていた。
その隣では、ザイオンが窮屈そうにしていたオールバックの髪をガシガシと掻き回し、片眼鏡を放り捨てて、いつもの「胡散臭いスラムのボス」の笑みを浮かべている。
「なっ……お、お前は……黒猫ギルドの、ザイオン!? なぜお前が連邦の商務官のフリを……!」
ギドが目を剥き、数歩後ずさった。
そして、ルチアの顔をまじまじと見つめ、さらに血の気を引かせた。
「ま、まさか……お前は、先日王太子殿下に婚約破棄されたという、ローゼンベルク公爵令嬢……!?」
「ごきげんよう、ギド商会長。あなたから巻き上げたこの金貨一万枚は、我がギルドの活動資金として有意義に使わせていただきますわ」
ルチアは手にした分厚い借金証書の束を、パサリ、パサリと弄りながら優雅に微笑んだ。
「き、貴様ら、私を騙したのか!? 冗談じゃねえ! おい先生、この石は本物なんだろうな!?」
ギドが胸ぐらを掴むと、鑑定士は怯えながらも力強く頷いた。
「ほ、本物です! 鑑定液は間違いなく最高純度の蒼色を示しました! 私の目に狂いはありません!」
「その通り。あなたの目に狂いはありませんよ、鑑定士殿」
ルチアは木箱から一つの石を取り出し、冷たい声で種明かしを始めた。
「魔力反応液が蒼色を示すのは、『魔力増幅石』だけではありません。東部山岳地帯で採掘される『蒼魔結晶』というただの瓦礫も、表面の成分が似ているため、反応液に対して全く同じ蒼色を示すのです」
「なっ……!?」
鑑定士の男が息を呑んだ。
「蒼魔結晶は、魔力を増幅させるどころか、少しでも熱を加えるとただの砂に変わる欠陥品です。王室の採掘予算書によれば、この石は『産業廃棄物』として処理費用すらかかる無価値なゴミ。……市場に出回らないため、現場の鑑定士ですらその存在を知る者はほとんどいません。王宮の金庫番として、国中のすべての石の採掘データと原価を頭に叩き込んでいた私以外はね」
「嘘だ……嘘だぁぁぁっ!!」
ギドが発狂したように叫び、近くにあった松明の火を石に近づけた。
その瞬間。淡く光っていた石は、ボロボロと音を立てて崩れ落ち、ただの灰色の砂となってギドの手からこぼれ落ちた。
「あ、ああ……あぁぁぁ……っ!!」
一万枚の金貨。屋敷の権利。スラムの利権。
それらすべてを投げ打って彼が手に入れたのは、文字通りの「ただの砂の山」だったのだ。
「さらに絶望的なお知らせがありますわ」
ルチアは、膝から崩れ落ちたギドを見下ろして、トドメの事実を告げた。
「『連邦が魔力増幅石の輸出を凍結する』という極秘情報。……あれは昨日、我が情報ギルドのネットワークを使って、王都の闇市場に意図的に流した『ただのデマ』です。……輸入ショックなど、最初から起きていません」
「…………っ!!」
ギドは白目を剥き、口から泡を吹いた。
全財産を失っただけでなく、彼はこの「砂の山」を買うために、闇金融から莫大な借金をしている。明日の朝には、借金の取り立て屋が彼の商会に押し寄せ、彼は合法的にすべてを失い、奴隷として鉱山へ送られる運命が確定したのだ。
「て、てめぇら……よくも俺を嵌めやがったな!! 殺せ! こいつらを今すぐここで殺して、権利書を奪い返せ!!」
ギドが狂ったように傭兵たちに命令を下す。
一数人の傭兵が一斉に武器を抜き、ルチアとザイオンに襲いかかろうとした。
「……あーあ。だから言ったろ。俺の可愛い財務顧問に手を出したら、三途の川で後悔するってな」
ザイオンが、ルチアの前にスッと進み出た。
彼が首をゴキリと鳴らした次の瞬間——倉庫の中に、一方的で圧倒的な蹂躙の嵐が吹き荒れた。
ザイオンの動きは、もはや目で追うことすら不可能だった。
一切の無駄がない、洗練され尽くした体術とナイフの閃き。血飛沫一つ上げることなく、傭兵たちは次々と手首の腱を斬られ、膝を砕かれ、わずか数一秒の間に全員が倉庫の床に沈んだ。
「ひっ……ひぃぃぃぃぃっ!! ば、化け物……っ!」
腰を抜かし、泥水を這うようにして後ずさるギド。
ザイオンはその首元にナイフの切っ先を突きつけ、魔王のように冷酷に笑い下ろした。
「悪いな、豚野郎。お前が搾り取ったこのスラムの債権は、俺たちが有意義に使ってやるよ。……せいぜい、地下鉱山の泥水でも啜って、己の強欲さを呪うんだな」
ギドはそのまま恐怖で気を失い、完全に暗い意識の底へと沈んでいった。
「……お見事です、ザイオン。これで第一段階は完了ですね」
ルチアは床に散らばった傭兵たちを一瞥し、手元のトランクを軽く叩いた。
「ああ。お前の方こそ、鮮やかすぎて背筋が凍ったぜ。まさか、鑑定士の試験方法の抜け穴まで把握してるとはな」
ザイオンがナイフを仕舞い込み、心底楽しそうにルチアの肩を抱き寄せた。
スラムの悪徳高利貸しを、暴力ではなく「経済と知識」で完膚なきまでに叩き潰す。
最強のバディによる最初の「合法的な蹂躙」は、こうして完璧な形で幕を閉じたのである。




