#33 理想の代償と気遣い
5月の第三週目。
一学期の中間試験が始まり、最終日の三日目に古文の試験が行われた。そんな中、次々と試験科目が終わっていくにつれ、職員室には異様な空気が漂い始めた。採点はどの教職員にとっても重労働なので、みなさん普段とは違う様子だ。
そして古文の試験を終えたばかりの今、私のデスクには2年生全180名分の答案用紙が山積みされている。
どうして私は、情景描写を回答させるような作文問題を作ってしまったのだろう。
文法問題や現代語訳問題は正解が決まっているから採点が簡単ですが、情景描写の問題は正解は1つではなく、むしろ回答の数だけ正解があってもおかしくない。なので1つ1つの作文回答を読み込んで「必要なポイント(言葉)が押さえられているか」「正しく訳せているか」「不要な情報が混同されていないか」「その他、サービス点」などなど、1つ1つ判定して加点しなくてはいけない。
グチグチ言ってても採点作業は片付かないので、まずは腹ごしらえにお弁当のおにぎりを2つ食べ終えると、さっそく赤ペンを握りしめて、採点作業を始めた。右隣の坂下先生も担当の数学の答案用紙とにらめっこしながら採点しているが、数学は回答が白黒ハッキリしているから、悩む様子を見せずにスラスラ赤ペンを走らせている。
ちなみに、左隣の体育教師は中間試験はないからなのか、職員室の異様な雰囲気に肩身が狭そうに挙動不審気味だ。
「うーうー」
私も赤ペンを走らせながら解答用紙とにらめっこしていると、無意識に声が漏れていた。
1つの回答用紙の採点にだいたい5分かかっている。現在終わっているのが3名分なので残りが177名分で×5分で885分・・・あと約15時間も採点し続けなくてはいけないのか・・・今日が金曜日で来週月曜日に採点結果を報告して答案用紙の返却を始めるので、あと三日。答案用紙は持ち出し禁止で家に持ち帰ることができないので、土日出勤確定ですか。
試験一日目の科目の先生方の中には既に採点を終えている方もいるというのに、古文は最終日でしたからこれからですよ。はぁ。
読書部の二人はこの週末から活動を始めると言ってましたが、私は顔を出すことも厳しそうですね。
「うーうー」
「さ、笹錦先生?大丈夫ですか?」
うめき声を漏らしながらも手だけは休まず動かしていると、珍しく体育教師の方から声を掛けてきた。
GW中に剣道部の見学して以来、挨拶以外は会話を交わすことも無かったので、まともに会話するのは久しぶり。
「うるさくして、すみません」
「て、テストの採点、大変そうですね」
保健体育は中間試験ありませんものね。
試験問題の作成も採点もないですものね。
私は土日出勤確定なのに、体育教師は気楽でいいですよね。
「・・・」ギロリ
思わず毒づいてしまいそうになるのを我慢しましたが、無言で恨めしい視線を送ってしまう。
「ひぃ!?」
はぁ
もう、体育教師の相手なんてしてる場合じゃないと、ため息を1つ吐いてから採点作業に戻ると、再び体育教師が声をかけてきた。
「あ、あの、採点、手伝いましょうか?」
うう
なんて、良い人なんだろう。
今だけは、聖人様に見える。
先ほどは睨んでしまって、ごめんなさい。
でも、野性の体育教師では、採点は無理なんですよね。
「お気持ちは大変ありがたいし、出来ることならお願いしたいのは山々なんですが、作文問題は1つ1つ読み込んで採点する必要がありますので、古文教員じゃないと採点は無理なんですよ。お気持ちだけありがたくいただきますね」
「そうですか・・・あ、じゃあ、コーヒー淹れてきます。少し休憩しながら頑張ってください」
「気を使わせてしまって、すみません」
「いえいえ」
戻ってきた体育教師は、コーヒーを淹れてくれた私のマグカップをデスクに置くと、袋に小分けされたどら焼きも一緒に、1つ置いてくれた。
「の、脳ミソを酷使する時は、甘い物が一番でしゅから!」
また噛んでる。
でも、ちょうど甘い物が欲しくなっていたので、ありがたい。
「ありがとうございます。おかげさまで、頑張れそうです」
「で、では、自分は剣道部に顔だしてきますッ!」
「はい。牧田先生もがんばってください」
「ハイッ!」
さて、本気出してがんばりますか。
新米が弱音吐いて甘えてばかりいては、周りに迷惑かけてしまいますからね。私だって教師のはしくれ。笹錦家の名に恥じぬ働きを見せなくては、ご先祖様に合わせる顔がありませんものね。
まだ20代前半なので、ご先祖様に会うのは何十年も先ですけど。




