第23話 嘘つきなボスの正体
キィィィィン……という、耳をつんざくような甲高い耳鳴りが頭蓋骨の裏側で反響していた。
むせ返るような土煙と、硝煙、そして肉が焦げる強烈な匂い。
「……っ、ぁ……」
ルチアは、瓦礫の山と化したVIPルームの床で、ゆっくりと意識を取り戻した。
全身が鈍く痛み、銀縁眼鏡のレンズにはヒビが入っている。だが、四肢は動く。致命傷はない。
部隊長が自爆の起爆符を作動させた瞬間。
ザイオンは、ルチアを突き飛ばして床に伏せさせ、自らの巨大な体躯で彼女に覆い被さった。爆風と瓦礫の雨のすべてを、その背中一つで受け止めたのだ。
「……ザイ、オン……?」
ルチアは震える声で呼びかけながら、体を起こした。
もうもうと立ち込める粉塵が少しずつ晴れていく。
部屋の惨状は酷いものだった。
最高級のオーク材のデスクは木っ端微塵に砕け散り、壁には巨大な亀裂が走っている。自爆した部隊長をはじめ、五人の精鋭暗殺者たちは、爆発の直撃と天井からの崩落に巻き込まれ、完全に息絶えていた。
そして。
「……ザイ……オン……っ!」
ルチアの視線の先。
崩れた石柱と瓦礫の下敷きになるようにして、漆黒のコートを着た男がうつ伏せに倒れていた。
彼の周囲の石畳には、どす黒い血の海がゆっくりと広がっている。
「嫌……嘘、ザイオン! 起きて!!」
ルチアは、ドレスの裾が破れるのも構わず、彼のもとへ這いずって駆け寄った。
彼の背中には無数の瓦礫の破片が突き刺さり、コートはボロボロに引き裂かれている。特に右脇腹からの出血が酷く、押さえたルチアの手が、一瞬にして生温かい赤色に染まった。
(この出血量……すでに全血液の二割以上を失っている。生存確率は……)
「待って、死なないで……! あなたが死んだら、私の投資が、全部パーになるじゃない……っ!」
ルチアはパニックになりながら、自分が着ていた『金貨三百枚の価値がある』ミッドナイトブルーの最高級シルクドレスの裾を、力任せに引き裂いた。
布がちぎれる無惨な音が響く。彼女はそれを何重にも折りたたみ、ザイオンの右脇腹の傷口に強く押し当てて止血を試みた。
費用対効果。資産価値。減価償却。
これまで彼女が最優先に掲げてきた完璧な防壁は、血まみれの彼を前にして、音を立てて崩れ去っていた。
「ザイオン! 目を開けてください! 契約違反です!!」
ルチアが涙声で叫びながら、懸命に止血を続けていると。
「……うる、せえな。俺の可愛い、秘書官殿……。耳元でギャーギャー喚かれたら、三途の川も……渡り損ねちまうだろ……」
掠れた、ひどく弱々しい声。
ザイオンが、血に染まった琥珀色の瞳を薄っすらと開け、ルチアを見上げた。
「ザイオン……っ!」
「……お前、そのドレス……金貨三百枚じゃなかったか? んな泥雑巾みたいにしちまって……もったいねえ」
彼は口の端から血を流しながら、それでもいつものように、憎まれ口を叩いて不敵に笑おうとした。
だが、その頬に触れようと持ち上げた彼の手は、力なく途中で落ちてしまう。
ルチアはその血まみれの大きな手を両手でしっかりと掴み、自分の頬に押し当てた。
彼女の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、ザイオンの手の甲を濡らす。
「……泣いてんのか、ルチア」
「泣いていません。……爆発の粉塵が、目に入っただけです」
「ははっ……相変わらず、素直じゃねえな」
ザイオンは痛みに顔を歪めながら、ルチアを真っ直ぐに見つめた。
「……聞いたろ、さっきの猟犬の言葉。……俺は、スラムのボスなんかじゃねえ。ヴァルディス連邦の……第一皇子だ」
「ええ。とんだ大嘘つきですね」
ルチアは震える声で、しかし決して目を逸らさずに答えた。
「俺は、連邦の内部で腐敗している貴族派閥の『裏帳簿』を探るため……極秘の任務で、あえて死んだふりをして国を出たんだ。お前を……こんな修羅場に巻き込むつもりは、本当になかったんだ。……すまねえ、ルチア」
「謝罪など不要です」
ルチアは涙を拭い、ザイオンをキッと睨みつけた。
「私はあなたに無理やり従わされていたわけではありません。私自身の意思で、あなたという最高の『資産』に投資をしたのです。……皇子であろうとスラムのボスであろうと、あなたが私のビジネスパートナーであるという事実に変わりはありません」
ルチアの強い言葉に、ザイオンはわずかに目を見開き……そして、安堵したようにふっと笑った。
「……マジで、お前には敵わねえな」
その時。
瓦礫に埋もれていた伝声管から、ひどくノイズの混じったガロアの声が響いた。
『ボ、ボス!! 姐さん!! 無事ですか!! すげえ爆発音がしたんですが!!』
ルチアはハッとして、這いずるようにして伝声管を手に取った。
「ガロア……!? 生きていたのですか! 先ほど通信が途絶えた時、てっきり……っ!」
『へへっ、心配かけやした! あのバケモノどもに肩口をざっくりやられちまいましたが、間一髪でドンガの親父が煙幕弾を放り投げてくれて、死んだフリをしてやり過ごせたんでさぁ。悪運だけは強いんでね』
痛みを堪えながらも気丈に振る舞うガロアの声に、ルチアは安堵で小さく息を吐き出した。
「……馬鹿者。ですが、見事な立ち回りでした。私は無事です。ですが、ザイオンが重傷です! そちらの状況は!?」
『ボ、ボスが重傷!? クソッ……! こっちの路地裏の防衛線は、姐さんの罠と俺たちで猟犬の八割方は片付けやした! ですが……』
ガロアの声に、再び焦燥感が混じる。
『罠を突破した残党が、そっちの地下室に向かってます! 数は四人! 手負いの獣みたいに殺気立ってやがる!! 俺たちもすぐに向かいますが、瓦礫で通路が塞がれてて、あと数分はかかりまさぁ!!』
「……了解しました。ガロアたちは自らの安全を最優先にしつつ、迂回路から向かってきなさい」
ルチアは伝声管を置き、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
精鋭の五人は倒した。だが、残党の四人が確実にこの部屋へ迫っている。今のザイオンは立ち上がることもできず、ルチアに戦闘能力はない。
「……ルチア」
ザイオンが、血を吐きながらルチアのドレスの裾を引いた。
「俺のコートの裏に……まだナイフが何本か残ってる。それを、持って……隠し通路から逃げろ……」
「黙りなさい」
ルチアはザイオンの言葉をピシャリと遮り、立ち上がった。
彼女は破れたドレスの裾を整え、ヒビの入った銀縁眼鏡を外し、真っ直ぐに崩れた入り口の方向を見据えた。
「先ほども言ったはずです。私は、自分の投資したビジネスパートナーを見捨てて逃げるような、三流の真似は絶対にいたしません」
コツン、コツン。
崩れた通路の奥から、複数の足音が近づいてくる。
ルチアは、ザイオンのコートの裏からナイフを一本抜き取ると、それを自らの手でしっかりと握りしめた。
そして、極寒の氷のような、絶対的な自信に満ちた『悪女』の笑みを浮かべた。
「ガロアたちが到着するまでの数分間。……私が彼らを、完璧な交渉で退かせてみせますわ」
瀕死の皇子を背に庇い、武器を持たない暗躍令嬢が、本物の暗殺者たちを相手に究極の心理戦を仕掛ける。国家すら買い叩いた彼女の「舌先三寸」による、命を懸けた最終防衛戦が幕を開けようとしていた。




