#106 母とトロフィーと吉報
図書室に向かって歩いていると、着物姿の母が、渡り廊下を一人で歩いていた。
ひと目で、相当なお値段だと分かる綿薩摩を身に纏い、背筋を伸ばして歩くその姿は、人通りが多く賑やかな校内でも、異彩を放ってかなり目立っている。
知らないヒトからしてみれば、大物女優か政治家の奥様とでも思うかもしれない。常に折り目正しく気品のある母だが、今日は普段以上にオーラが凄い。
けど以前にも、このような母の姿を見たことがあった。小学生時代の授業参観だ。
その母が、なぜ更科学園に?
まさか、授業参観のつもり!?
教員の父兄が来るだなんて、聞いたことありませんよ!?
それに、学園祭期間中は、招待状が無ければ入れないはず。
私は招待状を送ってはいないし、一昨日、食材や機材を運搬してくれた玄徳も、母が来ることは一言も言っていなかった。
金色に輝くトロフィーを持ったまま固まっていると、母と目があい、キリッとした表情のまま、こちらに向かってきた。
「ようやく見つけました。探したのですよ?」
「あ、え、その、なぜお母様が、更科学園に???」
「遠藤涼子さんと更科理事長が、招待してくださったのよ」
「え?そうなのですか?」
母はそう言うと、ハンドバッグから二枚の招待状を出して見せてくれた。一枚は半券になっている。重複してしまったのでしょうね。二人が招待していたのは本当のようだ。
「あなたはスポンサーのことだけ相談しておいて、招待なんてしてくれませんからね。お二人とも真乃の性格をよくご存じだから、気を利かせてくださったのよ」
「はぁ」
「それで、図書室はどちらなのかしら?案内して頂戴」
「あ、はい」
母が更科学園に現れた事情は、分かりました。
けど、おかしいです。
私が手に持つトロフィーにひと言も触れないだなんて、ありえません。
いつもの母なら、「教師が生徒さんの前で、なにをはしゃいでいるのですか!笹錦の長女たるもの、慎ましく振舞いなさい!」と、お説教が始まるのに。
背中に冷たいものが流れるのを感じながら図書室へ案内すると、そこには村上教頭が待ち構えていた。
「お待ちしておりました、笹錦さん。この度はご足労いただきまして、ありがとうございます。理事長と学園長も呼びましたので、少々お待ちください」
「ご招待ありがとうございます。今日は真乃の母として来ておりますので、お気遣いなく」
「え!?どういうことなんです?教頭先生も母が来ることをご存知だったのですか?」
「当たり前ですよ。お父様の笹錦孟起様には多額の寄付金だけでなく、火災事故の際には帰りの飛行機を手配して頂くなど、学園にとって大変な恩ある方ですからね。今回の招待客リストの中でも、最も重要なお客様ですよ」
つまり、実際は学園としての公式な招待ですが、特別な来賓として、学園トップの理事長の名前で招待状を出していた、ということらしい。親書などと同じですね。
「なるほど。そうだったのですね。私はてっきり、授業参観のノリなのかと。
それで、どうして図書室で?理事長室なり応接室のほうが、よろしいのでは?ウチの母、一般客に混ざって、とても目立っていましたよ?」
「それは、奥様たってのご要望でして」
「遠藤さんから、『図書室で防災関連の調査内容を展示するので、ぜひ見に来てください』とお手紙を頂きましたからね」
「そのためだけに、遠路はるばるここまで来たのですか!?」
「学園からは、招待状だけでなく、旅券も同封して頂いてましたからね。本当はパパも来たがってましたが、仕事の都合がつかなくて、今日はわたくしだけで来たのですよ」
いまだトロフィーを持ったまま、母と村上教頭の三人で雑談をしていると、更科理事長と武田学園長もやってきた。
「ご無沙汰しております!その節は、大変お世話になりました!おかげさまで、生徒全員、無事に親御さんの元へ帰宅させることができました」
「お初にお目にかかります!学園長の武田と申します!この度は、遠いところをご足労いただきまして、ありがとうございます!」
学園トップの二人が、今にも敬礼でもしそうな勢いで、ビシっと直立気をつけの姿勢で挨拶をしている。
「チャーター便手配の件は、どうぞお気になさらずに。更科理事長もお元気そうですね。それと、武田学園長、初めまして。笹錦孟起の妻の五月と申します。娘の真乃がお世話になっております」
母と学園上層部が挨拶を交わしているのを見ていると、いまさらながら笹錦家の格式を思い出し、普段の自分がいかにお気楽だったかを、改めて思い知らされてしまう。
「とりあえず、立ったままなのもなんですから、座りませんか? あ、図書室では飲食禁止なので、お茶は出せませんが」
「す、すみません!気が利かず!どうぞ、お掛けください!」
「では、失礼しますね」
6人掛けのテーブルに理事長・学園長・教頭の三人と対面する形で母と私が座って雑談を続けていると、なぜか三者面談でもしている生徒の気分になってきた。
私、教師のはずなんですけどね。
ちなみに、金色に輝くトロフィーはテーブルに置きましたが、誰もトロフィーのことには触れませんが、このメンバーの面談の場では、違和感しかありません。
そうこうしていると、今度は、遠藤さんと里子さんに栗林さんもやってきた。
「お母様!ご無沙汰してます!来てくださって、ありがとうございます!」
「ご無沙汰してます。お変わりなくお元気そうで」
「ご、ごごごぶさた、してます」ぐふ
「三人とも、お元気そうですね。送ってくださった文集、とても面白く読ませていただきましたよ。それで今日は、防災についての特集を発表されると聞いて、楽しみにしてきました」
「ぜひ、見ていってください!」
母が席を立つと理事長たちも席を立ったので、貸出カウンターの横にある読書部の展示コーナーへ、遠藤さんが案内した。
実は、三人の発表内容は、私もまだ目を通していなかった。
期末試験の採点作業や職員有志のけんちん汁の出店準備などで忙しかったのもありますが、今回は読書部の三人が自発的に始めたことでしたので、私が口を挟むべきではないと思い、学園祭当日までの楽しみにしていた。
遠藤さんは、掲示している更科学園に関連する防災情報を順番に解説し、母は感心した表情で、途中質問などもしつつ、最後には理事長たちに向かって「この精度の防災マップでしたら、公式なものとして学園内で配布して、活用するべきでは?」と提案した。
すると、お調子者の理事長だけでなく学園長まで、「はい!すぐに手配し、配布いたします!」と即答していた。災害の怖さと防災知識の重要性を知ってもらうために始めた調査でしたが、その目的から考えれば、最も効果的な活用とも言える。
エスパー並みの洞察力の持ち主である母のことだから、おそらく、それを分かった上で、公式なものとして配布するように提案したのでしょう。
次に里子さんの特集の説明を始めようとしたところで、『村上教頭先生、外線電話が入っていますので、至急職員室にお戻りください』と校内放送が入り、村上教頭は「少し失礼します」と言って、席を外した。
気を取り直して里子さんが説明を始めましたが、内容は逃げ遅れた6人の男子と私へのインタビューなので、里子さんが概要だけ説明すると、母は黙って熟読を始めた。
掲示されたインタビュー記事を、表情を変えずに熟読している母の横顔を眺めていると、なんだか不思議な気持ちが湧いてきた。
あのホテル火災で、もし私が死んでいたら、母は泣いただろうか。
それとも、今のように表情を変えずに、気丈に振る舞うのだろうか。
そして、男子生徒6人も助からなかったら、更科学園はどうなっていただろうか。
おそらく、学園祭どころではなかったでしょうね。
それにあの時、野生の体育教師は、子供の頃から夢の中で体育教師になる宿命を教えられたと、まるで、天命論者のようなことを言っていた。
夢の話が本当のことなのか、それとも私を避難させるための虚言だったのかは分からない。
いまだに意識が戻らないままなので、聞きたくても、今は聞けませんからね。
そんなことをぼんやり考えながら、母が熟読しているのを眺めていると、村上教頭が慌てた様子で図書室に駆け込んできた。
「牧田先生の意識が戻ったそうです!いま、ご家族から連絡がありました!」
第十五章 終
次回から、最終章 転生者の行く先




