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私のために

 異形の腕が振り下ろされる。


「私のために」


 死を感じた、その瞬間に放った言葉。


 その一言が、きっと。

 私という存在の、すべてだった。



 私は、自分の親を知らない。


 桃子という名前も、

 他人が私につけたものだ。


 私は、養護施設で育った。


 施設の職員から聞いた話では、病院の脇に置き去りにされていたところを、その病院で働いていた看護師が見つけたらしい。


 桃子という名前は、その施設の園長がつけた。


 同じような境遇の子供たちと幼少期を過ごした。

 たぶん、普通の大人しい女の子だった。

 

 小学校の入学式の日。

 周りは、ピカピカのランドセルだった。

 けれど、私のランドセルは、六年生のものよりも古びていた。


 服も、いつも誰かのお下がりか、寄付されたもの。

 普通の子が着ているような、可愛い服に憧れた。


「桃子は、親がいねーんだぞ」

「桃ちゃん、今度お洋服あげるね」

「あいつ、あの施設出身なんだって」


 悪意。

 同情。

 軽蔑。


 私は、それを全部知っていた。


 だが、高学年になる頃には、私はもう立ち回りを覚えていた。

 先生のMは、従順で、勉強のできる子に優しい。

 同じクラスのやんちゃなOは、頼れば助けてくれる。

 施設の職員Fは、おだてれば優しくなる。


 人には、扱い方がある。

 私は、それを覚えた。

 その頃、私は片隅に咲いていた。


 私の育った施設の園長は、一代で花屋を成功させた人物だった。

 だから、施設にはいつも花があった。


 小学校の卒業が近づいた頃、施設の職員が、花壇の前でダリアについて話していた。


 それは、大きくて、華やかな花だった。


「受粉って?」


 同い年の蘭子が、職員に聞いた。


「うーん、理科で習わなかった?」


 職員はダリアを指差した。


「この花はね。自分だけじゃ、生きていけないの」


「へー、じゃあ、ダリアって桃ちゃんみたいなお花だね」


 蘭子は、悪意のない笑顔でそう言った。

 その言葉と笑顔は、ずっと、私の記憶に残った。

 私は、花壇のダリアを見た。

 大きくて、華やかで、誰よりも目立つ花だった。

 私はこの花に憧れた。


 中学生になる頃には、元々整っていた顔立ちは、さらに洗練されていった。

 勉強も、よく頑張った。

 コミュニティの中で力を持つ者には、常に気を配った。

 そして、気に入られるように振る舞った。

 そうすれば、居場所は手に入る。


 そして、施設から公立高校へ進学した。

 その頃には、多くの男より背が高くなっていた。

 特定の誰かと恋をしたことはなかった。

 それでも、私が何かを頼めば、ほとんどの男は聞いてくれた。

 敵対する同性もいたが、仲間も多かった。


 施設の子たちの中には、中学を卒業すると働きに出る子も少なくなかった。

 大学へ進む子は、ほとんどいなかった。


 だが、私は成績が良かった。園長が、進学の費用を出してくれた。


 そして、国立のT大学へ進んだ。


 それから、私は一度も施設には戻らなかった。


 ただ、お金が欲しかった。

 キャバクラでアルバイトを始めた。


 そして――


 セレナになった。


 都心で、お金持ちともたくさん出会った。

 その人その人に合わせて、私が笑えば、欲しいものは手に入った。


 笑うたびに、私は綺麗になった。


 そう。


 私は、ダリアのように生きてきた。


 咲けば、

 誰かが手を伸ばす。


 K。


 その瞳に、私を映す。


 私は、笑った。


「貴方は立つよ。私のために」



 異形の腕が迫る。


 その瞬間――


 コートのポケットから、強烈な光が溢れた。

 月光のような、灰白色の光。


 そして。


 鈍い音。


 何かが、その腕を受け止めた。


 Kが立っていた。


 そして、あの魔物の腕を、片手で受け止めていた。

 さっきまで裂けていた傷も、もう塞がっている。


 Kの瞳が、ゆっくりと私を見た。


 その目には、あの熱が戻っていた。


 次の瞬間。


 Kはもう片方の手で、異形の腕を掴む。


 そして――


 巨体を、そのまま投げ飛ばした。


 私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 この男は、本当に私のために立ったの?


 それにしても。

 さっきまで死にかけていたのに。


「どうなっているの?」


「いや、俺にもわかんねー」


 Kは肩を回す。


「でも、身体がキレッキレだ。

 筋トレの成果、今さら出たのかもな」


 この男は、何を馬鹿なことを言っているんだ?

 あれは、普通の人間が勝てるような存在じゃない。


「そうね。凄いわ。

さすが、私の王子様」


 私の言葉に、Kはすっかり鼻の下を伸ばしていた。

 異形が、ゆっくりと立ち上がった。


 やはり、ダメだ。

 全然効いていない。


「早く、逃げましょう」


「ん? あー……でも、やれそうだ!」


 何を言っているんだ、こいつは、普通の人間が勝てる相手じゃない。


 その瞬間だった。


 異形が、地面を蹴った。


 赤い瞳が、一直線にKを捉える。

 巨腕が、横薙ぎに振り払われる。


 だが。


 Kの身体が、ふっと消えた。


 次の瞬間。


 異形の懐に、Kがいた。


「おらっ!」


 拳が叩き込まれる。


 鈍い音。


 アスファルトが砕けるほどの衝撃。


 異形の巨体が、数メートル吹き飛んだ。


 私は、思わず息を止めた。


 あり得ない。


 さっきまで、死にかけていた男だ。


 そもそも、人間が勝てる相手ではない。


 Kは拳を握り直す。


「はは……なんだこれ」


 肩を回す。


「身体、めちゃくちゃ軽い」


 そう言って。


 Kは振り返る。


 その瞳には、あの熱が戻っていた。


「セレナさん」


 Kは、笑った。


「やっぱりさ。

男って、守るものがあると強くなるんだよ」


 その言葉に、残念ながら私の心はまったくときめかなかった。


 だけど。


 彼は、私のために立ち、

 私のために強くなり、

 私のために戦っている。


 その事実が、私の心を、熱くした。


「危ない! 後ろ!」


 私は叫んだ。


 Kの背後に、異形が回り込む。


 振り下ろされる爪。


 だが――


 Kの拳が、それを叩き砕いた。


 骨の砕ける音。


 異形の腕が弾ける。


 Kは一歩下がる。


 Kは妙な構えをとった。


「よし……」


 小さく息を吐く。


「ディープインパクトォ!」


 拳が、異形の顎を打ち抜いた。


 鈍い音。


 巨体が、宙に浮く。


 そして、地面に叩きつけられる。


 アスファルトが砕けた。


 異形の身体から、あの灰白色の光が消えていた。


――終わった?


 この男、本当に倒したのか?


……ん?


「いや……やっぱり、キタサンブラックストレートだったか?」


 Kが、何かぶつぶつ言っている。


 そういえば、この男は競馬好きだと言っていた。


 Kが、笑う。


「どうだ。最後方からの直線一気――五馬身差だ」


「次は、貴方に単勝を賭けますね」


 私は答えた。


 バカな男だと思いながらも、正面を向いたまま、少しだけ顔を崩して笑っていた。

 


 まだ、この世界がどうなっているのか、私には分からなかった。


 でも、私は咲く。


 どんな世界でも。


 ダリアのように、美しく。

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