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2/5

22:48

 不毛な合コンから、二日。

 月曜の朝。


 私は、星野桃子に戻る。

 黒木セレナは、キャバ時代の源氏名。


 セレナとして使っているスマホには、通知が山のように溜まっていた。


「ご飯行こうよ?」

「また会いたい」

「今度いつ空いてる?」


 画面をスクロールする気にもならない。

 既読をつける気にも。


 何故か、この土日は、何もする気が起きなかった。


 眠かったわけじゃない。

 疲れていたわけでもない。

 ただ、指が動かなかった。


 桃子として使っているスマホにも、通知が溜まっている。


「至急確認ください」

「SCS関連資料、修正依頼」

「立花准教授の会見について」


 こちらは、出社前には開かなければならない。


 近頃、桃子は多忙だった。

 私は、数年前に上場したエネルギー企業、

 月城エナジーに勤めている。

 

 この会社はもともとは、十年ほど前。ある資産家が立ち上げた、ロケットの会社だった。

 宇宙に夢を見る、金持ちの道楽。

 そう言われていた。

 けれど会社は、驚くほど堅実に成長した。

 月面探査。

 地質調査。

 資源分析。


 そして――


 月から、高エネルギー物質が見つかった。


 それが、Σ。

 社内では、そう呼ばれている。

 正式名称は、もっと長い。

 学術的で、無機質で、覚える気にもならない。


 私が二年前、この会社に就職した頃。

 それはまだ、半信半疑の技術だった。


 「月の石ころが、世界を救う?」

 ニュース番組は笑っていた。



 二十一の頃、私は就活が近づいていた。


 バイトをしていたキャバクラに、毎週のように通い詰める客がいた。

 有名政治家の秘書。

 酔うと、必ず同じことを言った。


「Σは本物だ。あれは国家プロジェクトだよ」


指を立てて、声を潜める。


「政府は、もう引き返せないところまで金を入れてる」


 その目は、冗談を言うときのものじゃなかった。


 私にぞっこんだった、その秘書は、ある夜、いつもより早く店に来た。

 ネクタイを少し緩めて、妙に真面目な顔をしていた。


「セレナ、今日はな、面白いものがある」


 そう言って、スマホをテーブルの上に伏せるように置いた。

 画面には、見慣れない図面。

 円形の施設。

 地下へ伸びるシャフト。

 中央に記された、Σのマーク。


「これが、発電システム――SCSだ」


 声が震えていた。


「もうな、世界中で建設が始まってる。

日本だけじゃない。アメリカも、欧州も、中東も」


 指で地図を拡大する。


「政府は本気だ。何年も前から、裏で動いてる」


 私は、グラスの氷を回した。


「ふーん。すごいですね」


 本当は、半分も聞いていなかった。

 けれど――

 彼の目だけは、忘れられない。

 あれは、嘘をつく人間の目じゃなかった。

 熱があった。

 あの夜の店内で、いちばん“熱”を持っていたのは、あの男だった。


 別に、あの秘書の言葉に動かされての今ではない。

 私は、熱に弱い女じゃない。

 ただ、就活が面倒だった。

 それだけだ。

 

 あの店には、月城エナジーの重役が通っていた。

 私は、左目を前に出して笑った。

 泣きぼくろのある右は、可愛く見せたいときに使う。

 左は、綺麗に見せる角度。

 距離を保ちたい相手には、こちらがいい。

 相手は私を気に入った。

 名刺をもらい、面接は一度で終わった。

 いわゆる、コネ入社。


 

 朝の準備をする。

 湯を沸かして、カップ春雨をつくる。


「さむっ」


 息が白い。

 電気が、チカチカと瞬く。

 蛍光灯の寿命だろうか。

 光が、少し弱い気もする。

 大家さんに言えば直してもらえるのか。

 週末にでも、聞いてみよう。


 カップに湯をそそぐ。


 桃子として家を出る、準備は既にできている。

 腕時計は六時半。

 落ち着いたデザインの、少しだけ高価な時計。この部屋は会社から遠い。

 更に最近は、早めに出社しなければならなかった。


 私が広報に配属されて二年。

 東京湾のSCS施設。

 この土日にも、稼働実験が行われた。

 いよいよ来年には、本格稼働する。


 そして今日から、さらに忙しくなることは確定していた。

 昨日、どこかの学者が会見を開いたらしい。


「Σは危険だ」と。


――私は、それを今知った。


 会社からの通知で、スマホは溢れている。


「至急対応方針を」

「メディア問い合わせ急増」

「想定Q&Aの更新を」


 あの不毛な合コンの男たちも、神銘柄が暴落すれば、さぞ悲惨だろう。

 あれだけ自信満々に語っていたのだ。


 けれど。

 私は、既に知っていた。

 仮にも広報に所属している。

 海外の有名な教授が、以前からΣの危険性を指摘していたことも。

 だから、驚きはしなかった。


――はずだった。


 スマホで資料を開く。

 K大・立花恒一 准教授(35歳)

 これが、会見をした男。


 写真が表示される。


「……えっ?」


 指が、止まる。

 この人――プロフェサーT。

 先月、六本木でやった合コンにいた男だ。

 静かで、浮いていて、

 月の話ばかりしていた。


 すぐに、セレナのスマホを開く。


 プロフェサーT。


 未読が、三件。


 スクロールする。


――月は、いつも見ている。

――君の瞳は、月よりも深い。

――また、あの夜の続きを。


「……うぁー。めっちゃポエム」


 思わず、鼻で笑う。

 なんとなく、返信した。


《会見、見ました。

また月の話、聞かせてください》


 送信。

 それだけ。


「あっ」


 カップに湯を注いでから、すでに五分以上経っていた。


「朝から嫌になっちゃう」


 フタを外そうとした、そのとき。

 スマホが鳴った。

 プロフェサーT。


 返信。


《今夜は危険だ。ラムダを手放すな。》


 箸が、止まる。


 ……ラムダ?

 なんだそれ。

 

 春雨を食べ終えた。

 そろそろ家を出ようとしたとき、

 金曜の合コンに着ていった黒のコートが、床に落ちているのが目に入る。

 今年のコレクションの新作。

 夏のボーナスが、まるごと消えた一着だ。


 そういえば、Tとの合コンのときも、このコートだった。

 同じ服は、できるだけ使わない主義。

 印象は、更新していくものだから。

 でも最近は、口座が特に寂しい。

 私は、コートを拾い上げる。

 そのとき。

 ポケットに、わずかな膨らみ。


……?


 取り出したそれは、小さなケースだった。


 指を差し入れる。

 蓋を開ける。


 黒いスポンジの中央に、ネックレス。

 細い銀のチェーン。

 ヘッドには、小さな石。

 灰白色。

 透明ではない。

 光を反射するというより、どこか吸い込んでいるような色。


 箱の内側に、小さく印字。


 λ


「何これ?」


 なんか、ダサい。

 石も地味だし、チェーンも好みじゃない。

 仕事帰りに、どこかで売ろう。

 フリマアプリは、めんどくさい。

 私は、ネックレスをケースごと鞄に入れ、家を出た。



「サイコーの出会いに乾杯ー!」


 大病院の跡取り、Kが声高にグラスを掲げる。

 個室の照明は柔らかい。

 ワインの香り。

 笑い声。


 このKが、週末は学会だったらしく、合コンは急遽、今日にずれ込んだ。


 急いで桃子を終えて、私はこの席にいる。

 急だったので、九十点で来てしまった。

 ワンピースは合格。

 メイクも悪くない。

 でも、鞄が桃子の物だ。


 ミサ、リナ、シオリも、今日は八十点。

 全体としては、及第点。


 お相手のK、E、I、Wは医者らしい。

 得点順で並べ、それぞれの病院のイニシャル。


「ごめんな、急に日程変えちゃって」

「いやいや、今年の有馬はさ――」

「セレナさん、すごく綺麗だねー」


 この男、Kはよく喋り、よく笑う。

 そして、たぶん単純だ。


「うちの病院で働きなよ。なんーもしなくていいから。はははは」


 グラスを揺らしながら、冗談めかして言う。

 Kは楽しそうだ。

 声も大きい。

 目も、ちゃんと笑っている。


 Kは顔もいい。

 金もあるだろう。

 話はつまらないが、まぁ悪くはない。


 合格。

 

 私は、常に優良物件を探していた。

 恋愛じゃない。

 投資だ。

 自分の将来は、きちんと考えている。

 二十四歳。

 美貌は、永遠じゃない。

 市場価値には、期限がある。

 だから、見極める。


「おい、河合。お前んとこの病院も、あの患者増えてるのか?」


 Wが、グラスを傾けながら言う。

 Kが肩をすくめる。


「あー……なんか、感情なくしちまったみたいな奴らだろ?」


 軽く笑う。


「いるよ。増えてる。原因はわかんねーけどな」


「精神科送り?」


「いや、脳波は正常。数値も問題なし。

ただ――反応が薄い」


 Kがワインを一口飲む。


「なんちゃらってエネルギー関連の施設勤務とか、その近辺に住んでる人が多いらしいぞ」


 私の手が、止まる。


「それって――」


 気づけば、口にしていた。


「国と、月城エナジーが進めてるプロジェクトに関係してる人ってことですか?」


テーブルの空気が、ほんの少しだけ止まる。


Kが、こちらを見る。


「えっ? セレナさんって、そういう話も興味あるの?」


 グラスを持つ手が、わずかに止まる。

 合コン開始から二時間。

 既に、Kは私に落ちていた。

 視線は、外さない。

 体も、こちらに向いている。

 私は、右で笑う。


「たまたまニュースで見ただけです。

ちょっと気になって」


 甘く、軽く。

 いつも通り。


「へー。親父が言うにはな、やっぱりあのエネルギー、危ないんじゃねーかって」


 Kは声を落とす。


「ここだけの話だぞ?」


 少し身を乗り出す。


「あのΣって物質、電気や熱を吸うらしい」


 ワインを一口。


「電気を吸うってことは、脳も電気信号で動いてるだろ?」


 テーブルの空気が、わずかに静まる。


「簡単に言えば……人の感情を吸う可能性がある、って話だ」


 冗談みたいに笑う。


「へー。本当だったら、すごく怖いですね」


 私は、右で笑う。


「そのときは、河合さんが治してくださいね?」


 声を、半音だけ柔らかくする。


「任せとけって」


 Kの鼻の下が、きれいに伸びている。


 私は笑顔を残したまま、無言で席を外した。

 個室のドアを閉め、化粧室へ向かう。

 桃子の鞄を開き、セレナのスマホを取り出す。

 プロフェサーT。

 返信しようと、指を動かした。

 ――そのときだった。

 建物の照明が落ちた。

 完全な、闇。


 どこかでグラスが割れる音。


「きゃっ――」


 誰かの悲鳴が、暗闇に反響する。


 十二月十四日、月曜日。

 二十二時四十八分。


 私はまだ、それが終末の始まりだとは知らなかった。

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