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第3話 最凶の共犯者

「俺の名前はザイオン。……お前が探してた、この情報ギルドのボスだ」


ザイオンが底知れぬ支配者の笑みを浮かべた瞬間、カウンターの空気がビリッと張り詰めた。

しかし、そのヒリつくような沈黙を破ったのは、酒場の奥でたむろしていたギルドの幹部格の男たちだった。


「ちょ、ちょっと待ってくだせぇ、ボス!」

顔に傷のある大男が、慌てた様子でカウンターへと歩み寄る。


「いくらなんでも、こんな素性の知れねぇ家出娘の戯言を信じる気ですか!? 王太子の婚約者だなんて、嘘に決まってまさぁ! そいつ、敵対組織のスパイか、ただのイカれた女かもしれねぇ!」


部下たちの言うことは、裏社会の常識として極めて真っ当だった。

突然現れた小娘が「国家の裏帳簿が頭に入っている」などと言い出しても、罠か妄言だと疑うのが普通だ。


しかし、ザイオンはグラスを磨く手を止めず、ふっ、と鼻で笑った。


「お前ら、目は飾りか? だからいつまで経っても三下なんだよ」

「えっ……」


「スパイなら、こんな泥道で目立つ最高級の東方シルクなんて着てこない。それに、このドレスの裾の不自然な裂け方を見ろ。刃物じゃない、己の手で力任せに引きちぎった跡だ。……相当な覚悟と怒りがなきゃ、こんな真似はできねぇ」


ザイオンの琥珀色の瞳が、面白がるようにルチアの全身をなめ回す。


「それに、手だ。剣ダコなんか一つもない、白くて細いお貴族様の手だが……右手のペンダコだけは、異常なほど分厚く固くなってる。毎日毎日、何年にもわたって、寝る間も惜しんで膨大な書類にサインし続けた『執務者の手』だ」


「なっ……」

幹部の男たちが息を呑み、ルチアの手元を凝視する。


「極めつけは、その目だよ。俺の殺気を真正面から浴びて、瞬き一つしなかった。嘘をついている人間の目じゃないし、死を恐れる目でもない。ただ純粋に、自分の『価値』を信じ切ってる狂人の目だ」


ザイオンはカウンターに肘をつき、ルチアにニヤリと笑いかけた。

「俺は一年前、仕事で潜り込んだ王宮の夜会で、エドワード王太子の隣に立つお前を遠目から見たことがある。間違いない。お前は本物の公爵令嬢、ルチア・フォン・ローゼンベルクだ」


自分の身分証明すら必要とせず、ただの観察だけで素性から覚悟までを完全に見抜かれた。

ルチアは内心で(この男、やはりただ者ではないわね)と舌を巻きつつも、表情には一切出さずにコクリと頷いた。


「素晴らしい観察眼です、ザイオン。部下の方々よりも、あなたの方がずっと『数字』と『事実』を見る目をお持ちのようだ。……で、商談の続きはここで立ち話ですか?」


「いや。奥のVIPルームへ案内しよう」


* * *


案内されたのは、酒場の奥にある隠し扉の先。

スラムの喧騒が完全に遮断された、重厚なマホガニーの家具と最高級の革張りのソファが並ぶ、豪奢な執務室だった。


ザイオンは上着を脱いで革張りのソファに深く腰を下ろすと、長い脚を組み、両腕を大きく広げた。


「さて、逃げ出してきたお姫様。お前がパトロンを欲しがってるのはわかった」

ザイオンは、ルチアに向かって艶のある、ひどく甘い声を出した。


「よし。俺の『女』になれよ。俺の膝の上に座るなら、明日からお前の借金も生活も全部面倒見てやる。美味いもん食わせて、綺麗なドレスを山ほど買ってやる。……なんなら、お前をコケにしたあのバカな王太子の寝首を掻き切る暗殺者を、サービスで派遣してやってもいいぜ?」


それは、スラムを牛耳る男からの、あまりにも危険で甘い誘惑だった。

一生働かず、保護され、復讐すらも代わりにやってもらえる。すべてを失った令嬢であれば、涙を流して彼にすがりついただろう。


だが。

ルチアは微塵も顔を赤らめることなく、ザイオンの向かいのソファに、背筋をピンと伸ばして『対等』に座った。


「お断りします」

秒の即答だった。


「……は?」

ザイオンが目を丸くする。


「愛人の提案は却下です。三食昼寝付きの待遇は魅力的ですが、『愛人』という役職は雇用契約書が存在せず、あなたの気まぐれ一つで解雇されるリスクが高すぎます。法的・経済的保護が全くありません」


ルチアは淡々と、極めて事務的に言葉を紡いだ。


「それに、王太子を暗殺? 冗談でしょう。彼を今殺しても、我が国の経済は良くなりませんし、私たちに一ルピアの利益も生み出しません。……ハイリスク・ノーリターンの無駄な暴力です。私は、そんな非生産的な組織に与するつもりはありませんわ」


「ひ、非生産的……」

スラムのボスに向かって放たれた容赦のないダメ出しに、ザイオンはポカンと口を開けた。


「私が求めているのは、パトロンではなく『ビジネスパートナー』であり、労働に対する正当な対価です。……ザイオン。私を、この情報ギルドの『専属財務顧問』として雇いなさい」


ルチアは、ザイオンの琥珀色の瞳を真っ直ぐに射抜いた。


「基本給は月額、金貨五十枚。さらに、私の提供する王宮の裏情報および経済戦略によって得られた『純利益』の十パーセントを、成功報酬として毎月支払うこと。これが私の労働条件です」


法外な要求だった。スラムの相場から考えれば、狂気とも言える強気な契約内容だ。


「その代わり——私が必ず、一年以内にあなたのギルドの総資産を十倍にし、あの愚かな王太子と悪徳貴族たちを、暴力ではなく『経済』で合法的に一文無しにしてみせます」


静寂が、執務室を包み込んだ。

ザイオンは組んでいた脚を下ろし、ソファから身を乗り出して、目の前に座る気高い令嬢の顔をまじまじと見つめた。

愛人という安易な逃げ道をバッサリと斬り捨て、己の頭脳一つで裏社会のボスと対等の契約をもぎ取ろうとする、その途方もない傲慢さと、完璧な自信。


「…………っ」

ザイオンは手で顔を覆い。


「……あーっはっはっはっ!! 純利益の十パーセント!? お前、スラムの高利貸しより強欲じゃねえか!!」


腹の底から、今日一番の大爆笑を響かせた。

涙が出るほど笑い転げた後、ザイオンは顔を上げ、かつてないほどに獰猛で、そして歓喜に満ちた笑みを浮かべた。


「いいぜ。お前のそのイカれた頭脳、俺が最高値で買ってやる。今日からお前は、うちのギルドの専属財務顧問だ」


ザイオンが右手を差し出す。


「よろしく頼むぜ、お姫様。……いや、俺の『共犯者(相棒)』」


「ええ、よろしくお願いいたしますわ、ボス。……私の残業代は高くつきますから、覚悟しておいてくださいね」


ルチアは優雅に微笑み、その大きなごつごつとした手を取った。

王宮を追放された完璧令嬢と、裏社会を牛耳る胡散臭いボス。

決して交わるはずのなかった二人の悪党が、国の経済を根底からひっくり返す最強の契約を結んだ瞬間だった。

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