#55 作者からの挑戦状
「では実際に、江戸時代にはどのように文学作品が出版されたのかを、紐解いていきます」
「コピー機も印刷機もない江戸時代には、作品の複製技術は大きく2つあります。
手書きで書き写すことと、木版印刷。手書きでの書き写しは、そのままですね。原本を見ながら同じように筆で書いていく作業です。『源氏物語』のような長編作品などの写本は、想像しただけで大変な作業だっただろうと分かりますよね。
それに比べて木版印刷は、原版を作ってしまえば複製は簡単になります。そして江戸時代には、浮世絵の流行などの影響で木版印刷の技術は向上して、印刷業が確立されていました」
「なので、江戸時代には現代のような技術は無くとも、出版・印刷業界に相当するものはあったのです。書きたい欲求を抱える作家。売れる作品を印刷したい木版職人。出版や流通を担う版元と呼ばれる業者。そして、未知の物語を読みたい読者。手段は違いますが、そこには現代と似た出版背景がありました」
「ここで、皆さんにお見せしたいものがあります。カメラさん、近くに寄ってもらえますか?」
そう言いながら用意していた手袋をはめて、手元に置いていた写本の現物をジップロックから取り出して、ハンディの3カメに写せるように置いた。
「表紙に『雨月物語』とタイトルが書いてありますが、『雨月物語』の写本の現物です。実家の蔵で、中学生の時に私が見つけたものです」
写本の現物だと紹介すると、ギャラリーの理事長や学園長、そして村上教頭までがざわめき出したが、気にせずに続ける。
「この写本ですが、実は木版印刷ではありません。ページをめくって中を見ますと、和漢混淆文と呼ばれる文体でつらつらと文字が並んでいますが、全て筆で書き写されたものです。
ここまでの話を聞くと、笹錦家のご先祖のどなたかが、木版印刷で出版されたものを見ながら手書きで書き写したのかな?と考えますよね。中学生当時の私もその認識でした」
「ですが、のちに驚くべき事実が判明しました。この写本には木版印刷での写本版には無い、『雨は霽れ月朦朧の夜、窓下に編成し、以て梓氏に畀ふ。題して雨月物語と云ふ』という序文があったのです。
つまりどういうことかと説明しますと、作者が書いた原本を見て手書きで書き写した原本系写本である可能性が高く、木版印刷で出版されるよりも以前の、いわゆる初版本に相当するものだといえます。そして、原本は現存しておらず、このような初版本の現存数は非常に少ないために資料価値は高く、例えるなら、漫画家の手塚治虫先生の『火の鳥』第一話の生原稿が見つかったくらいの資料価値でしょうか。
それは言い過ぎかもしれませんね。でも、新聞に載ってもおかしくないほどの発見なのは、確かです」
ギャラリーの理事長、学園長、村上教頭、甘利先生の四人とも、口をあんぐりと開けたままの間抜けな表情が、カメラの向こうに見えた。
「すごいと思いませんか?木版印刷が主流だった江戸時代に手書きで複製された貴重な初版を、時を超えて地方の農家の蔵で中学生が見つけ、今こうして高校の古文の夏期講習で教材として使われている。これこそが古典文学のロマンなのです。
古文には敷居はありませんが、こういったロマンがいくつも繰り返されてきた歴史もまた、古典文学の魅力なのです」
ここで再びペットボトルの緑茶をひと口飲んで、講義を続ける。
「ではさっそく、先ほど紹介した序文から、読み解いていきましょう」
ホワイトボードに『春霽月朦朧之夜。窓下編成。 以畀梓氏。題曰雨月物語。』と書き、「雨は霽れ月朦朧の夜、窓下に編成し、以て梓氏に畀ふ。題して雨月物語と云ふ」と読み上げる。
「この一文からは、情緒ある情景が浮かびます。
電気や照明などない時代。春の雨上がりに、ようやく見えた月も霞んでいます。
そんな僅かな月明かりを頼りに、窓際で執筆作業をしたこの作品を「雨月物語」と名付けよう」
「難しい漢字ばかりが並んでいると、私たち現代人はためらってしまうものですが、書いてあることは著書のタイトルを決めた経緯です。難しいことなんて書いてないのですよね」
「作者は上田秋成と言いまして、相当な変わり者だったそうです。
『水滸伝』を書いた羅漢中や『源氏物語』を書いた紫式部のことを、架空の物語を書いて人々を惑わせた罪で地獄に落ちたと言いつつ、その作品のリアリティや長い時代を通して読まれ続ける作品の完成度を褒めたたえ、それに比べて自分が書いた作品はデタラメだから、自分は地獄には落ちないと、この『雨月物語』の冒頭で書いています」
「自分の小説の冒頭で「この作品はデタラメです」と書き出すなんて、偏屈ですよね。しかし、デタラメと言いつつ「面白くないから読まないほうがよい」とは、ひと言も書いていません。
私が中学生のころにこの作品を読んだときに、デタラメだと言いながらも、言外に「でも面白いから読んでみろ」という上田秋成の自信が、にじみ出ているように感じました」
「現代風に言ったらこんな感じでしょうか。
『俺の小説はフィクションで、現実にはこんな話はありえない。でも、だからこそ面白い。つべこべ言わず、読んでみろ』と、帯に書かれた宣伝文句」
ここで1カメを見つめ。ニコリと微笑む。
「現代人のみなさん。上田秋成からの挑戦、しかと受けて立とうではありませんか。『雨月物語』を読み解いて、どれほどデタラメだったのか、明らかにしてやりましょう」




