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第14話 泥沼の公共事業と、狂乱の王都

狂乱の闇オークションから一夜が明けた。

エルディス王国の政治の中枢である王城の一角、財務局の長官室は、まるで葬儀場のような重く絶望的な空気に包まれていた。


「……長官。王立銀行より、金貨三千枚の借入に対する利息前払いの督促状と、担保設定の確認書が届いております」


目の下に色濃いクマを作った初老の財務長官は、部下が震える手で差し出した書類を見つめ、深い、深い絶望の溜息を吐き出した。


エドワード王太子がオークションで意地になって落札した『星珊瑚のティアラ』。

その落札額は、狂気の金貨五千枚。

当時の国庫に残されていた即座に動かせる現金は、どれだけかき集めても金貨二千枚が限界だった。足りない三千枚の現金を即座に用意するため、財務局は王室直轄領の向こう三年分の税収を担保に入れ、年利十五パーセントという法外な条件で王立銀行から借金をしたのだ。


(ルチア様……。あの厳格で完璧な金庫番であった公爵令嬢がいれば、このような国家の首を真綿で絞める契約、絶対に許可しなかったというのに……っ!)


財務長官が頭を抱えていたその時、若い財務官が血相を変えて長官室に飛び込んできた。


「長官! 大変です、殿下が……殿下が、本日の御前会議で信じられない計画を発表なさいました!!」

「今度は何だ……。マリー様のドレスに本物の妖精の羽でも縫い付けるとでも言い出したか……?」

「違います! 新たな宮殿です! 王都のど真ん中に、『星の宮殿』なる巨大建築物を一から建設すると仰っているのです!!」


「……は?」

財務長官の手から、羽ペンがポロリとこぼれ落ちた。


* * *


時を同じくして、王太子の執務室。

そこには、最高級の香水の匂いと、現実逃避の甘い空気が充満していた。


「エドワード様ぁ! 本当に、私のために新しい宮殿を建ててくださるんですかぁ!?」

星珊瑚のティアラを頭に乗せたマリーが、歓喜の悲鳴を上げてエドワードの首にすがりついていた。


「もちろんだとも、愛しのマリー! あの成り上がり商人(ザック)に、我が国の財力が底を突いたなどと舐められたままでは腹の虫が治まらんからな!」


エドワードは、自らが書き上げた『星の宮殿』の完成予想図をテーブルに広げた。


「見よ! 外壁はすべて最高級の『白星の大理石』で覆い、陽光を反射して白銀に輝く造りにする! 内装には魔法の力を帯びた『霊樹の魔力材』をふんだんに使い、冬でも暖かく過ごせるようにするのだ。そして中央には巨大なガラスの温室を作り、一年中君の好きなピンクの薔薇を咲かせよう!」


「きゃあぁっ! 素敵ですぅ! まるでおとぎ話のお城みたい!」


「どうだ? これぞ、エルディス王国の圧倒的な力と文化の象徴! これが完成すれば、諸外国の商人どもも我が国の財力を認め、投資を求めて列をなすこと間違いなしだ!」


エドワードは己の描いた誇大妄想に完全に酔いしれていた。

そこに、青ざめた顔の財務長官が転がり込むように入ってきた。


「で、殿下! 正気でいらっしゃいますか! 宮殿の建設など、今の国庫状況では絶対に不可能です!」

「ええい、騒々しいぞ財務長官! 何が不可能だというのだ!」


エドワードは不機嫌そうに舌打ちをした。


「白星の大理石と霊樹を宮殿規模で揃えるだけでも、初期の資材費として金貨二千五百枚は必要になります! 職人たちへの日当も莫大です。我々にはもう、銀行から借り入れる担保すら残っていないのですよ!?」


「莫迦め、経済というものを全く分かっておらんな!」

エドワードは、まるで愚か者を諭すような顔で鼻で笑った。


「そもそも、国庫に金がないのは市場の動きが停滞しているからだ。ならば、王室自らが大規模な公共事業を行い、雇用を生み出せばよいのだ!」


「は……?」


「建設が始まれば、石工や大工の雇用が生まれ、彼らが酒場や市場で金を使う。結果として国全体の経済が回り、最終的には莫大な税収となって国庫を潤す! これぞ完璧な経済政策である! 資材の代金など、王室の威光があれば『後払い』で商人どもは喜んで納品するだろう!」


財務長官は、目眩を覚えてその場に倒れそうになった。

現金が枯渇している状態で、さらに莫大な負債を抱えて不要なハコモノを作る。それは経済政策などではなく、ただの「破滅の先送り」だ。

商人たちは慈善事業家ではない。王室の威光があろうと、現金での支払いが確約されなければ、高価な資材を大量に納品することなど絶対にあり得ないのだ。


しかし、イエスマンしか残っていないこの泥船で、暴走する王太子を力ずくで止められる者は、もはや誰一人として存在しなかった。


* * *


翌日、王宮のバルコニーから『星の宮殿』の建設計画が華々しく発表された。

その報せを聞いた王都ファルベナの街は、文字通り熱狂の渦に包まれた。


「聞いたか!? 王室が新しい宮殿を建てるらしいぞ!」

「大工と石工は好条件で雇ってくれるってよ! しかも向こう一年間は仕事に困らねえ!」

「さすがエドワード殿下だ! 最近景気が悪かったが、これで王都も潤うぜ! 王国万歳!!」


大通りには祝いの紙吹雪が舞い、酒場は昼間から祝杯をあげる労働者たちで溢れかえった。

莫大な予算が市場に流れ込んでくると思い込んだ下町の商人たちは、皮算用で笑いを止められず、街中が「好景気の到来」という甘い幻想に酔いしれていた。


しかし、その狂騒から分厚い城壁で隔てられた王宮の内側——財務局では、全く逆の光景が広がっていた。


「ああっ……! 基礎工事の着手金と前払いの人件費だけで、スッカラカンの金庫の底をさらに削り取っていく……!」

「銀行はもう銅貨1枚も貸してくれないぞ! 給料の支払いが滞れば、一転して暴動が起きる……!」


窓の外から聞こえる「王国万歳!」という民衆の明るい歓声。

それが、財務局の役人たちの耳には、国が崩壊へ向かってカウントダウンを刻む「死への秒針」にしか聞こえなかった。


表向きは華やかな好景気。しかしその内実は、明日支払う現金すらショートしかけている絶望的な火の車である。


* * *


「……信じられませんね。馬鹿につける薬はないと昔の人は言いましたが、彼は私の想像をはるかに超える完璧な愚者のようです」


スラム街の最深部、黒猫ギルドの地下特別室。

ルチアは、王宮が発行した官報を読みながら、呆れ果てた声を出した。


「どうした、ルチア。またあのバカ王子が何かやらかしたのか?」

向かいのソファで、ナイフの手入れをしていたザイオンが顔を上げた。


「ええ。資金不足を隠蔽するために、王都のど真ん中に新しい宮殿を建設するそうです。……手元に現金がないのに、見栄のためだけに巨大な固定資産を作って経済を回しているフリをする。典型的な破産者の末期症状ですわ」


ルチアは官報をデスクに置き、銀縁眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げた。

その瞳には、かつてないほど冷酷で、鋭利な知性の光が宿っている。


「初期の資材費だけで、最低でも金貨二千五百枚は下らない無謀な計画。……ザイオン。ギド商会から私たちが巻き上げた、ギルドの総資金は現在いくらでしたか?」


「ああ。スラムの債権回収分も合わせて、自由に動かせる『現金』が、丸々金貨一万枚あるぜ」

ザイオンは楽しげに口角を吊り上げ、琥珀色の瞳を輝かせた。


「十分すぎる軍資金です」

ルチアは、デスクの上に王都周辺の流通マップを勢いよく広げた。


「手元に金貨一万枚の現金を持つ私たちが、金貨二千五百枚の資材を欲している『現金のない王室』を相手にする。……勝敗は、戦う前から完全に決まっています。ザイオン、幹部たちを至急集めてください」


ルチアは羽ペンを手に取り、マップ上の二箇所——採石場と木材市場に、深く、えぐるようにマルをつけた。


「王宮の息の根を止める、完全な『市場の独占(モノポリー)』を仕掛けます。……泥船を、海の底へと沈めて差し上げましょう」


暗躍令嬢の極悪な経済トラップが、王都の熱狂の裏で、静かに、そして確実に牙を剥こうとしていた。

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