第13話 星珊瑚のティアラ
王宮の地下深く、選ばれた特権階級のみが集う『黒のサロン』。
そこは今宵、貴族たちの欲望と虚栄心がむき出しになる、狂乱の闇オークション会場と化していた。
会場の最前列には、先ほどザイオンから「泥船」と侮辱され、怒り心頭のエドワード王太子とマリーが陣取っている。
そして、彼らと通路を挟んだ反対側の特等席には、仮面の豪商・ザック卿と、黒いヴェールで顔を隠した秘書官が、優雅に身を寄せて座っていた。
「……次々と落札されていきますが、どれもこれも酷い有様ですね」
ルチアはヴェールの奥で、オークションの進行を冷ややかに見つめていた。
「歴史的価値しかない古びた絵画に金貨三百枚。実用性のない呪具に金貨五百枚。……流動性が低く、いざという時の換金率が最悪なガラクタばかりです。見栄を張るためだけに、よくあんな無駄金を払えるものですわ」
「ははっ、俺の優秀な財務顧問殿から見れば、ここはただの粗大ゴミの品評会ってわけだ」
ザイオンはワイングラスを片手に、面白そうに喉を鳴らした。
彼はルチアの隣に深く腰掛け、彼女の華奢な肩に自らの腕を回している。
「だが、あのバカ王子にとっては違う。自分が『圧倒的な財力を持つ偉大な次期国王』であることを、俺や周囲に見せつけるための大切な見栄の張り場だ。……さあ、そろそろメインイベントだぜ」
ザイオンの言葉と同時に、壇上のオークショニアがひと際大きな声を張り上げた。
「皆様、長らくお待たせいたしました! 今宵の目玉商品の登場でございます!」
重厚なビロードの布が取り払われると、そこには眩いばかりの光を放つ宝石が鎮座していた。
「南の海でしか採掘されない、奇跡の宝石『星珊瑚』をふんだんに使用した特製ティアラ! 王都の最高級職人が三年がかりで仕上げた、まさに国宝級の逸品でございます!」
その美しさに、会場中の令嬢たちから感嘆の溜息が漏れた。
中でも一番目を輝かせたのは、エドワードの隣に座る男爵令嬢マリーだった。
「きゃあぁぁっ! エドワード様ぁ! あれです! 私が欲しかった星珊瑚のティアラ! すっごくキラキラしてて可愛いですぅ!」
「ああ、わかっているともマリー。お前の美しい金髪には、あのティアラがよく似合う。必ず私が落札してやろう」
エドワードはマリーの肩を抱き、そして、チラリと憎々しげな視線をザイオンへと向けた。
(見ておけ、成り上がり商人め。我が王室の圧倒的な財力に平伏すがいい!)
「それでは、開始価格は金貨千枚から! どなたかいらっしゃいませんか!」
オークショニアの声に、会場が静まり返る。開始価格の時点ですでに、地方の小領主の年間税収に匹敵する額だ。
「……金貨千五百枚だ!」
エドワードが、見せつけるように札を挙げた。
周囲の貴族たちから「おおっ」とどよめきが上がる。王太子の威光と財力に、他の貴族たちは早々に競り合うのを諦めた。
「金貨千五百枚! 殿下からいただきました! 他にいらっしゃいませんか!?」
エドワードが勝利を確信し、ふんぞり返ったその時。
「金貨、二千枚」
静かな、しかし大広間の隅々にまで響き渡る低い声。
ザイオンが、ワイングラスを傾けたまま、もう片方の手で気怠げに札を挙げた。
「なっ……!?」
エドワードが目を見開く。
「おや、殿下。もう終わりですか?」
ザイオンは仮面の奥の琥珀色の瞳を細め、挑発するように口角を吊り上げた。
「我が商会にとっても、あのティアラは少々魅力的に見えましてね。……私の優秀な秘書官殿の、足拭きマットの飾りにでもしようかと思いまして」
「あ、足拭きマットの飾りだと……っ!? 国宝級のティアラを愚弄するか、成り上がりめ!」
エドワードは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「金貨二千五百枚だ!!」
「金貨三千枚」
ザイオンは間髪入れずに数字を釣り上げる。
「くっ……三千五百枚!!」
「金貨四千枚」
まるで子供の遊びでもするように、ザイオンは平然と数字を跳ね上げていく。
会場は異様な熱気に包まれ、貴族たちは息を呑んで二人の一騎打ちを見守っていた。
「……ルチア」
ザイオンは札を挙げたまま、隣に座るルチアの耳元に顔を寄せた。
「あのバカが今日、王宮の金庫から即座に動かせる現金の限界はいくらだ?」
耳に吹きかかる熱い吐息に、ルチアはヴェールの奥で微かに眉をひそめた。
「……王室の特別予備費をすべてかき集めても、せいぜい金貨二千枚が限界のはずです。つまり、殿下はすでに『手元にない金』で入札していますわ。……これ以上は、王室の領地か、将来の税収を担保にして王立銀行から借金をするしかありません」
「なるほどな。じゃあ、その『限界』を完全にぶち抜いてやるか」
ザイオンは喉の奥で悪魔のように笑うと、ルチアの細い腰をさらに強く抱き寄せた。
「なあ、ルチア。あの見栄っ張りなバカが青ざめていく顔を、特等席で見下ろす気分はどうだ? 最高に酒が美味いだろう?」
「ザック卿。耳元で囁くのは構いませんが、吐息が首にかかって不快です。労働環境の悪化による慰謝料を請求しますよ」
ルチアは極めて事務的な声で抗議し、ザイオンの胸板を扇でツンと押し返した。
「ははっ! なら、あのティアラを落札して慰謝料代わりにプレゼントしてやるよ。お前のその銀色の髪に絶対似合うぜ」
「不要です。あんな派手で重たいもの、肩が凝るだけですし、何より費用対効果が最悪です。あんな石ころに金貨四千枚も出す商人がいたら、私が即刻クビにしますわ」
「違いない。お前はマジでブレねえな」
ザイオンは耐えきれないように吹き出し、ルチアの髪に軽く口付けを落とした。
一方、彼らが「甘い(?)囁き合い」をしている間にも、エドワードの額からは滝のような冷や汗が流れ落ちていた。
(き、金貨四千枚……! まずい、特別予備費を完全に超えている。これ以上は、王立銀行から莫大な借入をしなければ支払えない……!)
エドワードが躊躇していると、マリーが「エドワード様ぁ……ティアラ、買ってくれないんですかぁ?」と涙目で袖を引いてきた。
さらに、仮面の豪商が、ルチアの肩を抱きながら「どうなさいました、殿下? 我が国が誇る『圧倒的な財力』とやらは、底を突きましたかな?」と、最高に腹の立つ笑みを浮かべてこちらを見ている。
ここで降りれば、マリーを失望させるだけでなく、見下していた成り上がり商人の前で「財力がない」と認めることになる。
それだけは、彼の肥大化したプライドが絶対に許さなかった。
「ふ、ふざけるな……! 私は、エルディス王国の次期国王だぞぉぉっ!!」
エドワードは血走った目で絶叫し、己の持つすべての権力を担保にした破滅の数字を口にした。
「金貨、五千枚だぁぁぁっ!!!」
静寂。
オークション会場が、水を打ったように静まり返った。
金貨五千枚。もはやティアラの原価の十倍以上。一国の国家予算にすら風穴を開ける、狂気の金額だ。
「……き、金貨五千枚! 殿下から金貨五千枚いただきました!! ザック卿、いかがなされますか!?」
オークショニアが震える声で尋ねる。
ザイオンはルチアと顔を見合わせ——そして。
ゆっくりと手に持っていた札を下ろし、両手を挙げて「降参」のポーズをとった。
「お見事です、王太子殿下」
ザイオンは、心底感服したというように、しかし仮面の奥の瞳には残酷な冷笑を浮かべて、恭しく頭を下げた。
「私には、とても手が出ない。……いやはや、王室の『恐るべき財力』、しかと拝見いたしましたよ。私のような成り上がり商人とは、背負っている覚悟の額が違いますな。完敗です」
カンッ!
『落札! 星珊瑚のティアラ、金貨五千枚でエドワード王太子殿下のものとなります!』
オークショニアの木槌の音が響き渡り、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「やったぁぁっ! エドワード様、ありがとうございますぅ! マリー、すっごく幸せですぅ!」
マリーがエドワードに抱きつき、はしゃぎ回る。
しかし、エドワードの顔は、死人のように青ざめていた。
(や、やってしまった……! 金貨五千枚……明日、どうやって財務局と王立銀行に言い訳をすれば……っ!)
勝利の歓声の中で、彼一人だけが、己のしでかした取り返しのつかない「破滅」に気づき、ガタガタと震え始めていた。
「……鮮やかな手口ですね、ザック卿」
特等席で、ルチアはヴェールの奥から、絶望に染まる王太子の顔を冷ややかに見下ろしていた。
「ティアラの原価の十倍以上。エドワードの個人的な見栄と怒りのせいで、エルディス王国の国庫は完全に底を抜けました。……明日の朝には、王室は王立銀行や貴族たちに莫大な借用書を書く羽目になるでしょう」
「ああ。そしてあいつは、国中で金策に走り回ることになる」
ザイオンは立ち上がり、ルチアに手を差し出した。
「そこへ、俺たち『仮面の豪商』が救世主ヅラして現れ、その借用書を法外な利子で買い占めるってわけだ。……これでお前を苦しめた泥船は、完全に沈没確定だな」
「ええ。完璧な投資の第一歩です」
ルチアは差し出されたザイオンの大きな手を取り、優雅に立ち上がった。
「さあ、本日の私たちの業務は終了です。帰りましょう、ザック卿。……長時間の労働で、足がむくんでしまいましたわ」
「お安い御用だ、俺の可愛い秘書殿。なんなら、アジトに戻ったら俺が直々に足を揉んでやるよ」
「セクハラで訴えます」
即答するルチアに、ザイオンは楽しげな笑い声を上げた。
狂乱の闇オークションは、王太子への「致命的な負債の押し付け」という最悪の形で幕を閉じた。
最強のバディによる、国家買収のシナリオは、ついに後戻りのできない盤面へと突入していく。




