#112 春はあけぼの(最終話)
午後の授業は無く、帰りのホームルームに顔を出すだけでいい。
図書室で静かに読書でもと思いましたが、一人になりたかったので思い直した。
今日は天気も良いし気分も良いので、久しぶりに本校舎の5階からのんびり景色を眺めて、時間を潰しましょうかね。
最上階である5階へ上がるとヒトは居なくて、廊下の窓を開け放った。
日差しは温かいですが、やはり風はまだ冷たい。
眼下には視界一杯に街並みが広がり、遠くの山々には、まだ白い雪化粧が残っている。
今日退院することは聞いていましたが、突然学園に来たのには驚きました。
それに、あのマッシュヘアと妙なハイテンションなんだもの。
昏睡状態が続いて、長い入院生活で髪が伸びるのは分かりますが、なぜあのヘアスタイルをチョイスしたのでしょう。死の淵に立ち、人生観でも変わったのでしょうか。それとも、熱血教師から路線変更して、ひょうきん教師として、生徒との距離を縮めようとしているのかしら。少なくとも、お洒落路線ではありませんね。
やはり、私の物差しでは測れない異物。ふふふ
あの野生のキノコ頭を思い浮かべると、思わず笑みがこぼれてしまいますが、ここなら私の他には誰もいないので、大丈夫でしょう。
頬にあたる2月の風が、顔の熱を冷ましてくれるようで、心地よい。
思っていたよりもふっくらしてましたし、無事に退院してくれて、良かった。
2年5組や剣道部の皆さんも、きっと喜んでいるでしょう。
恩に報いるために、私にできることは全てやってきた。
これで、心置きなく担任代行の職務を終えられる。
一人で景色をぼんやり眺めながら物思いにふけっていると、階下から誰かが急いで駆け上がって来る足音が聞こえた。
いまさら誰も私に向かって「サボってる!」と怒るヒトはいませんので、気にせず景色を眺めていると、その上がってきた人物が興奮気味に話しかけてきた。
「さ、笹錦先生!やっぱりここに居た!」
現れたのは、野生のキノコ頭だった。
よほど急いで階段を駆け上って来たのか、息を切らしていた。
やはり、どうしても視線が頭に向いてしまう。
「私に用事ですか?よくここに居ると分かりましたね?」
「なんか、ここだって分かったんです!5階にいるんじゃないかって!」
え、なにそれ、怖い。
野生的な感?それともストーキングスキル?
「それであの!お礼が言いたくて!」
「お礼を言うのは私のほうです。あの火災現場で助けに来てくださって、ありがとうございました」
「いや、それは自分の使命なんで!それよりも、5組の担任代行に立候補してくれたこと聞きました!病院の転院だって、笹錦先生のお母さんが手配してくれたって!本当にありがとうございます!」
担任代行も転院手配も、私や母にとっては当たり前の話。お礼を言われるようなことではなありません。
それよりも、気になることがある。
「いえ、お礼を言われるほどのことではありません。それよりも、1つ教えていただきたいのですが」
「はい!なんでも聞いてください!」
「どうして、その髪型にしたのですか?角刈りのほうが体育教師らしかったのに、今の髪型ですと、お笑い芸人にしか見えなくて」
「え!?髪型? それはその、入院中に髪が伸びてたんでお袋に切ってもらったんです。高校卒業するまでもずっとお袋に切ってもらっててこの髪型だったんですが、10年ぶりに切ってもらったら、当時と同じにされちゃって」
「そのような事情が」
謎は解けましたが、話を聞いただけなら、ご家族との心温まるハートフルエピソードなのに、目の前にキノコ頭のビジュアルを突き付けられて聞くと、面白エピソードになってしまう悲劇。
高校を卒業するまでキノコ頭だったとは。
このキノコ頭、確実に私を笑わせに来ている。
「あの!それよりも話を聞いてもらいたくて!」
静かに景色を眺めて過ごしたかったのですが、命を救ってもらった恩人ですからね。
それに、退院したばかりの人に冷たくするのは忍びありません。
本当なら、男性と二人でお話をするのは避けたいのですが、今日だけは特別ですよ。
「はい、なんでしょうか」
「子供の頃から、サイコロをふる夢を何度も見たんです。サイコロを振ると、体育教師になることが宿命だって言われて。突然こんな話を聞かされてもワケが分からないでしょうけど、自分もずっとワケがわからなくて」
またサイコロですか。
ですが、もうサイコロと聞いても驚かない。
「そういえば、あの火災現場でも、そのようなことを仰ってましたね」
「そうでしたっけ?あの時は必死だったんで、自分でもなにを言ったか憶えておらんのですが。でも、あの時、ようやく夢の意味がわかったんです。自分が体育教師になったのは、笹錦先生をお守りするためだって。それが自分の使命なんだって」
「・・・」
「昏睡状態だったあいだも長い夢を見ていたような気がして、内容は憶えてないんですけど、目が覚めた時に、一番に頭に浮かんだのは、「笹錦先生の元へ行かなくては!」っていう使命感だったんです。「こんなところで寝ている場合じゃない!」って。だからリハビリも必死に頑張って、今日も退院して真っ先に会いにきたんです」
黙って話を聞いていると、野生のキノコ頭は感極まったのか、両目から涙が溢れていた。号泣だ。
そして、野生のキノコ頭は跪くと右の掌を胸に当てて、号泣したまま真っ直ぐに私を見つめた。
「だから!これからも!笹錦先生をお守りします!自分の生涯をかけて、笹錦先生をお守りすると誓います!我が忠誠を、笹錦先生に捧げましゅ!」
「え、やめてください。普通に迷惑ですので」
お終い。




