#78 読書をしてこそ読書部
少し寄り道して、駅前にあるこの里で唯一のコンビニで差し入れのアイスを購入してから蔵に戻ると、遠藤さんと栗林さんは二人で騒いで盛り上がっていた。
「だからッ!マノン姫の神話で先生の因果が殺気で天命が古文なんだってッ!」
「す、すみません。も、もう一度、さ、最初から。りょ、涼子先輩の、説明、わ、わかりづらい」ぐふ
「だーかーらッ!マノン姫の天命が古文の殺気で因果の先生が神話なのッ!」
「こ、古文の、殺気?せ、先生が、し、し、神話???さ、さらに分からなく、なった」ぐ、ぐふ
うん、マノン姫の夢の話を全て聞いている私でも、遠藤さんがなにを言いたいのかさっぱり分かりませんね。常日頃から読書を嗜み、読解力と文章力が鍛えられているはずの読書部の部長が、支離滅裂で語りが崩壊だなんて、これまで顧問として指導してきた私の自信まで崩壊しそうです。
「あの、遠藤さん?部長なんですから、落ち着いてください。栗林さんが混乱の極みですよ」
「マノン姫の話は、栗ちゃんにはあとで私がしてあげるから。先生が差し入れにアイス買ってくれたから、涼ちゃんも栗ちゃんもアイス食べて一旦落ち着きなよ」
里子さんがアイスを配ると、ようやく遠藤さんと栗林さんも落ち着いてくれて食べ始めたので、私も腰を降ろしてアイスを食べ始めた。
ちなみに、アイスはハーゲンダッツのショコラディオ一択。この濃厚な味わいは病みつきになります。
「うーん、先生みたいに物語を語るのって難しい・・・6本の鼻毛のサーガみたいな感じで語るつもりだったんだけどなぁ」
「せ、先生は、じゅ、授業で語る、ぷ、プロ」ぐふ
「私たちは物語を静かに読む側の人間だからね、先生みたいに口が達者なのは特別だよ」
「え?それって褒められてるの?ディスってませんか?」
先ほどは教師としてあれほど真剣に悩みを聞いて私なりに真剣に考えて応えたというのに、里子さんまで。今時の高校生が、こうもドライだとは。
アイスの匂いを嗅ぎつけたのかピンフが近寄ってきたので、綺麗に食べ終えて空になったカップを置くと、ピンフは待ってましたとばかりにクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。
けど、残っていないことが分かると、顔を上げて『俺の分は?』と言いたげな視線をこちらへ向けてきたので、「チョコのアイスなんて食べたら、あなたお腹壊してしまうでしょ?」と言い聞かせて、頭を撫でて慰めながら遠藤さんと栗林さんに言葉をかけた。
「マノン姫のお話よりも、作業のほうはどうなりましたか?昨日と同じように撮影をしていたんですか?」
「はい!今日もお料理の本を見つけたので、それを撮影しました。タイトルは『料理物語』なんですけど、スマホで調べたら、この本も当時のベストセラーだったんですね」
「ええ、そうですね。元禄文化よりも少し前に刊行されたんですが、単なるお料理本というよりも、主に武家での食事作法や献立に調理法などを体系的に紹介した、今で言うハウツー本ですね。恐らくですが、元禄文化への影響も大きかったのではないかと思います」
「武家のためのハウツー本で元禄文化への影響も大きいとなると、武力よりも財力が物を言う時代になって、武士でも食事作法や娯楽の嗜みを重要視するようになったということでしょうか?先生が昨日解説してくれた、文治政治の影響もありそうですね」
やはり、遠藤さんの理解力は素晴らしい。
なのに、なぜ語るとなると、先ほどみたいに支離滅裂に・・・。
「1つポイントなのが、元禄文化よりも前の書物が、なぜこの蔵で見つかったのか?ということです。『料理物語』が刊行されたのが1670年頃とされています。そして九代目当主李豊がこの蔵を建てたのは1800年頃なんです。なんだか似たような話をどこかで聞きませんでしたか?」
「同じ江戸時代でも百年以上も時期がずれていた・・・あ!先生が見つけた『雨月物語』!古典のロマン!」
「それです。今となっては事実は分かりませんけどね。恐らく、私が中学生の時に『雨月物語』を発見したのと同じように、九代目李豊の時代にも古い蔵から誰かが『料理物語』を発見して、読んでいたのではないかと思います。そう考えたほうがロマンがありますよね」
「古典って中身だけじゃなくて、それを読んでいた人や受け継いだ人にもドラマがあって、千年以上も昔の平安時代の古典文学も、きっとそんなふうに現代に伝えられてるんでしょうね」
それに気付いて読むのと知らずに読むのとでは、古典への理解や愛着も違ってきますからね。きっと遠藤さんはこの先、古典文学を楽しんで読んでくれるでしょう。
「栗林さんは、今日はどんな書物を選びましたか?」
「き、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』とか、さ、山東京伝の『忠臣水滸伝』とか、面白そう。でも、量が多くて、大変だから、う、上田秋成の『春雨物語』を、撮影、しました」ぐふふ
「栗林さんもなかなか良いところに目をつけましたね。『雨月物語』と同じようにこの作品も色々といわく付きでして、『春雨物語』は10の短編を収録しているのですが、実は初期の『春雨草紙』というタイトルだった時には15の話を収録していたというまことしやかな話もあります。さすがに『春雨草紙』はウチの蔵にはありませんでしたけど、もし見つかっていれば『雨月物語』の初版本以上の大発見でしたでしょうね」
「さ、探して、みたい」ぐふ
「それが、残念ながら、六棟の蔵は全て私が調査をし尽しているので、『春雨草紙』がウチには無いことははっきりしているんですよ」
「ざ、残念」ぐ、ぐふ
「でも『春雨物語』も『雨月物語』に負けず劣らず面白いので、ぜひ読んでみてください。実在の歴史上の人物を扱った話がいくつかありますので、歴史マニアの栗林さんならきっと気に入ると思いますよ」
「れ、歴史上の、偉人の物語・・・滾る」ぐふふ
「栗ちゃん、今日は滾るの封印したんじゃなかったの?」
「そ、そうでした。た、滾らない」ぐ、ふ
読書部には『本に囲まれた静かな環境で活字の海に浸ること』という理念がありますからね。昨日の様に興奮しすぎて鼻血を出して倒れないように、自制してもらわないといけませんよね。
「それで里子さんは、今日も蔵の建築に関する資料を探しますか?」
「いえ、蔵の建築に関しては、これ以上学べることは無いと思いますので、私も今日からは書物を選んで撮影することにします」
「そうですね。当時の職人の誇りを知れたことは、里子さんにとって最大の収穫となったでしょう。あとは読書部らしく読書を楽しむための時間も、きっと大切な学びとなりますよ」
「そうですね」
「では、そうと決まれば休憩はこの辺にして、お昼の時間まで作業を再開しましょうか」
「はーい」× 3
里子さんが普段通りに戻り、遠藤さんが支離滅裂な暴走から落ち着き、栗林さんが滾りの熱狂から冷めれば、いつもの読書部です。
結局、因果とはなんだったのだろうか。
教師の私にもよく分りませんが、学生は非現実的なことに囚われるよりも、好奇心や探求心をもっと現実的なものへ向けていくべきだと思う。
里子さんの気付きや反省を通して、私自身もそのことを学ぶことができた。
これが今回の夏合宿での、私にとっての最大の収穫かもしれませんね。
読書部の三人は、すでに作業を再開していた。
そんな三人を、ピンフが眠そうに目を細めて眺めている。
孤独の象徴だった蔵が、今は賑やかなのが、なんだか嬉しくもあり、誇らしくもある。
第十一章 終
次回から、第十二章 日常への回帰




