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#50 家族の息災


 一学期の終業式の前日。

 夏期講習の準備が整ったので、一学期最後の通常授業も終えて残業せずに帰宅すると、いつもなら玄関で惰眠を貪っているピンフが、落ち着かない様子で出迎えてくれた。


 土間には男物のスニーカーが一足あるので、玄徳が来ているのだろう。

 実家にいた時はピンフも玄徳に慣れていたはずですが、しばらく見ないと忘れてしまって、警戒して落ち着かないのかな。

 マンションのスペアキーを1つ実家に預けていたので、着いたら勝手に入るように伝えていましたが、ピンフのことまで気遣っていなかった。


 パンプスを脱いで上がり、ピンフを連れてリビングへ行くと、玄徳が床に大の字でイビキをかいていた。他にも、部屋の隅にダンボールが2つと米袋も2つほど置かれており、ピンフが警戒しながら近寄り、匂いを嗅いでいる。

 実家から私の住むこの街まで車なら4時間程度。さらに、これだけの荷物をマンションの7階にあるこの部屋まで運んだのだから、疲れて寝てしまったのだろう。

 封がされていないダンボールの中を覗くと、ナスやトウモロコシなどの夏野菜がたくさん入っていた。母に「真乃のところへ行くなら」と食料品を持っていくように頼まれたのかな。


 テーブルには厚みのある茶封筒があったので、仕事用のバッグをイスに置いてから封筒を手に取って中身を確認すると、玄徳に持ってくるように頼んだ『雨月物語』の写本がそれぞれジップロックに入った状態で3冊入っていた。

 目的の物を無事に受け取れたので、安堵して封筒ごとバッグにしまい、寝室へ向かうとピンフもついてきた。こんなにまとわりついてくるのは珍しい。異物の存在に落ち着かず、やはり不安なのだろう。


 部屋着に着替えて、タオルケットを持ってリビングに戻ると、まだイビキをかいて寝ている玄徳に掛けてあげて、夕飯の準備のために、洗米から始めた。

 今夜は一人ではないので、久しぶりにカレーを作ろうかな。遠藤さんがカレーの話をするから久しぶりに作りたくなりましたが、一人だと食べきるのが大変ですからね。玄徳はたくさん食べてくれるから、安心して多めに作れます。


 笹錦玄徳、今年二十歳で地元の国立大学に通う大学生。

 ウチは、長女の私と長男の玄徳の二人兄弟で、玄徳は笹錦本家の19代目になる跡取りでもある。ちなみに、現在は17代目の祖父の子龍しりょうが当主で、父の孟起もうきは18代目の跡取り。


 最後に帰省したのが今年の正月なので、弟と会うのは7カ月ぶり。

 特に変わらず、元気そうで何よりです。

 私が実家を出て好き勝手に生きてゆけるのも、跡取りの玄徳の存在が大きい。もし私が一人娘、もしくは男兄弟がいなければ、今頃、本人の意思など関係なくお見合いでもして、結婚させられる羽目になっていただろう。

 そういう事情もあって、玄徳には感謝している。

 いえ、玄徳を産んだ母に感謝するべきでしょうか。


 産まれた時は、本当に嬉しかった。小っちゃくてしわくちゃな顔で、いつも乳の甘い香りをさせて、私がだっこしてもスヤスヤと眠っていて、この世にこれほど可愛い存在がいるんだと、毎日飽きもせずに寝顔を眺めていた。

 それが今や、私よりも背丈は大きくなり、大の字になってイビキをかいて、ピンフを恐れさせる存在になるだなんて、私にヒトの生と成長を教えてくれたのは、この弟の玄徳だったと言っても過言ではない。


 肉と野菜を炒めてから煮込み始め、ルーを投入するころに玄徳が起き出した。


「おはよ。遠いところ、ありがとね」


「ん-。実家出てんのに、弟をコキ使うのマジで止めて」ふあぁぁ


「貴重な資料だから、宅配業者には頼めないのよ。おかげで助かったわ」


 あくびをしながら玄徳が食卓のイスに座ったので、グラス2つに冷たいお茶を入れて、1つを玄徳の前に出して、私も1つを持って対面に座って会話を続けた。


「お米だって、母さんが持っていけって言い出すから、朝から精米もやらされたんだぜ?」


「40キロ持ってきたの?」


「うん」


「これで3カ月は戦える」ふふふ


「腹へった。カレー、もう食べれるの?」


 匂いで夕飯がカレーだと分かったのだろう。


「まだルー入れたばかりだから、もう少し待って頂戴」


 玄徳と会話をしていると、ピンフが寄ってきて私の隣のイスにヒョイとのぼり、気怠そうに体を横たえた。私と会話をしているのを見て、玄徳への警戒を解いたのだろう。なでてあげると、ノドを鳴らしはじめた。


「みんな、元気にしてる?」


「うん。じーちゃんもばーちゃんも相変わらず。父さんは会社が忙しそうだね。そういや、母さんが『今度、真乃が生徒を連れてくる』ってなんか張り切ってたわ。高校の生徒?更科学園だっけ?」


「うん。蔵を見たいんだって」


「今時の高校生が、なぜそんなもんに興味持つ」


「読書部だからね、類友よ」


「相変わらず、天命とかマノン姫がどーのこーの言ってんじゃないの?」


「失礼ね。言ってるのは私じゃなくて、理事長と図書室の司書さんと読書部の副部長よ」


「増えてんじゃん!父さんと母さんが聞いたら喜びそう」


「そうね、私もいい加減慣れて、諦めたわ」


 普通、ウチのように歴史のある家柄なら、跡取りの長男の方が大切にされるものですが、代々のしきたりや母が見た夢の影響で、笹錦家では跡取り息子の玄徳よりも、私のほうが大切に育てられた。それこそお姫様のように。

 特に祖父は、玄徳には厳しいのに私には凄く甘く、私が学校で男子にからかわれたとか帰り道に付きまとわれたと聞くと、先祖代々伝わる家宝の槍を持って飛び出すほどだった。


「まぁ、しょうがないね。姉ちゃんはそういう宿命なんだよ。な、ピンフ?」

 

 幼少期より私を見ているので、玄徳なりに私の気苦労も理解しているのだろう。玄徳に同意を求められたピンフは、返事の代わりに尻尾を1度だけパタンとした。




 第七章 終

 次回から、第八章 伝道の拡がり

 





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