第28話 負け犬たちの意地
ザイオンの低い声には、先ほどの暗殺者(猟犬)部隊と対峙した時と同等の、極寒の「絶対零度」の殺意が込められていた。
「俺が国ごと物理ですり潰してやる。……子供たちには、指一本、かすり傷一つ負わせねえよ」
「しかし、相手は王国の近衛騎士団一個中隊です! いくらあなたでも、一人で子供たち全員を無傷で守りながら戦うなど……っ」
「誰が一人で行くと言った?」
ザイオンがふっと、凶悪な笑みを浮かべた。
「——そうだぜ、姐さん。ボスの言う通りだ」
酒場の奥から、低く野太い声が響いた。
ルチアがハッとして視線を向けると、そこには、先日の『猟犬』との死闘で重傷を負い、まだ肩や頭に痛々しい包帯を巻いたガロアの姿があった。
さらにその後ろからは、義手の武器職人ドンガや、斥候の少女ミラをはじめとする、黒猫ギルドの幹部や構成員たちが次々と姿を現す。彼らの手には、すでに鈍く光る武器が握られていた。
「ガロア……! あなたたち、まだ傷が塞がっていないでしょう!」
「へっ。こんなくすり傷、あの猟犬どもに斬られた痛みに比べりゃ、蚊に刺されたようなもんでさぁ」
ガロアは包帯の巻かれた腕をグルグルと回し、ギラギラと飢えた獣のような目をした。
「……ボス。俺たちスラムの連中、こないだの連邦の暗殺部隊との戦いじゃあ、防衛トラップがなきゃ手も足も出ねえ完全な『負け犬』でした」
「ああ」
「俺らも悔しくて、ここ数日ずっと腹の虫が治まらねえんですよ。……この鬱憤、王宮の温室育ちどもで晴らさせてもらえませんか?」
その言葉に、ギルドの面々が一斉に獰猛な笑い声を上げた。
ルチアは目を丸くした。
彼らはただのならず者ではない。ザイオンがスラムのボスとして潜伏していた期間、彼らに何を教えていたのか。
「ルチア、こいつらをただのチンピラだと思ったら大間違いだぜ。俺が連邦の軍事カリキュラムの『最高難易度』を叩き込んで鍛え上げた、俺の直属の私兵だ」
ザイオンがルチアの耳元で囁く。
「……猟犬には一歩及ばなかったがな。王国の騎士気取りども相手なら、あくびしながらでも勝てる」
ザイオンが顎でしゃくると、ガロアたちは「おうっ!!」と地鳴りのような咆哮を上げ、一斉に酒場を飛び出していった。
ルチアは、ザイオンの腕の中で小さく息を吐き出した。
「……むちゃくちゃですわ。連邦の次期トップが、他国のスラムの住人を軍事訓練して私兵にしていたなんて」
「有能なトップは、どこにいても使える駒を育てるもんだろ? さあ、特等席で奪還の報告を待とうぜ」
* * *
王都第十三区、スラムの外れにある古い孤児院。
その周囲は、白銀の鎧に身を包んだエルディス王国の近衛兵たち五十名によって、完全に包囲されていた。
「泣くな! 汚らわしいガキどもめ! 静かにしろ!」
近衛騎士団長が、怯えて泣き叫ぶ二十人ほどの孤児たちに向かって、苛立たしげに剣の柄を振り上げた。
シスターたちが必死に子供たちを庇って震えている。
「チッ……ルチアめ、本当にこんな薄汚いスラムの施設に隠し財産を……? まあいい、とにかくあの女が現れるまで、このガキどもには一歩も外へ出させるな!」
騎士団長が部下たちに怒鳴り散らしていた、その時だった。
「——おいおい。エルディス王国の騎士様ってのは、丸腰のガキと女相手に剣を抜くのがお仕事なのかい?」
頭上から、嘲るような声が降ってきた。
騎士団長がハッとして見上げると、孤児院の屋根の上に、巨大な戦斧を肩に担いだ大男——ガロアが、三日月を背にしてしゃがみ込んでいた。
「な、なんだ貴様は!? スラムのゴロツキか! ここはすでに近衛騎士団が制圧した! 命が惜しくば立ち去れ!」
「制圧? ……笑わせんなよ」
ガロアは鼻で笑うと、首をゴキゴキと鳴らして立ち上がった。
「こないだ俺たちのシマに乗り込んできた連邦のホンモノどもはな、屋根の上の俺に気づく前に、音もなく俺の首の皮を一枚斬り裂いていったぜ」
ガロアの言葉の意味が理解できず、近衛兵たちが顔を見合わせる。
「それに比べててめえら……包囲の陣形は穴だらけ、足音はドタバタうるせえ、おまけに上にいる俺に声をかけられるまで誰も気づかねえ。……スローモーションでも見てる気分だぜ」
「き、貴様ぁっ! 不敬であるぞ! 射抜けっ!!」
激昂した騎士団長の命令で、数人の兵がクロスボウを構えた。
だが。
「遅えよ、お坊ちゃんたち」
パチンッ。
軽快な指鳴らしの音と共に、屋根の上のガロアの姿が、ふっと陽炎のようにかき消えた。
連邦軍特殊部隊が用いる超高速の歩法。スラムの男がそれを完全に自分のものにしていた。
「なっ……消え、た!?」
「上だ!!」
ドォォォォンッ!!
という轟音と共に、白銀の鎧を着た近衛兵たちの中心に、巨大な戦斧が叩きつけられた。石畳が爆発したように吹き飛び、衝撃波で十人近くの兵士が一瞬にして空中に弾き飛ばされる。
「ひぃっ!?」
「陣形を立て直せ! 相手は一人だ、囲めぇっ!!」
パニックに陥る近衛兵たち。しかし、彼らの足元を、いつの間にか這うようにして張り巡らされていた『極細のワイヤー』が絡め取った。
「一人なわけないじゃん。……バーカ」
路地裏の暗がりから、ミラがワイヤーの束を力いっぱい引き絞る。
「ぎゃああっ!?」
足首を斬り裂かれ、あるいは足を掬われて、さらに十数人の近衛兵がドミノ倒しのように重なり合って転倒した。
「ほれ、お返しだ。目ぇ開けてよく見とけよ」
今度は義手のドンガが、孤児院の周囲に特殊な『閃光玉』を次々と放り投げる。
強烈な光と、視界を奪う特殊な煙幕。それは、先日彼らが『猟犬』から喰らった戦法を、さらに改良して近衛兵たちにお見舞いしたものだった。
「目が……っ! 痛い、何も見えない!!」
「助けてくれぇっ!」
もはや戦闘などというレベルではなかった。
ただの「蹂躙」である。
「うおおおおおっ!! 猟犬の借りは、てめえらで返させてもらうぜぇぇっ!!」
煙幕の中から、ガロアたちスラムの精鋭が、鬱憤をすべて晴らすかのような凄まじい気迫で近衛兵たちを次々と殴り倒していく。
彼らは剣の峰や拳を使い、近衛兵の急所だけを正確に打ち抜いていった。ルチアの「子供たちの前で血を見せないでください」というオーダーを完璧に守りながらの、圧倒的な制圧劇。
「ば、馬鹿な……っ! 我らエルディス王国の精鋭たる近衛騎士団が、たかがスラムのゴロツキどもに……っ!!」
一人残された騎士団長が、腰を抜かして震えながら剣を構える。
その剣の切っ先を、ガロアは素手でガシッと掴み取った。
「精鋭? 笑わせんな。……てめえらの剣は、軽すぎてあくびが出るぜ」
バキィィィィンッ!!
ガロアが握り潰すように力を込めると、王室支給の業物の剣が、無惨にも飴細工のようにへし折られた。
「ひっ……!」
「おネンネしてな、お坊ちゃん。俺たちの『姐さん』を怒らせたこと、夢ん中で後悔しな」
ガロアの丸太のような拳が、騎士団長の顔面にめり込む。
白目を剥いた騎士団長が崩れ落ちたことで、五十名の近衛騎士団一個中隊は、わずか三分足らずで『完全無力化』された。
「……ミッション・コンプリート。子供たちに、怪我なしだ」
ミラがワイヤーを巻き取りながら、煙幕の中でポツリと呟いた。
孤児院の子供たちは、突然の出来事に目を丸くしていたが、誰一人として怪我を負っていなかった。シスターたちが、へたり込んだ近衛兵たちを見て安堵の涙を流している。
ガロアは胸元の伝声を引き抜き、通信スイッチを入れた。
『こちらガロア。……ボス、姐さん。王宮のゴミ掃除、終わりましたぜ。もちろん、子供たちにはかすり傷一つ、血の一滴も見せちゃいねえ。完璧な保護ってやつです』
* * *
「……ふふっ。見事な成果ですね」
黒猫ギルドの酒場。
伝声管から聞こえてきたガロアの報告を聞き、ルチアは割れた羽ペンをテーブルに置き、完璧な「暗躍令嬢」の極寒の笑みを取り戻した。
「よくやった、ガロア。子供たちを安全な隠れ家に移したら、王宮の連中に『利息の取り立てに行く』と伝言を頼む」
ザイオンが伝声管越しに指示を出すと、満足げに通信を切った。
「さて、ルチア。お前の大事な資産は守り抜いたぜ。……心置きなく、あのアホ王子を物理的にも経済的にも息の根を止められるな?」
ザイオンの言葉に、ルチアはゆっくりと立ち上がった。
子供たちを無事に救出できた安堵の裏で、彼女の頭脳はすでに「エドワードへの報復の計算」を完全に組み上げていた。
「ええ。子供たちを人質に取るという、為政者として最も恥ずべき不当な恐喝……その『違約金』は、天文学的な数字になりますわ」
ルチアは、銀縁眼鏡の奥の瞳を冷酷に細めた。
「ザイオン。あなたは連邦の次期トップとして、この泥船への『輸出入』を完全にストップさせることができますか?」
「ああ。魔力鉱石の取引停止はもちろん、食料の輸出も一日で完全に封鎖してやる」
「結構です。……それでは、エルディス王国の経済を完全に『仮死状態』に追い込みましょう」
人質という最悪の一手を打ったエドワードに対し、最強の夫婦による「国殺し」のスイッチが、今、容赦なく押されようとしていた。




