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第30話 悪魔からの招待状

「……冗談じゃないわ! なんで私が、こんな泥船と一緒に沈まなきゃいけないのよ!!」


暴動の足音が王宮の門まで迫る中。

エドワード王太子の私室では、男爵令嬢マリーが、最高級のトランクに宝石やドレスを狂ったように詰め込んでいた。


「マ、マリー! 何をしているんだ! どこへ行く気だ!?」

顔面を蒼白にさせたエドワードが、震える手で彼女を引き留めようとする。


「触らないでよ、この無能! 王太子っていうから乗り換えてあげたのに、蓋を開けてみれば借金まみれじゃない!」

マリーは、かつてエドワードに見せていた「愛らしく儚い少女」の顔を完全にかなぐり捨て、夜叉のように彼を睨みつけた。


「連邦からの輸入が止まって、私が注文した最新のドレスも届かない! おまけに外には暴徒! このままじゃ殺されるわ。……私は隣国の公爵様を頼って亡命するから、あなた一人で借金取りにでも暴徒にでも八つ裂きにされなさいよ!!」


「マリー……! 君は、私のことを愛していると言ってくれたじゃないか!」

「お金と権力を持ってるあなたを愛してたのよ! すっからかんの借金王になんて、一ルピアの価値もないわ!」


マリーの痛烈な罵倒が、エドワードの胸に深く突き刺さる。

(ルチアを捨ててまで選んだ、私の真実の愛が……金目当ての嘘だったというのか……?)


すべてを失った。

領地を奪われ、民衆に憎まれ、そして愛した女にも見捨てられる。

エドワードが絶望のあまり床に崩れ落ち、マリーが部屋の扉を開けて逃げ出そうとした——まさにその時だった。


「で、殿下ぁぁっ!! た、大変でございます!!」


財務長官が、一枚の豪奢な封筒を掲げて、転がるように部屋に飛び込んできた。


「どけっ! 私は逃げるのよ!」と怒鳴るマリーを無視し、長官はエドワードの前に平伏した。


「れ、連邦本国から……ヴァルディス通商連邦から、超特急の親書が届きました!! しかも、封蝋は最高位である『第一皇子』の紋章です!!」

「……なんだと!?」


エドワードは弾かれたように顔を上げた。

彼は数日前、国が完全に詰んだと悟った際、ダメ元で連邦の『新たなトップ』宛に、「借金を肩代わりしてくれれば、我が国は連邦の属国になってもいい」という、恥も外聞もない泣きつきの親書を送っていたのだ。


「読め! 早く読め!!」

エドワードが叫び、長官が震える手で封を切る。


『——エルディス王室、エドワード王太子殿下へ。

貴殿からの誠意ある親書、確かに受け取った。我が連邦は、長きにわたる内部抗争が終結し、私が将来の全権を掌握したところである。貴国の借金問題についても、非常に興味深く拝見した』


「おお……っ! それで、それで!?」


『ついては、近日予定されているという、貴殿と男爵令嬢の【結婚式】に、私自らが連邦の特使として参列しよう。……その祝福の席にて、ザック商会への債務の全面的な見直しと、我が連邦からの『莫大な経済援助』を正式に発表する用意がある。盛大な式典を用意し、待たれよ——ヴァルディス連邦・第一皇子』


「……っ!!!!」

長官が読み終えた瞬間、部屋は水を打ったような静寂に包まれた。


そして。


「あーっはっはっはっ!! 見たか! 見たか、長官!!」

エドワードは立ち上がり、狂ったように高笑いした。


「連邦のトップが! この私を支援すると言ってきたぞ!! ザックの野郎がいくら粋がろうと、連邦の第一皇子様が直接介入すれば、あんな下級商人の借金など一瞬で帳消しだ!!」


「お、おおお! 殿下、我々は救われたのですね!!」

長官も涙を流して喜ぶ。


その二人のやり取りを、扉の前で聞いていたマリーは——トランクを床に放り出し、パチパチと瞬きをした。

(え……? 連邦のトップが、結婚式に無限のお金を持ってやってくる? 借金が帳消しになって、エルディス王国は連邦の庇護下に入るの……?)


マリーの頭の中で、現金という名の欲望の歯車が高速回転した。


「……あ、ああ〜んっ! エドワード様ぁっ!!」

次の瞬間。マリーは嘘泣きをしながら、エドワードの胸にダイブした。


「マ、マリー? 君は、私を見捨てて隣国へ……」

「嫌だわ、冗談に決まってるじゃない! あまりにもエドワード様が弱気になってるから、発破をかけただけよ! トランクには、私たちの『ハネムーン』の荷物を詰めてたの!」


マリーはエドワードの首に腕を回し、潤んだ瞳で見つめ上げる。

「私は信じてたわ。あなたが必ず、国を救ってくれるって。……ああ、早く結婚式を挙げましょう! 連邦の皇子様をおもてなししなくちゃ!」


「マ、マリー……! そうか、私のために……っ! ああ、すまなかった、私が不甲斐ないばかりに!」

エドワードは、マリーの見え透いた嘘を完全に信じ込み(あるいは信じたいあまり現実逃避し)、彼女を強く抱きしめ返した。


「長官! ただちに暴徒どもに布告しろ! 『連邦からの莫大な支援が確定した。大人しくしていれば、数日内に食料を無償配給する』と!!」

「ははっ!!」


「そして、一週間後に【世紀の結婚式】を執り行う! 残っている予算をすべて注ぎ込み、連邦の皇子様をお迎えする最高の舞台を用意するのだ!!」


王宮は、再び熱狂と狂乱に包まれた。

沈みかけた泥船の上で、彼らは「絶対の救済」が約束されたと信じて疑わなかった。


* * *


同じ頃。

スラム街の黒猫ギルド、VIPルーム。


「……あーっはっは!! 傑作だぜ! ガロアからの報告によると、王宮のバカども、本当に暴動を力ずくで鎮めて、全財産を注ぎ込んで結婚式の準備を始めやがったらしい!」


ザイオンはソファで腹を抱え、涙を流して笑っていた。


「当然の帰結です。彼らは『思考』を放棄し、『都合のいい希望』にすがりつくことしかできないのですから」

向かいの席で、ルチアは冷めた紅茶を一口飲み、ふっ、と極悪な笑みを浮かべた。


「エドワードが送ってきた、あの滑稽な泣きつきの親書。……まさか、自分を破滅させた『ザック商会』のボスと、助けを求めている『連邦の第一皇子』が同一人物だとは、夢にも思っていないのでしょうね」


「全くだ。俺が書いた『偽の救済状』を読んで、借金がチャラになると本気で信じ込んでやがる。……マリーとかいう女も、金目当てなんだろ?」


「ええ。最高の舞台が整いましたわ」


ルチアは立ち上がり、ザイオンの手を取った。

その薬指には、ザイオンが贈った地味だが質の良い、銀の指輪が光っている。


「残る現金資産のすべてを注ぎ込み、見栄を張って用意した、世界で一番空虚な結婚式。……そこで、彼らが一番見下していた『成り上がり商人』と『捨てた元婚約者』が、連邦のトップとして入場する」


ルチアの瞳が、ゾクゾクするような冷たい光を放つ。


「彼らを、希望の絶頂から絶望の底なし沼へと叩き落として差し上げましょう。……ザイオン、結婚式に殴り込むための『最高の衣装』の準備はできていますか?」


「ああ。俺の生涯の妻を、世界で一番美しく飾るドレスを用意させてる。……最高に悪辣で、最高に痛快なパーティーにしようぜ、ルチア」


二人は悪魔のように微笑み合った。


暗躍令嬢と第一皇子が仕掛ける、最後の巨大な罠。

国家買収劇の総決算たる「世紀の結婚式」の幕が、いよいよ上がろうとしていた。

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