第6話 悪徳高利貸し(前編)
王都の裏社会を牛耳る情報ギルド『黒猫』の地下特別室。
巨大な王都の地図と、いくつもの帳簿が広げられたオーク材のデスクを前に、ルチアはギルドの幹部たちを集めて静かに口を開いた。
「さて。私たちが最初に狙う標的は、このスラムの入り口に巨大な屋敷を構える高利貸し『ギド商会』です」
ルチアが地図の一点を指差すと、顔に傷のある幹部・ガロアが渋い顔をした。
「ギドの野郎か……。あいつはスラムの住人から法外な利息を毟り取ってる外道ですが、バックには王太子派閥の有力貴族がついてまさぁ。迂闊に手を出せば、王宮の近衛兵が動くかもしれねぇ厄介な相手ですぜ」
「ええ、知っています。彼はスラムから搾り取った汚い金を、王太子派閥の貴族の口座へ『合法的な献金』として資金洗浄する役割を担っていますからね」
ルチアは冷ややかな声で事実を並べた。王宮の金庫番だった彼女の頭脳には、その金の流れが血管の隅々まで完璧に記憶されている。
「暴力で潰せば、王宮が介入してくるでしょう。ですから、私たちは一切刃物を使いません。彼自身の強欲さを利用し、彼自身の判断で、すべての財産をドブに捨てさせます」
「財産を捨てさせる? 一体どうやって?」
背後のソファで葉巻を吹かしていたザイオンが、面白そうに身を乗り出した。
ルチアは一枚の羊皮紙を取り出し、そこに美しい文字で『輸入ショック』と書き込んだ。
「隣国からの特定物資の供給が突然断たれるという偽の情報を流し、市場に意図的な『輸入ショック』を引き起こすのです」
ルチアは幹部たちを見回して説明を続ける。
「ギドは最近、金貸しだけでなく、隣国ヴァルディス通商連邦から輸入される『魔力増幅石』の取引に手を出しています。もし、『連邦が魔力増幅石の輸出を全面禁止する』という極秘情報が彼の耳に入ったら、どうなると思いますか?」
「そりゃあ……これからは石が入ってこなくなるんだから、王都の市場価格は一気に跳ね上がるな」とガロア。
「その通りです。強欲なギドは、価格が高騰する前に、現在市場にある魔力増幅石を『すべて買い占めて独占しよう』と考えるはずです。独占すれば、後からいくらでも王都の貴族たちに高値で売りつけることができますからね」
「なるほど」ザイオンがニヤリと笑う。
「だが、市場の石を買い占めるには、莫大な『現金』が必要になるぜ?」
「そこが狙いです」
ルチアの瞳に、極寒の氷のような冷酷な光が宿った。
「彼は手持ちの現金だけでは足りず、スラムの住人から巻き上げた借金証書や、自分の屋敷の権利書まで担保に入れて、現金をかき集めるでしょう。……そして、その彼が全財産を投じて買い占める『魔力増幅石の在庫』を売りつけるのは、他ならぬ私たちです」
ルチアの恐ろしい計画の全貌に、ギルドの幹部たちはゴクリと生唾を飲んだ。
つまり、ギドに「架空の輸入ショック」を信じ込ませ、彼に借金までさせて用意させた莫大な現金を、ギルドが用意した「ただの石ころ(偽物)」と交換させるというのだ。
「ギドが偽物だと気づいた時には、すべてが手遅れ。彼は全財産を失い、さらに莫大な負債を抱えて合法的に破産します。スラムの住人たちの借金証書も、二束三文で私たちが買い叩いて帳消しにしてあげましょう」
「……えげつねぇ」
ガロアが顔を引きつらせながらも、その鮮やかすぎる経済トラップに震え上がった。暴力や暗殺よりも、よほど容赦がなく、そして完璧な破滅だ。
「最高だ、ルチア。お前、マジで俺の好みど真ん中だよ」
ザイオンがソファから立ち上がり、心底楽しそうな笑い声を上げた。
「俺の可愛い財務顧問が描いた極悪なシナリオだ。ギルドの総力を挙げて、極上の舞台を用意してやろうぜ」
* * *
翌日の午後。
スラムの入り口にそびえ立つ、成金趣味の悪趣味な装飾が施されたギド商会の本館。
その最上階にある豪華な応接室では、丸々と太った商会長のギドが、スラムの老人に借金の取り立てを行っていた。
「ひ、ひぃぃ……お待ちくだせぇ、ギド様! 利息の支払いは明日まで待ってくれるという約束で……!」
「うるせえ! 俺の気が変わったんだよ! 今日払えねえなら、あんたの孫娘を娼館に売り飛ばすしかねえなぁ!」
ギドが老人の顔面を蹴り飛ばそうとした、その時だった。
「——お取り込み中のところ、失礼するよ」
重厚な応接室の扉が、ノックもなしに開かれた。
立っていたのは、見たこともないほど豪奢な、隣国ヴァルディス連邦の最新流行のスーツを完璧に着こなした長身の男——変装したザイオンだった。
髪は整髪料でオールバックに撫でつけられ、片眼鏡の奥の琥珀色の瞳は、冷酷な大商人の威厳に満ちている。普段の軽薄なスラムのボスの面影は微塵もなく、どこからどう見ても「大国の冷徹な大貴族」にしか見えなかった。
そして彼の斜め後ろには、漆黒のタイトなドレスに身を包み、銀色の髪を夜会巻きにきっちりとまとめたルチアが控えていた。
銀縁の眼鏡をかけ、一切の感情を排した氷のような表情は、まさに「大商人の有能で冷酷な秘書」そのものである。
「な、なんだお前たちは! 誰の許可を得てここに入って——」
「許可? ヴァルディス連邦の特命商務官であるこの私に、こんな薄汚い豚小屋の許可証が必要だとでも?」
ザイオンの低く、傲慢で、絶対的な権力者の声が響き渡った。
そのあまりの威圧感と、彼らが身につけている装飾品の尋常ではない価値(すべてギルドの裏ルートで用意した本物の最高級品)に、ギドは一瞬で言葉を失った。
「ば、ヴァルディス連邦の、商務官殿……!? そ、それは失礼いたしました! おい、お前はとっとと失せろ!」
ギドは慌てて老人を部屋から追い出すと、揉み手をしてザイオンの前に進み出た。
「これはこれは、遠路はるばる我が商会へようこそおいでなさいました。して、本日はどのようなご用件で……?」
ザイオンは応接室の最高級のソファに、許可も得ずに深く腰を下ろした。そして長い脚を組み、見下すような視線でギドを鼻で笑った。
「単刀直入に言おう。我がヴァルディス連邦は、来月からこの国への『魔力増幅石』の輸出を全面凍結する」
「なっ……!?」
ギドの小さな目が、これ以上ないほど見開かれた。
ルチアがすかさず、偽造した完璧な「連邦議会の極秘通達書」をギドの目の前のテーブルに滑らせる。王宮の書式から印璽の成分まで知り尽くしているルチアが作らせた偽造書類は、どう見ても本物にしか見えない代物だった。
「こ、これは……本当なのですか!? もし輸出が止まれば、王都の魔力増幅石の価格は、今の五倍……いや、十倍に跳ね上がりますぞ!」
興奮で息を荒くするギドに、ザイオンはニヤリと片角を上げた。
「その通りだ。だが、私の手元には、凍結前に運び込んだ最後の『大口の在庫』がある。……王宮の役人に引き渡してもいいが、あいつらは支払いが遅くて虫が好かない。そこで、王都で最も羽振りが良く、現金払いに強いと噂の『ギド商会』に、この在庫を独占的に売り渡してやろうと思ってな」
ギドの頭の中で、欲望の歯車が高速で回り始めたのが、ルチアには手に取るようにわかった。
(今、この在庫を買い占めれば、来月には価格が十倍になる。莫大な、一生遊んで暮らせるほどの利益が出る……!)
「か、買います! ぜひ、我が商会にすべてお譲りください!」
ギドが身を乗り出して叫んだ。
「ほう。威勢がいいのは嫌いじゃない」
ザイオンは片眼鏡の奥の瞳を細め、悪魔のような微笑みを浮かべた。
「だが、在庫の量は半端じゃないぜ? 取引額は……金貨一万枚だ。明日の昼までに『現金』で用意できるか?」
「き、金貨一万枚……っ!」
ギドが絶句する。彼の商会の全財産をかき集めても、到底届かない天文学的な数字だ。
「用意できなければ、この話は他へ持っていくだけだ。行くぞ、ルチア君」
ザイオンが立ち上がろうとした瞬間、ギドは慌てて彼の足元にすがりついた。
「ま、待ってください! 用意します! 私の屋敷、手持ちの借金証書、すべてを闇金融の担保に入れれば、明日の昼までに必ず金貨一万枚の現金を作ってみせます! だから、その取引、絶対に私と結んでくだせぇ!」
欲に目が眩み、自ら破滅の泥沼へと頭から飛び込んでいく醜い豚。
ルチアは銀縁眼鏡を中指でクイッと押し上げながら、内心で冷たく嗤った。
「では、明日の正午。王都の外れの第三倉庫にてお待ちしております。……現金と引き換えに、魔力増幅石の全在庫をお渡しいたしましょう」
ルチアの極めて事務的な、氷のような声が、ギドへの事実上の「死刑宣告」として応接室に響き渡った。
罠は、完璧に噛み合った。
あとは明日、この悪徳高利貸しから全財産を合法的に巻き上げ、絶望の底へ叩き落とすだけである。




