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第12話 嘲笑

王宮の地下深く。かつては罪人を幽閉していたという広大な地下牢を改装して作られた『黒のサロン』が、今夜の闇オークションの会場だった。


地上の華やかなワルツとは打って変わり、ここには重厚で退廃的な空気が漂っている。

ベルベットの絨毯が敷き詰められた会場には、国に多額の「寄付(という名の賄賂)」を行っている一部の特権貴族だけが足を踏み入れることを許されていた。


「さあ、ザック卿! こちらが我が王室が誇る、限られた者だけが参加できる特別なサロンだ!」


エドワード王太子は、まるで自分の手柄であるかのように胸を張り、マリーの腰を抱きながら先導した。

「今夜出品される品々は、どれも国宝級の価値があるものばかり。我がエルディス王国の『真の財力と文化の底力』を、卿のその目でしかと見極めていただきたい!」


「……ほう」


ザイオンは、仮面の奥で退屈そうに会場を一瞥した。

彼の腕に手を添えて歩くルチアは、黒いヴェールの奥で、出品予定のリストが書かれたパンフレットを冷徹な目で高速スキャンしていた。


(……前時代的な絵画に、用途不明の呪具、そして無駄に大きいだけの宝飾品。どれも実用性がなく、流動資産としての価値は皆無。ただの『見栄の張り合い』のためのガラクタ市ですね)


ルチアが心の中で容赦ない査定を下していると、不意にザイオンの足が止まった。


「……どうなさいました、ザック卿?」

エドワードが振り返り、愛想笑いを浮かべる。


ザイオンは、ふぅ、と深い、ひどく馬鹿にしたようなため息をついた。


「いや……少々、期待外れだったものでね」

「き、期待外れ、とは?」


「殿下は先ほどから『未来』だの『文化』だのと言葉を並べ立てておられるが、私から見れば、ここはただのガラクタの掃き溜めだ。……いや、この国そのものが、と言った方が正しいか」


空気が、凍りついた。

周囲の貴族たちが一斉に青ざめ、息を呑む。一国の王太子の前で、国そのものを侮辱するなど、通常であれば即座に不敬罪で首が飛ぶ暴言だ。


「なっ……! ざ、ザック卿!? あなたは今、なんとおっしゃった……!?」

エドワードの顔から笑みが消え、怒りで頬がピクピクと引きつり始めた。


「聞こえなかったのか? ならば、もう一度はっきり言ってやろう」


ザイオンはルチアの腰からゆっくりと手を離すと、自らの顔を覆っていた精巧な銀の仮面に手をかけた。


カチャリ、と。

冷たい音を立てて仮面が外され、ザイオンの『素顔』が、王宮のシャンデリアの光の下に晒された。


「ひっ……!」

マリーが小さく悲鳴を上げた。周囲の令嬢たちからも、息を呑む音が漏れる。


それは、圧倒的で、暴力的で、ひどく危険な美貌だった。

綺麗に整えられたオールバックの髪。しかし、その琥珀色の瞳の奥には、貴族の温室育ちには絶対に宿らない、血と暴力の匂いが染み付いた「裏社会の支配者」としての野性と冷酷さが剥き出しになっていた。


ザイオンは片眼鏡モノクルを外し、エドワードを見下ろして、嘲笑うように口の端を吊り上げた。


「私は、価値のあるものにしか投資はしない主義でね。……殿下。あんたの国には、何の価値も見当たらない。具体的な産業もなく、財源の裏付けもない。あるのは中身の伴わないプライドだけだ。……私から見れば、あんたの国はただの『泥船』だ。そんなものに、金貨一枚たりとも払う気は起きねぇな」


『泥船』。

その言葉を聞いた瞬間、エドワードの脳裏に、数日前に自分を捨てて出て行った「可愛げのない元婚約者(ルチア)」の顔がフラッシュバックした。


『泥船には、お二人で仲良く勝手に沈んでくださいませ』


自分を徹底的に見下し、プライドを粉々に打ち砕いたあの忌まわしい言葉。

それを、どこの馬の骨とも知れない他国の商人が、自分の顔を真っ直ぐに見て言い放ったのだ。


プツン、と。

エドワードの頭の中で、理性の糸が完全に切れる音がした。


「き、貴様ぁぁぁっ!!」


エドワードは顔を真っ赤に……いや、ドス黒く染め上げ、ザイオンを指差して絶叫した。


「一国の王太子たる私に向かって、泥船だと!? 誰の許しを得てその汚い口を開いている!! 貴様など、たかが金を持っているだけの、どこぞの馬の骨とも知れぬ、下品な『成り上がり商人』ではないか!!」


王太子の怒声が、地下サロンに響き渡る。


「私の前で仮面を外し、その小汚いツラを晒したこと、後悔させてやる! 貴様の顔は覚えたぞ、成り上がりめ! 我が王国の……この私の持つ『圧倒的な財力と権力』をオークションで見せつけ、貴様に土下座で投資を懇願させてやるからな!!」


「キャーッ! エドワード様、かっこいいですぅ! あんな失礼な商人、やっつけちゃってください!」

マリーがエドワードの腕にすがりつき、火に油を注ぐ。


エドワードは、ザイオンの顔——琥珀色の瞳と、不遜な笑みを浮かべた整った顔立ち——を、生涯の敵として強烈に脳裏に焼き付けた。

「吠え面をかく準備をしておけ!」と吐き捨て、エドワードはマリーを連れて、怒り狂ったままオークション会場の最前列(VIP席)へと足早に去っていった。


嵐が去った後のような静寂が、二人の間に残された。


「……ふう。やれやれ、これだから温室育ちの坊ちゃんは扱いやすい」


ザイオンは再び銀の仮面を顔に装着し、何事もなかったかのようにネクタイを締め直した。

そして、隣で静かに成り行きを見守っていたルチアに向かって、仮面の奥でウインクをして見せた。


「どうだ、俺の完璧なヘイトコントロールは? これでアイツは、俺に対する対抗心だけで、どんなガラクタでも限界まで金を突っ込むマシーンの完成だ」


ザイオンの言う通りだった。

ルチアはヴェールの奥で、完璧に計算通りに動く「愚かな案山子」の背中を見つめながら、小さく息を吐いた。


「ええ、素晴らしい演技でした、ザック卿。……王太子のプライドを致命的に傷つけ、彼自身の口から『財力を見せつける』と宣言させた。これで彼は、この後のオークションで私たちと競り合った場合、絶対に降りることができなくなりました」


投資のプレゼンではなく、オークションでの見栄の張り合い。

それこそが、ルチアが仕掛けた「絶対に逃げられない借金地獄」への入り口だった。エドワードは、ザイオンへの怒りで完全に視野が狭窄し、自分から破滅のギャンブルテーブルに座ってしまったのだ。


「あなたの煽りのおかげで、彼が今夜散財するであろう予想金額が、当初の計画から五百パーセント上振れしました。……特別手当を出したいくらい見事な手腕ですよ」


「ははっ、手当なら現金より、後でお前の熱いキスがいいな」

「減給します」


秒で切り捨てるルチアに、ザイオンは楽しそうに肩を揺らした。


「まあ、演技って言ったが……『泥船』って言葉だけは本心だけどな。お前がいなくなったこの国は、マジで沈む寸前の難破船だ。……それに」


ザイオンはルチアの腰を再び抱き寄せ、今度はヴェールの布地越しに、彼女の額にそっと自分の額をコツンと当てた。


「あのバカ王子の前で素顔を見せたのは、俺自身の『ケジメ』だ」

「ケジメ、ですか?」


「ああ。俺はいつか必ず、この仮面を外した『素顔』で、お前をエスコートして表舞台の頂点を歩く。その時、あの王子が俺の顔を見て絶望のどん底に落ちるよう……前払いで、俺のツラを憎ませておいてやったのさ」


ザイオンの言葉には、商人の計算ではない、一人の男としての、ルチアに対する執着と覚悟が込められていた。


(……なるほど。王太子が最も見下し、憎悪した『成り上がり商人』が、いずれ彼からすべてを奪い尽くす。己の傲慢さゆえに、目の前の現実を見誤り自滅していく……ええ、完璧な心理的罠ですわね)


ルチアは内心でその極悪なシナリオの完成図を思い描き、ゾクゾクするような知的興奮を覚えた。


「……期待していますよ、ザイオン。ですが今は、目の前のカモを完全に骨抜きにするのが先です。……さあ、オークションの席へ向かいましょう。王太子殿下に、国庫の底が抜けるほどの『素晴らしいお買い物』をさせてあげなければ」


「御意のままに、俺の最高に恐ろしい秘書官殿」


ザイオンは優雅に一礼し、ルチアの手を取った。

仮面の豪商と、黒いヴェールの暗躍令嬢。

怒りで我を忘れた王太子を合法的に破産させるための、狂乱の闇オークションがいよいよ幕を開ける。

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