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第27話 正午の鐘

エルディス王宮、財務局の長官室。

窓から差し込む太陽の光が、部屋の真ん中にある巨大な日時計の影を、じりじりと「12」の数字へと近づけていた。


「……殿下。あと五分です。あと五分で、正午の鐘が鳴ります……!」


目の下に真っ黒なクマを作った財務長官が、幽鬼のような声で絞り出した。


「うるさいっ! わかっている!!」

エドワード王太子は、苛立たしげに爪を噛みながら長官室の中を歩き回っていた。


今日この日は、あの忌々しい成り上がり商人「ザック」から資材を買い取った、金貨二万五千枚の借用書の『利息支払い日』である。

その額、金貨二千五百枚。

しかし、星の宮殿の建設(現在ストップ中)で無駄な人件費を垂れ流し続けた国庫は、すでに完全に底をついていた。他国からの融資も断られ、王立銀行もこれ以上の貸し付けを拒否している。


つまり、現在のエルディス王国に、ザックへ支払う現金はびた一文残されていなかった。


「……たかが商人の分際で。王太子であるこの私に、取り立ての催促だと? ふざけるな……ちょっと支払いが遅れたくらいで、ガタガタ騒ぐようなら、不敬罪で首を刎ねてやる!」


エドワードは現実から目を背け、己の権力でどうにでもなると高を括ろうとしていた。

しかし。


カァァァァァァン……!!


王都の中央時計塔が、無情にも「正午」を告げる鐘の音を響かせた。

その瞬間である。


「ひっ……!?」


財務長官が、デスクの上に置かれていた『王室財産目録』の羊皮紙を見て、短い悲鳴を上げた。

「で、殿下ぁぁっ!! 見てください! 目録の文字が……っ!!」


「なんだと!?」

エドワードが慌てて覗き込むと、信じられない光景が広がっていた。


王室の最大の収入源である『東部の魔力鉱山』と『南部の穀倉地帯』。

その所有者欄に書かれていた「エルディス王室」という文字が、呪いのように赤黒く発光し、シュルシュルと自動的に書き換えられていくではないか。


そして、そこに新たに刻まれた文字は——。


『所有者:ヴァルディス通商連邦・ザック商会』


「な、なんだこれはぁっ!!?」

エドワードは絶叫し、羊皮紙を破り捨てようとした。だが、魔法契約の力が込められた目録は、彼の力では傷一つつかなかった。


「……お、終わりました……。あの借用書に刻まれていた『自動譲渡』の魔術が、正午の支払い不履行と同時に発動したのです……!」

財務長官は白目を剥き、その場に崩れ落ちた。


「我が国の基幹産業が……王室の領地が、たった一つの商会に合法的に乗っ取られた……! これで我が国は、名実ともに経済的な『死』を迎えました……っ!!」


「黙れ黙れ黙れぇぇぇっ!!!」

エドワードは狂乱し、手当たり次第に長官室の調度品を蹴り飛ばした。


「馬鹿な……こんな馬鹿な話があるか! たかが金貨二千五百枚の利息が払えなかっただけで、なぜ私の領地が奪われねばならないのだ!!」


自分が何にサインしたのか、今更になって事の重大さを理解した愚かな王太子。

このままでは、王室は一切の収入を絶たれ、国は数日で完全に立ち行かなくなる。


(金だ……! 現金が必要だ! なんとしても現金を用意して、あの生意気なザックの奴の横面を札束でひっぱたき、領地を買い戻さなければ……っ!)


パニックで視野が極限まで狭まったエドワードの脳裏に、一つの「見当違いな妄想」が閃いた。


(……そうだ。なぜ、今の我が国の国庫には、これほどまでに現金がないのだ?)


彼が星珊瑚のティアラに金貨五千枚を使い、新宮殿の建設に莫大な人件費を垂れ流したからだ。それが100%の真実である。

しかし、彼の肥大化したプライドは、自らの失敗を絶対に認めなかった。


(……ルチアだ)


エドワードの口元が、歪に吊り上がった。

(あの可愛げのない女が財務を仕切っていた頃は、国庫に余裕があった。だが、あいつを追放した途端に金が底を突いた。……つまり! あの女は裏で王室の金を横領し、莫大な『隠し財産』を築き上げていたに違いない!!)


恐るべき責任転嫁と、都合のいい解釈。

エドワードは、ルチアが徹夜で無駄な支出を削り、銅貨一枚単位で節約して国庫を支えていた血の滲むような努力を、「横領による蓄財」だと本気で思い込んだのだ。


「近衛騎士団長を呼べ!!」

エドワードは血走った目で怒鳴り散らした。


数分後、慌てて駆けつけてきた近衛騎士団長に対し、エドワードは狂気に満ちた命令を下した。


「ただちに、王宮を追放された大罪人・ルチアの居場所と、奴の『隠し財産』の在り処を突き止めろ! 我が王室から盗み出した財産を没収するのだ!!」


「は、ははっ! しかし殿下。ルチア様は追放後、スラムに身を隠しているという噂はありますが、広大なスラムを虱潰しに探すには兵力が……」


「ええいっ! 奴に直接持ってこさせればいいだろう!!」

エドワードは舌打ちをし、忌々しげに言葉を続けた。


「あの女は以前、王宮の裏でこそこそと『スラムの孤児院』に支援金を送っていたはずだ。偽善者ぶって、貧乏人のガキどもに金をばら撒いていたのを知っているぞ!」


「こ、孤児院、でございますか?」


「そうだ! その孤児院を近衛兵で制圧しろ! ガキどもを人質に取り、『隠し財産をすべて持って王宮へ出頭せよ。さもなくば孤児たちの命はない』とスラム中に触れ回らせるのだ!!」


近衛騎士団長の顔から、スッと血の気が引いた。

「で、殿下!? いくらなんでも、無力な子供を人質に取るなど、王室の騎士の誇りに反します! 第一、ルチア様が横領をしていたという確たる証拠が……」


「私が証拠だ!! 口答えする気か!!」

エドワードは騎士団長の胸ぐらを掴み、唾を飛ばして絶叫した。


「これは国家の存亡を懸けた作戦である! 国の金を取り戻すためなら、スラムのゴミ屑の命など安いものだろうが! 今すぐやれ! ザックの野郎に領地を完全に奪われる前に、何としてでもルチアの金をふんだくるのだ!!」


狂気に呑まれた王太子は、ついに為政者として最も触れてはならないタブーに手を染めた。


* * *


その数時間後。

スラム街の最深部にある黒猫ギルドの地上階(酒場)に、息を切らせた情報員が血相を変えて飛び込んできた。


「ボ、ボス!! 姐さん!! 大変です!!」


酒場の隅のテーブルで、ギルドの帳簿整理をしていたルチアと、その向かいでコーヒーを飲んでいたザイオンが、同時に顔を上げる。


「何事ですか、そんなに慌てて。エドワードが首でも括りましたか?」

ルチアが銀縁眼鏡を押し上げながら、冷ややかに問う。


「ち、違います! 王宮の近衛兵の一個中隊がスラムに雪崩れ込んできて、姐さんがずっと支援してた『第十三区の孤児院』を包囲しやがったんです!」

「……え?」


ルチアの持つ羽ペンが、ピタリと止まった。


「近衛兵どもは子供たちを人質に取って、拡声器で叫んでやがります! 『大罪人ルチアよ、王室から盗み出した隠し財産をすべて持って王宮へ出頭せよ。さもなくば孤児たちの命はない』って……!!」


パキッ。

ルチアの手の中で、上質な羽ペンが真っ二つに折れた。


「……なんですって?」


ルチアの声は、地獄の底から響いてくるように低く、そして恐ろしいほど静かだった。

彼女は追放された後も、ギドから巻き上げた資金の一部を、密かにその孤児院へと寄付し続けていた。何の罪もない、これからの未来という『資産』を持つ子供たち。

それを、あの愚かで無能な男は、己の保身のために人質に取ったというのだ。


「……見当違いも甚だしいですね。ザック商会への支払いができないからといって、私の横領をでっち上げ、子供を盾に金を要求するとは」


ルチアはゆっくりと立ち上がった。

彼女の瞳には、一切の光がない。あるのは、かつて彼女を貶めた相手に向けたものとは次元の違う、完全なる「殺意」だった。


「……ルチア」

向かいの席でコーヒーカップを置いたザイオンが、静かに彼女の名を呼んだ。


「止めないでください、ザイオン」

ルチアは振り返らず、ギルドの武器庫の方へと歩き出そうとした。

「彼らは計算を間違えました。私が支援していた子供たちを不当に傷つけようとしたこと。……違約金として、私の隠し財産と引き換えに、あのバカの首を物理的に刎ね飛ばしてきます」


自分自身が傷つけられることには極めて合理的に対処してきたルチアが、初めて見せた「感情による暴走」。


しかし。

ザイオンは立ち上がり、ルチアの細い腕をガシッと掴んで引き留めた。


「ザイオン! 離しなさい! 孤児たちが殺されてからでは遅いのです!!」

ルチアが声を荒らげる。


だが、ザイオンの顔を見た瞬間、ルチアは言葉を失った。


ザイオンの琥珀色の瞳は、ルチア以上に……いや、この世のすべての熱を奪い去るような、極寒の「絶対零度」の怒りに染まり切っていたのだ。


「お前が行く必要はねえよ、ルチア」


ザイオンは、ルチアの腕を優しく、だが絶対に逃がさない力で引き寄せ、その震える肩を抱きしめた。


「テロリストに交渉のテーブルは用意しねえ。……俺の『妻』の逆鱗に触れたこと。国ごと、物理ですり潰して後悔させてやる」


それは、スラムのボスの言葉ではない。

ヴァルディス通商連邦という、世界最強の武力と経済力を併せ持つ超大国の「次期トップ」としての、冷酷無比な宣戦布告だった。


愚かな王太子の暴走が、ついに眠れる竜の尾を踏み抜いた。

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