第22話 死角
「……見つけたぞ。裏切り者の皇子殿。そして、その横にいる小賢しい雌狐もろとも、ここで肉塊に変えてやる」
部隊長と覚しき男が、血の滴る短剣をザイオンに向けて宣告した。
その刀身から漂う強烈な鉄の匂いに、ルチアは背筋が凍るのを感じた。表の路地裏で何人切り伏せてきたのだろう。彼らの放つ殺気は、先遣隊とは次元が違った。
「ルチア、お前は一歩も動くな。俺の背中に張り付いてろ」
ザイオンは両手に漆黒のナイフを逆手で構え、ルチアを完全に背後に隠すように腰を落とした。
「生意気なネズミどもめ。王宮の温室育ちとは違う本物の『死』を、俺が直々に教えてやる」
ザイオンの琥珀色の瞳が、極限まで細められる。
次の瞬間、彼の姿がブレた。
「なっ……!?」
暗殺者の一人が驚愕の声を上げる間もなく、ザイオンは五メートルの距離をゼロにし、男の顎の下から脳天に向けてナイフを突き立てていた。
ゴキッ、という鈍い音と共に、一人目が崩れ落ちる。
しかし、残りの四人は仲間が殺されたことにも微塵も動揺せず、即座にザイオンを包囲するように散開した。
「チッ、やはり先遣隊の雑魚とは動きが違うな」
ザイオンが舌打ちをする。
四人の暗殺者は、互いの死角を完璧にカバーし合う陣形を組み、同時多発的に襲いかかってきた。
右からは毒の塗られた短剣が、左からは消音された小型のクロスボウの矢が放たれる。ザイオンは超人的な体術で矢を叩き落とし、短剣を躱すが、相手はプロ中のプロだ。わずかな隙を突かれ、彼の漆黒のコートが鋭く切り裂かれた。
(……まずい。いくらザイオンの身体能力が人間離れしていても、私を庇いながら四人の連携攻撃を捌き切るのは不可能に近い)
ルチアは、ザイオンの背中に庇われながら、銀縁眼鏡の奥で超高速の演算を開始した。
恐怖はない。あるのは、自分が選んだ最高のビジネスパートナーを絶対に死なせないという、執念にも似た冷徹な意志だけだった。
「……ザイオン! 右斜め前方、三十度! 踏み込みが〇・五秒遅れています!」
突如として響いたルチアの凛とした声。
ザイオンは疑問を抱くことすらなく、彼女の言葉通りに右斜め前方へ体重を移動させた。
ヒュンッ!
その直前までザイオンの首があった空間を、暗殺者の短剣が空振りして通り過ぎる。
「そこです! 敵の重心は左足に偏っています! 右脇腹!」
「了解だ!!」
ザイオンのナイフが、体勢を崩した暗殺者の右脇腹を正確に抉り取った。
「がはっ……!?」
二人目の暗殺者が、大量の血を吐いて床に沈む。
「馬鹿な……!? なぜ、あの女の指示で完全に動きを先読みできる!?」
部隊長が驚愕に目を見開いた。
「驚くことではありません。人間の動きはすべて『物理法則』と『確率』に支配されています」
ルチアはザイオンの背中にピタリと張り付き、残る三人の暗殺者の筋肉の収縮、視線の動き、足元の重心を、まるで冷徹な機械のように分析し続けた。
「彼らは連携を重視するあまり、攻撃のパターンがマニュアル化されています。……つまり、条件さえ揃えば、次の一手は百パーセント予測可能だということです」
ルチアは王宮で、数万ページに及ぶ国家予算の帳簿から不正を見つけ出す訓練を積んできた。
彼女にとって、目の前で動く暗殺者たちの軌道は、帳簿の数字の羅列と同じだった。不自然な動きがあれば、その先に必ず急所がある。
「ザイオン! 上段から二撃、直後に背後から矢が来ます!」
「上等だ!!」
ザイオンはルチアの声を完全に信じ切り、一切の迷いなく動いた。
彼は背後のルチアを片腕で抱き寄せるようにして身を屈め、上段からの凶刃を躱すと同時に、手にしたナイフを後ろ向きに投擲した。
「ギァッ!」
暗闇に潜んで弩を構えていた三人目の眉間に、漆黒のナイフが深々と突き刺さる。
「おのれ、雌狐め!!」
仲間を次々と屠られ、部隊長が激昂した。
彼は標的をザイオンからルチアへと変更し、残る部下の一人と共に、左右から挟み込むようにルチアへと襲いかかった。
「ルチア!!」
ザイオンが血相を変えてルチアを庇おうとするが、部隊長の動きは先ほどよりも遥かに速く、執念に満ちていた。
毒刃が、ルチアの細い首筋へと迫る。
(……ここですわ)
しかし、ルチアは一歩も引かず、極寒の瞳で部隊長を真っ直ぐに見据えた。
「ザイオン、私が先ほど言った言葉を覚えていますか?」
「あ……?」
「最後に彼らを出迎える『一番えげつない罠』は、まだ図面に書き込んでいないと」
ルチアは、自らのドレスの裾に隠し持っていた、小さな銀色の小瓶を床に叩きつけた。
パリンッ!!
ガラスの砕ける音と共に、強烈な刺激臭を放つ真っ白な煙が、ルチアと部隊長の間で爆発的に広がった。
「なっ……ゲホッ!? な、なんだこれは……目が、焼ける……!!」
部隊長と部下が、突然の劇薬の煙に顔を覆い、悲鳴を上げてその場に蹲る。
「ドンガに調合させた、特製の『催涙魔力粉』です。原価は金貨一枚と少々お高いですが、至近距離で吸い込めば、プロの暗殺者であろうと一分間は視界と呼吸を完全に奪われます」
ルチアは、事前に口元を扇で覆いながら、冷酷に事実を告げた。
自分が狙われることすらも、相手を誘導するための囮として計算に組み込んでいたのだ。
「……お前、マジでいかれてるな。自分が囮になるとか、心臓が止まるかと思ったぜ」
ザイオンが煙を払いながら、蹲る部下の一人の首を容赦なく刎ね飛ばした。
「投資にはリスクがつきものです。……ですが、リターンは確実でしたでしょう?」
「ああ。最高の利益だ」
残るは、床でもがき苦しむ部隊長ただ一人。
ザイオンは血まみれのナイフを片手に、ゆっくりと部隊長を見下ろした。
「さて、連邦の猟犬の親玉さんよ。……てめえらの雇い主は誰だ? 俺の首に、いくらの懸賞金を懸けた?」
ザイオンの琥珀色の瞳は、もはや人間の温度を持っていなかった。
煙から逃れようと床を這う部隊長は、血走った目でザイオンを見上げ、そして……喉の奥で、ヒューヒューと不気味な笑い声を漏らした。
「……ククッ。懸賞金だと? 馬鹿を言うな。我々が動いたのは金のためではない。……連邦の『正当なる未来』のためだ」
部隊長は、自身の死を悟りながらも、狂信的な光を瞳に宿してザイオンを睨みつけた。
「エルディス王国のスラムに潜伏し、下劣なギルドのボスとして泥水を啜る男。……だが、我々は騙されない。その見せかけの死も、すべては我が国の反対貴族どもをあぶり出すための、貴様の極秘任務なのだろう?」
「……」
ザイオンは無言のまま、ナイフの切っ先を部隊長の喉元に突きつけた。
ルチアは息を呑み、二人の会話に耳を傾ける。
「殺すがいい。だが、貴様がここで我々を全滅させようと、連邦本国ではすでに『計画』が進行している。……貴様がエルディス王国の泥船にかまけている間に、祖国は完全に我々の派閥のものとなるのだ」
部隊長は、口から血の泡を吹きながら、ルチアの方へと視線を向けた。
「おい、そこの女。……貴様、自分が誰に背中を預けているか、本当にわかっているのか? こいつはただの商人でも、スラムのボスでもない」
「……黙れ。それ以上喋れば、舌を引き抜くぞ」
ザイオンの低い怒声が響く。だが、部隊長の言葉は止まらなかった。
「こいつの名はザイオン・ル・ヴァルディス。……世界最強の軍事と経済を誇る超大国、ヴァルディス通商連邦の『第一皇子』にして、次期議長だ!!」
静寂。
VIPルームの空気が、完全に凍りついた。
ルチアの銀縁眼鏡の奥の瞳が、これ以上ないほど見開かれる。
(第一、皇子……? ヴァルディス連邦の、次期トップ……!?)
ルチアの頭の中で、これまでのすべてのパズルがカチリと音を立てて組み合わさっていく。
王宮の暗殺部隊を瞬殺した、あの異常なまでの戦闘能力。
「投資」や「数字」の価値を完璧に理解し、数万枚の金貨を動かすことに微塵の躊躇いも見せない圧倒的な器の大きさ。
そして、闇オークションでエドワード王太子に向かって言い放った、「この仮面を外した素顔で、いつか表舞台を歩く」という重すぎる覚悟の言葉。
すべては、彼が「一国の頂点に立つべき人間」であったからだ。
「……ッ!! ザイオン、危ない!!」
ルチアが思考の海から引き戻され、絶叫した。
死を覚悟した部隊長が、最後の力を振り絞り、隠し持っていた『魔力起爆符』を自らの胸に突き刺そうとしていたのだ。
自爆による、文字通りの相打ちの構えだった。
「チッ……!!」
ザイオンが咄嗟にルチアを庇うべく、彼女の前に身を投げ出す。
ドガァァァンッ!!!
部隊長の身体を起点に、凄まじい爆発と衝撃波がVIPルームを吹き飛ばした。
瓦礫が降り注ぎ、粉塵が視界を完全に奪う。
「ザイオン……ッ! ザイオン!!」
ルチアの悲痛な叫び声が、崩壊していくギルドの地下室に虚しく響き渡った。




