#111 変貌する体育教師
2月の終わり。
朝夕はまだ肌寒い気候ですが、日中の日差しは温かく、中庭の梅はつぼみが開きはじめ、春の訪れを予感させていた。
更科学園では学年末試験も終わり、今年度最後の採点地獄からも無事に抜け出せた。
2年の古文科目は、全体平均が74.8点、文系が79.8点、理系が67.3点と、まずまずの結果だった。
しかし、これはあくまで試験の点数。この1年間、私は生徒たちに、古典文学の魅力を伝えたくて取り組んできた。来年度は本格的に受験勉強が始まりますが、あとは一人でも多くの生徒が、この先も古典文学を楽しんで読んでくれることを祈るばかりです。
学園祭中止撤回運動にて裏で暗躍し、その真価を発揮した読書部ですが、今は本来の文系インドア女子に戻り、図書室で静かに読書を楽しむ毎日に戻っている。
ちなみに12月の学園祭のあと、慰労会を兼ねた打ち上げを私の自宅ですることにしたのですが、読書部の三人だけでなく、学園祭期間中滞在していた母と、借りていた機材を引き取りに来てくれた玄徳、そして三田君たち6人も参加した。
どうやら読書部の三人は6人からも打ち上げのお誘いがあったらしく、だったら読書部暗躍の仕掛け人である私も一緒にということで、そのような話になったらしい。
だからといって、自室に家族以外の男性を入れるのは嫌なので、6人に関しては断ったのですが、それを横で聞いていた母からの、「あなたはいつから生徒を差別するような傲慢な人間になったのですか? 教師たるもの、生徒さんに慕われることを有難いと思い、謙虚感恩の心を忘れてはなりません」と、いつもの調子でお説教が始まってしまったので、受け入れざるを得なかった。
おかげで、修学旅行で訪れた札幌市中央卸売市場で購入し、冷凍庫にしまったままだった秘蔵の毛ガニやタラバガニが全て食い尽くされた。やはり、男子は嫌いだ。
学園祭期間中に意識を取り戻した野生の体育教師ですが、意識が戻った一報を聞いたウチの母が、「受けた恩義を忘れてはなりません。笹錦家として、今こそ大恩に報いるべきです」と言って母の実家へ相談して、年末中にはこちらの病院への転院を手配し、転院先にはプロスポーツ選手並みのリハビリ体制を整えた。
父といい母といい、仕事が早い。きっとこれも、代々受け継がれた笹錦家の家風なのでしょう。
けど私は、野生の体育教師の意識が回復してからは、お見舞いには一度も行っていない。不義理かとは思いますが、預かっている2年5組の生徒全員を無事に進級させることが私の責務の全てで、お見舞いに行く時間があるのなら、その時間を生徒のために使うべきだと考えたから、というのが建前。
実のところ、2カ月も昏睡状態で瘦せ細った体育教師を見るのが辛い、というのが本音だった。
そして、今日。その野生の体育教師が退院すると聞いていた。
当初のリハビリ計画では3月末の退院で、職場復帰は4月の新学期からの予定でしたが、お見舞いに行った他の教員や生徒たちの話では、リハビリ担当の理学療法士を驚かせるほどの驚異的な回復力と運動能力で、1カ月も退院を早めてしまった。こればかりは、さすが野生の体育教師と言わざるを得ません。
いずれにせよ、3学期も残りわずかとなって、担任代行を務めた5組だけでなく2年生は全員進級が決まり、来年度のことは次の3年生担当グループに任せて、これで私もお気楽講師に戻れますね。
などと、お昼休みに職員室でのんきなことを考えながら、今日もお弁当のおにぎりを頬張っていると、廊下から生徒たちが騒ぐ声が聞こえてきた。
男性職員の一人が注意するために廊下に出て行くと、その職員も「なにその髪型!?」「寒くないのか!?」と騒ぐ声が聞こえてきた。
ん?髪型?寒い?
カツラが飛んで、頭皮が露出でもしていたのでしょうか。
でも、村上教頭は自分のデスクにいますし、誰のことなのでしょうね。
少し気になりましたが、おにぎりを食べ終えたところで、食後に喉を潤したくて、のんきにお茶を飲んでいた。
ところが、その注意をしに行ったはずの男性職員が戻ってくると、連れてきた人を見て、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「ま、マッシュヘア!?しかも、半袖にジャージ!?」
その連れてきた人は野生の体育教師で、その姿に思わず私も立ち上がって、突っ込まずにはいられなかった。
約4カ月ぶりに学園に姿を見せた体育教師は、入院中に髪が伸びたのか、角刈りからサラサラのマッシュヘアにイメチェンしており、今日退院したばかりのはずなのに、この肌寒い中でも半袖のTシャツに水色のジャージという体育教師スタイルだ。
それにしても、キノコのようなマッシュヘアが全く似合っておらず、物凄い違和感。まるで、お笑い芸人か売れないバンドマンのようだ。
「皆さん!ご心配おかけしました!牧田泰造!無事に退院できました!」
「おぉー」パチパチパチ
「怪我する前より元気そうだなぁ」パチパチパチ
「足はもう大丈夫なのか?」パチパチパチ
無事に退院できて、私も一言くらい挨拶をしたいのですが、髪型の違和感にそれどころではない。
すると、村上教頭が野生の体育教師に話しかけた。
「今日、退院でしたよね?もう少しお休みのはずですが、今日はどうされました?」
「退院の報告です!」
あのマッシュヘア、一瞬カツラかと思いましたが地毛ですね。隣に立つ村上教頭の人工毛髪と比べても、髪質が自然です。
それに、体育教師の変わりようは髪型だけではなかった。
声が大きいのは相変わらずですが、以前なら、職員室に居ても黙って瞑想しているか居眠りばかりで、他の職員と会話をするのも稀でしたが、退院できたことが嬉しいのか、今日は妙にテンションが高く、誰とでもフレンドリーだ。
このままだと危険かもしれない。
隣の席ですからね。あのキノコ頭のハイテンションで近寄られて話しかけられでもしたら、笑わずに冷静に対処できる自信がない。
ここで笑ってしまったら、負けだ。
笹錦の人間たるもの、同じ相手に二度の敗北など許されない。
ここは一旦避難するべきですね。
そう判断した私はカーディガンを羽織ると、職員たちが野生のキノコ頭を囲んで賑やかに話しているのをよそに、こっそりと職員室を脱出した。




