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第15話 トラップ、発動

スラム街の最深部、黒猫ギルドの地下特別室。

巨大な王都周辺の流通マップを前に、ルチアはギルドの幹部たちを集めて静かに口を開いた。


「全員、揃いましたね。これより我がギルドは、手持ちの流動資産である金貨一万枚を市場に投入し、特定の建築資材の『買い占め』を行います」


ルチアの宣言に、顔に傷のある幹部・ガロアをはじめとする男たちが顔を見合わせた。


「買い占め、ですか? しかし姐さん、王宮が宮殿を建てるってんなら、石や木材なんて王都中に山ほどありまさぁ。それを全部買い占めるなんて、いくら金貨一万枚あっても足りねえんじゃ……」


「ええ。ですが、すべての石や木材を買う必要はありません。私たちがピンポイントで買い占めるのは『白星の大理石』と『霊樹の魔力材』の二点のみです」


ルチアは羽ペンで、マップ上の特定の採石場と木材市場に深く、えぐるようにマルをつけた。


「エルディス王国の建築法規には、厳格なルールがあります。『王族が居住する公的な宮殿の建設には、必ず最高ランクの白星の大理石と、魔力コーティングされた霊樹を使用しなければならない』という決まりです」

「な、なるほど……!」


「王太子は『国威発揚』を掲げて宮殿建設を発表しました。今さら『金がないから安いレンガと普通の木材で作ります』とは口が裂けても言えません。……つまり、彼らは何が何でも、この二つの資材を市場から調達しなければならないのです」


かつて王宮で、国のすべての法規と予算を管理していたルチアだからこそ突ける、完璧な制度の盲点だった。


「ガロア。ギルドの情報網と人員を総動員し、王都の市場、および近隣の都市の倉庫にある『白星の大理石』と『霊樹の魔力材』の現物をすべて買い取りなさい。さらに、採石場と木こりのギルドに出向き、向こう半年分の契約もすべて、通常の二割増しの価格で取り付けてしまうのです」


「二割増し!? そ、そんな高値で買っちまったら、俺たちが損をするんじゃ……」

「しません」


ルチアは冷酷に、そして絶対的な自信を持って断言した。


「市場から完全に資材が消えれば、それは『独占市場の形成』を意味します。供給を私たちが一手に握り、王室が絶対にそれを買わなければならない状況を作り出せば……価格の決定権は、百パーセント私たちが握ることになるのですから。……彼らが限界を迎えた時、私たちが『百倍』の値段をつけても、彼らは泣きながら買うしかありません」


ルチアの恐るべき経済トラップの全貌を理解し、ガロアたち幹部は背筋に冷たい汗をかきながらも、武者震いをした。

「……すげえ。姐さんの頭の中は、悪魔よりえげつねえな。……野郎ども! すぐに手分けして市場の資材を根こそぎ買い漁れ!! 一欠片の石ころも残すんじゃねえぞ!!」


「おうっ!!」

荒くれ者たちは、かつてない規模の「合法的な市場荒らし」に向けて、目を血走らせて飛び出していった。


* * *


その日を境に、王都の裏側で、黒猫ギルドの面々による前代未聞の買い占めが始まった。


「おい、親父! この倉庫にある白星の大理石、全部俺たちが現金で買い取るぜ!」

王都最大の石材市場。ガロアは商人ギルドの顔役の前に、金貨がぎっしり詰まった革袋をドンッと叩きつけた。


「な、なんだお前たちは! スラムのゴロツキが石なんか買ってどうする! それは明日、王宮に納品する予定の……」

「市場価格の『二割増し』で、今すぐ全額現金払いだ。文句はねえな?」

「に、二割増し!? しかも即金で!? ま、毎度ありぃぃっ!!」


王宮の「後払い」の約束よりも、目の前の圧倒的な「現金」の力。商人の目は一瞬で札束に屈した。

同じような光景が、北部の木材市場でも、東部の採石場でも繰り広げられた。


「へへっ、採石場の旦那。これから半年間、あんたのところで掘り出される白星の大理石の『権利』、俺たちが全部買うぜ。契約書はこれだ。手付金として金貨千枚の半分、今ここに置いていく」


手元に莫大な現金があるからこそできる、暴力的なまでの買い占め。

ルチアの完璧な指示と、裏社会のギルドならではの機動力、そして金貨一万枚という法外な現金の前に、王宮の調達係がもたもたしているわずか三日の間に、市場からターゲットの資材が「一欠片残らず」蒸発したのである。


* * *


そして、建設計画の発表から五日後。

新宮殿の建設予定地である巨大な空き地で、王宮の調達係の役人が、顔面を蒼白にしてへたり込んでいた。


「ど、どういうことだ……! 石が! 木材が! どこにもないだと!?」

役人は、商人ギルドのまとめ役の胸ぐらを掴んで発狂したように怒鳴った。


「殿下の肝いりの事業だぞ! 今日から基礎工事が始まるというのに、資材が一つも届かないとは何事だ!!」


「そ、そう言われましても……!」

商人ギルドの男も泣きそうな顔で弁明する。

「数日前に、ヴァルディス連邦の豪商を名乗る代理人たちが現れまして、大理石と霊樹の在庫を、相場の二割増しの現金で全部買っていっちまったんです! 採石場に急ぎで発注をかけても、向こう半年分はすでに『契約済み』だと……!」


「なっ……馬鹿な! このままでは工事が完全にストップしてしまう!」


絶望の悲鳴が響き渡る。

広大な建設予定地には、日当目当てに集まってきた数千人の石工や大工たちが「おい、いつになったら仕事が始まるんだ?」「石がないんじゃ、壁一つ積めねえぞ」と不満げにたむろしている。


彼らの日当は、仕事がなくても毎日確実に発生する。

資材が届かないまま時間だけが過ぎれば、王室の資金だけが、文字通り毎日滝のようにドブに捨てられていく事態となるのだ。

エドワードの目論んだ「完璧な経済政策」は、わずか五日にして、国家の息の根を止める「最悪の不良債権」へと変貌を遂げたのである。


* * *


「……素晴らしいですね。トラップが見事に決まりました」


黒猫ギルドのVIPルーム。

ルチアは手元の帳簿に美しい文字で在庫ゼロと書き込み、さらに王宮が毎日垂れ流しているであろう莫大な人件費の損失額を計算して、満足げに微笑んだ。


「王宮の調達係は今頃、胃に穴を開けながら王都中を駆けずり回っているはずです。工事の遅延損害金と無駄な人件費で、彼らの資金はあと一週間もすれば完全に尽きるでしょう」


「で? いつ頃、俺たち『ヴァルディスの豪商』が、救いの手を差し伸べてやるんだ?」


ザイオンが背後から歩み寄り、ルチアが座る椅子の背もたれに手をついて、彼女の首元に顔を覗き込ませた。相変わらずの、パーソナルスペースを完全に無視した甘い距離感だ。


「そうですね……彼らが限界を迎え、暴動一歩手前になった三日後がベストでしょう。私たちが買い占めた資材を、殿下に『恩着せがましく』お譲りして差し上げるのです」

「価格は?」


「……市場価格の、十倍です」

ルチアが、一切の情を交えずに即答した。


「じゅ、十倍……っ! ぶっ、あははははっ!!」

ザイオンは耐えきれないように吹き出し、ルチアの華奢な肩をバンバンと叩いた。


「お前、マジで極悪だな! 金貨二割増しで買い占めて、十倍で売りつける!?いかれてやがるぜ!!」

「独占市場における価格決定権とはこういうものです。嫌なら、新宮殿の建設を諦めて世界中に恥を晒し、暴動を起こす労働者たちの相手をするしかありませんからね。……もちろん、手元に現金がない殿下には、王室のすべてを担保にした『借用書』にサインしていただきます」


ルチアの完璧で冷酷なシナリオに、ザイオンは歓喜の溜息をついた。


「ああ、たまんねえ。お前のその一切ブレない冷酷さに、完全に惚れ直したぜ」

ザイオンはルチアの頬に、わざとすり寄るように自身の頬を密着させ、耳元で低く囁いた。

「なあ、この大勝負に勝ったら、特別報酬として俺と一日デートしてくれよ。経費は全部俺が持つからさ」


「ザック卿。頬が触れています。今日のファンデーションは特注品なので、落ちたらあなたに請求しますよ」

ルチアは全く動じず、持っていた羽ペンの後部でザイオンの額をコツンと突いた。


「それに、デートなどという生産性のない時間の使い方はお断りです。王室の借用書を手に入れた後、それをどう運用するかの手続きが山積みですからね。……私の残業を増やす気ですか?」


「……っははは! お前、国を買い叩く寸前だってのに、頭の中は実務と書類のことでいっぱいかよ!」

「当然です。私はあなたの有能な財務顧問なのですから。さあ、王太子に突きつける十倍の請求書の作成を手伝ってください」


買い占めによる、王宮への容赦のない「兵糧攻め」。

暗躍令嬢と仮面の豪商の仕掛けた完璧な経済トラップは、ついにエドワード王太子を逃げ場のない『破滅の契約書』の前へと引きずり出そうとしていた。

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