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血染めのドレス

自衛官に導かれて辿り着いた避難所は、大型のイベント会場だった。

巨大な展示場は、避難民で埋め尽くされていた。


スーツ姿の会社員。

大学生らしい若者。

小さな子供を連れた母親。


どうやら、外出先で帰宅手段を失った人と、近隣の住民が入り乱れているようだった。


施設内は暗く、ところどころに蝋燭や小型の懐中電灯の灯りが揺れているだけだった。

巨大な展示場は暖房も止まり、十二月の冷気がそのまま広がっている。


「すみません、案内はここまでです。

 数時間もすれば電気も復旧すると思います」


そう言って、自衛官は慌ただしく持ち場へ戻っていった。

彼の手にした懐中電灯の明かりが、暗闇の中で小さくなっていく。


私は、不思議に思っていた。

あの瞬間、すべての電気が消えた。


街の灯り。

スマホなど、充電されていたはずの機器でさえ。


それなのに――


自衛官の手にした懐中電灯は、何事もなかったかのように光っている。


理由はわからない。

考えても、仕方がないことではあった。


この避難所も、音の種類が少ない。

だが、強い。


その限られた音の中から、ひとつの声がこちらへと届いた。


「すみません! お医者さんはいませんか!」


人のざわめきが、その声のほうへゆっくりと流れていく。


「俺は医者です!どうかしましたか?」


横に立つ、Kがすぐに答える。


「あっちで体調不良の人や怪我人を集めてるんです。でも医者が全然足りなくて……手伝ってもらえませんか!」


「わかった!すぐに行きます」


Kは迷わずそう言った。

ほんの数時間一緒にいただけだが分かる。

この男は、たぶん――いい奴なのだろう。


私はミサたちを探したかったが、一人では何もできない。

だから、静かにKの後を追った。


ヒールの音が、展示場に小さく響く。

その音だけが、ここに残った日常のようだった。

誰からも視線は向けられない。

皆、自分のことで精一杯なのだろう。


しばらく歩くと、展示場の一角にワゴン車が止められていた。

建築関連の展示会でも行われていたのだろうか。

車の周りには、工具箱や資材のようなものが、そのまま残されている。


その近くに、人だかりができていた。


「河合、よかった。無事だったか」


人だかりの中から、声が上がる。

その声には、聞き覚えがあった。

Kの仲間。

昨晩の合コンにいた男の一人――渡辺。

Wだ。


「渡辺、お前も無事でよかった。他のみんなは?」


Kの声には、わずかな安堵が滲んでいた。


「リサちゃん以外とは逸れてしまって……それに――」


Wの視線が奥へ向く。


その先には、怪我人が集められていた。

床に座り込む人。

横たわる人。

血の付いた服のままの人。


その中に――リサがいた。


私は、彼女の方へゆっくりと近づいた。

そして、彼女の前に立った。

コートの裾を押さえ、静かにしゃがみ込む。


「リサ……」


「もの凄い爆発音がしたの、聞いたか?

 あのあと、すぐに、空から破片みたいなものが降ってきたんだ。

 ここにいる怪我人の多くが、それを浴びてる」


Wは淡々と説明した。


私はリサを見た。

ぱっと見た限りでは、異常はなさそうだった。

そう思って視線を外そうとした、その瞬間――気づいた。

白いドレスの裾から覗く細い太もも。

そこに、あの破片が刺さっている。


それは――不気味な光を放っている。

 

横に立つKも、気づいたようだった。

きっと同じことを感じているのだろう。


さっきの――あの異質な存在が脳裏によぎる。


「早めに、異物を除去した方がいい」


Kが低く言った。


「……いや、待て。器具もないし、消毒もできない」


Wは首を振る。


「この環境で抜くのは危険だ」


「……いや、抜くべきだ」


二人の声が、後ろで言い合うように響いていた。

私は、ただじっとリサの顔を見ていた。


すると――


「セレナさん……」


弱々しい声がした。

私は視線を落とす。

リサが、こちらを見ていた。


「よかった……セレナさんが無事で」


苦しそうに息を吐く。

それでも、微かに笑う。


「こんなときでも……セレナさん、綺麗……」


「あなたも可愛いわよ。

 言うの遅くなったけど、その白いドレス、すごく似合ってる」


私はリサの目を見て、微笑んだ。


「大丈夫よ。ここにはお医者様が二人もいる」


「そっか……

セレナさんがそう言うなら、大丈夫だ」


そう言って、弱く笑った。


そのときだった。

突然、奥の方から悲鳴が上がった。


「うわっ……! 化け物だ!」


展示場の空気が、一瞬でざわめく。

人の波がざっと揺れた。

誰かが叫ぶ。


「離れろ!」

「近づくな!」


蝋燭の灯りが揺れる。

人だかりの向こうで、何かが暴れている。

椅子が倒れる音。

誰かが転ぶ音。

蝋燭の灯りが大きく揺れた。


私は立ち上がり、そちらを見た。

人の隙間から、それが見えた。


一人の女だった。

だが――

腕が、異様に膨れ上がっている。

皮膚が裂け、黒い筋のようなものが浮き上がっていた。


胸元には、あの破片が刺さっている。

そして――

それが、不気味に光っていた。


さっき見た、あの異質な存在に似ている。


「なんなんだ……あれは」


Wの声は、凍りついていた。


「やはり……そうか」


Kが破片を見つめながら呟いた。

彼と私は同じこと感じているのだろう。


「これは仮説だが――」


 Kが低く言う。


「あの破片が刺さった人間は……変異する」


「どういうことだ?」


 Wが呟く。

 Kは視線を上げた。


「さっき、避難している途中で襲われた。

あいつと同じような存在に」


 ドンッ。

 ドンッ。


 銃声が展示場に響いた。

 避難所を巡回していた自衛官たちが、一斉に銃を向けていた。


 魔物が悲鳴を上げる。


「ギャアアアッ!」


 次の瞬間――

 その巨体が、床に崩れ落ちた。


「じゃあ、まずいじゃねーか。

ここには、少なくとも数十人は、あの破片が刺さった怪我人がいる」


 Wの声が響いた。

 私は周囲を見渡す。

 倒れた怪我人たちの身体。


 その多くに――

 あの破片が刺さっていた。


 そして。

 それらが、淡く光っている。

 さっきよりも――

 光が、強くなっている気がした。


「おい、自衛官!」


 Wが叫んだ。


「ここにいる怪我人を……撃て!」


 Wの声は震えていた。


「早くしてくれ……!こいつら、化け物になる!」


「おい、渡辺! お前、何を言ってるんだ!」


 Kが叫んだ。


「うるさい!」


 Wが怒鳴る。


「お前が言ったんだろ!」


 指を怪我人たちへ向ける。


「こいつらは化け物になるって!」


 私は胸騒ぎがした。

 この人たちを――刺激してはいけない。

 理由はわからない。

 だが、そう感じた。

 その瞬間だった。

 Wが地面に落ちていた工具を掴む。

 そして――

 負傷し、倒れている男の頭めがけて振り上げた。


「やめろ!」


 Kが叫び、その手を掴んで止めた。


「いてぇ! 離せ!」


 Wが怒鳴る。

 その瞬間だった。

 男に刺さった破片が――さらに強く光った。


 そして。


 その目が、ゆっくりと開いた。

 真っ赤な瞳だった。

 

 次の瞬間。


 Kの身体が――弾き飛ばされた。

 男の身体が膨れ上がる。

 筋肉が裂けるように膨張する。

 気づけば、その体躯は――二メートルを超えていた。

 そして次の瞬間。

 Wの身体が横へ吹き飛ばされた。


 だめだ。

 これ以上、刺激してはいけない。

 そう確信した。


 私はKへ視線を向ける。

 吹き飛ばされた先で、Kは立ち上がっていた。

 彼と目が合う。


 次に、リサを見る。

 その顔は、不安で今にも壊れてしまいそうだった。

 

 目の前の異形が、こちらを見た。

 近くにいた人間は、自衛官以外、皆悲鳴を上げて逃げていく。


 最も近くにいたのは――私だった。

 その異形が腕を私へ振り上げる。


 ……大丈夫。


 次の瞬間。


 振り下ろされた腕を、凄まじい速度で飛び込んできたKが弾いた。


 ほら。


 そしてKは私を抱え、その場から飛び退く。

 

 Kの異常な動きに、一瞬、多くの視線が集まった。

 だが、それをすぐにかき消すように――

 あの異形の存在が、この場を支配していた。


 Kは私を抱えたまま、安全な場所まで距離を取った。


 異形を自衛官たちが、一斉に取り囲む。

 その足元に、リサが倒れている。

 破片の光が、白いドレスの一点だけを照らしていた。


 リサ。

 彼女は私にとって――

 数少ない、大切な存在だった。


 バンッ。

 バンッ。


 自衛官たちが一斉に引き金を引いた。

 銃声が展示場に響き渡る。

 弾丸が異形の身体を撃ち抜く。


 飛び散った血が――


 白いドレスを赤く染めた。


 そして――


 展示会場の一帯が、月が覗いたかのように光った。

 破片が一斉に輝く。

 倒れていた人々が、次々と立ち上がる。


 気づけば――


 二十体ほどの異形へと変わっていた。

 

 リサを助けたいと願った。

 それだけは、私が私自身に証明できる、本当の思いだった。

 だが、この状況で私にできることなど、何一つない。


 いや。


 結局、私はただ――

 リサを呆気なく見捨てただけなのかもしれない。


 その中に――

 血に染まった白いドレスの異形がいた。


 その赤い瞳が――

 まっすぐ、私を見ていた。

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