七不思議:夜に抜け出すベートーベン(八雲・イブ視点)
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転移直後
異界の旧校舎 音楽室(イブ視点)
出雲先輩のスマホに、『クサカミ・アヤメ』なる人物から、不審なメールと電話が来た直後、我々オカルト研究部と、文芸部顧問の深山先生が居た部室を、不自然な揺れが襲った。
私、日暮イブは、転倒しかけた所を東雲しののめ八雲やくも部長に庇われ、2人揃って暗闇の中に落ちた。
そして気がつくと、八雲部長に抱えられ、音楽室らしき見知らぬ空間に転移していた。
「ど、どうなっているのかね?……はっ、誰かが校舎裏でハニ太郎を壊したのか?それとも大時計の機関部に靴を挟んだのか?それとも……」
「部長、落ち着いてください。ウチの高校には、ハニワ土器も、時計台も、『タイチの鏡』もございません」
そもそもアレは全部小学校での物語ですし。
「状況から察するに、出雲先輩にかかってきた、あの電話の所為かと」
ついでに私は、自分の携帯端末(スマホではない、いわゆるガラホー)を取り出し、メール画面を部長に見せる。
『クサカミ・アヤメ』なる存在からのメールは、私たち全員に届いた。内容も同じ。件名は無題で、本文もただ一言、『たすけて』だけ。
ネットロア都市伝説曰く、そのメールに返信すれば異界へ拐われて殺される、無視すればメールは消えて助かる、という2択らしい。
でも出雲先輩はそれを削除して、けれどメールは再び届き、電源をオフにしても復活して、今度は電話がかかってきた。
「まったく、ゴリ押しにも程がありますわ」
「う、うむ。同感だね。しかし、『無視すれば助かる』という部分を、我が妹は破ってしまった、とも言える。『削除』してしまったんだから」
流石はオカ研部長、というべきか。八雲部長は先ほどの取り乱し様が嘘のように、冷静に状況を整理し始める。
そして、辺りの様子を一瞥し呟いた。
「しかし、学校の中に閉じ込めるとは、これまたベタな展開だね」
「音楽室、というのに、意味はあるのでしょうか?」
置かれている備品を見ると、うん十年単位で時代がズレてる印象を受ける。奥へ向かって3段階で高くなっていく教室の、後ろや両脇に並ぶ楽器類には埃が積もり、黒板は五線譜がある物と無い物を上下に入れ換えて使うタイプ。
プロジェクターや電子黒板はなく、黒板上の棚に置かれたテレビは、後ろに大きく出っ張ったブラウン管タイプ。
そして背面の壁の上方には、著名な音楽家の肖像がネームプレート付きで掲げられている。
五十音順なのか、向かって左端から時計回りに、シューベルト、ショパン、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキー、バッハ、バッヘンベル、ベートーベン(以下略)と並ぶ。
と、その顔ぶれを見た八雲部長が、ハッと何かに気づき、顔を青ざめる。
「日暮くん、僕は恐ろしいことに気づいたよ」
「な、何です?」
私にも不安が伝染し、汗ばんだ両手を握り組み、聞き返す。
「……あの肖像画たち、バッハとベートーベン以外、知らない顔だ!」
ガゴン!
ずっこけた。コントみたいに、ずっこけた。
夢水清志郎かオドレは!そのカマキリメガネ、黒く塗りつぶしてサングラスにしたろかっ!
「ボケてる場合ですか!?んなもん私だって同じだわ!」
カールされた頭髪、めっちゃ鋭い目付き。これだけで判別できるくらい特徴的な2人のインパクトが強すぎて、他の音楽家は記憶の隅に追いやられる。
と、そんなあるあるネタは置いといて。
「『クサカミ・アヤメ』は、閉じ込めている犯人を探せ、と言っていましたね。しかしどうしろと?」
「そこが一番の問題だね。そもそも、『アヤメール』は厳密には『オカルト』とは言えない、粗悪な都市伝説だ。まともな答えが在るとは思えない」
「どういうことです?」
首をかしげる私に、八雲部長はゆっくりと、順を追って語りだす。
「日暮くん、4月に入部したときに話した事、憶えているかね?」
「えっと……、オカルトとは『神秘』という意味で、日本の古い伝承については、古代の人々が残した謎解きである、でしたか?」
「そう、謎解きだ。『ヒダルガミ』は『山奥でのCO2中毒』、『大蛇伝説』は『土砂崩れ』。全てではないにしろ、おおよそのオカルトというのは、その時代の人々が自然現象を、足りない知識を空想で埋めて説明しようとした、言わば方程式の未知数xだ」
それは、この部に入った時にも、八雲部長に聞かされたことだ。
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例えば、『ヒダルガミ』。
二酸化炭素という概念の無い時代、山奥で体長不良に見舞われた者達が居た。
うっそうと茂る山奥で、眩暈や倦怠感、吐き気に襲われた。
食料も満足に無い時代、彼らにとってその症状は飢餓感、今は聞かなくなった表現でいう『ヒダルさ』だと思えたのだろう。
そして、時に死人すら出るその現象の危険性を、人々は広く警告するために、その原因と対処法を体験談から分析した。
症状が出るのは主に山奥、風も通らぬ盆地や深い森の中。
生存者達の多くは、その場より高いところに移動すると、症状が和らいだ。あるいは、飢えを覚えたのだからと、明るい開けた場所で食事を取ると、楽になれた。
そうして、『助かる方法』は見つかったが、原因は結局解らず終い。人知の及ばぬ自然の象徴、つまり『カミ』を仮に当てはめた。
人を飢えさせる『カミ』、それはきっと、自身が飢えて死んだ地縛霊だろう。だから低い盆地を漂い、上には上がれない。
ついでに、山に入るときは飢えないように、常に食料を持っておこう。
そうして『ヒダルガミ』は生まれ、伝承が残った事で、現代人は山奥で空気が淀み、二酸化炭素が溜まる現象に気づくことができた。
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「だが『アヤメール』は、これらとは違う。色々とデタラメな部分が多い。ネットでは『不審死』した少女の亡霊が犯人探しをさせると言いながら、その為に呼んだ相手を自分で殺したり、出雲への電話では、自分を『閉じ込めた』犯人を探せと言って来たり。メールを『削除』する行為が『無視』と見なされなかったり。そもそも、元ネタは20年前の文芸部誌の創作だ」
「では、『犯人を探す』という条件も……」
「何かしら、歪んだ解釈をする必要があるだろうね。で、この音楽室の話に至るわけだが……」
こうして長々と話している間も、特に変わった様子はない。
「……何も、起こりませんね」
「まぁ、古今東西、音楽室の怪異といえば、肖像画が夜動くとか、楽器が独りでに鳴るという、無害な物ばかりだが……ん?」
肖像画を眺めていた八雲部長は、ふと視線を停める。
「どうしましたか?」
「ベートーベンが、消えた」
慌てて私もそちらを向くと、バッヘンベルの隣にある額縁の中身が、白いシルエットだけに成っていた。
同時に脳裏には、深山先生に見せてもらった七不思議のひとつが浮かんだ。
『その六:夜に抜け出すベートーベン』
デデデデーーン、デ、デ、デ、デーン♪
不意に、隅に在ったピアノが消えた当人の『交響曲第5番』を奏で始めた。それも、少し音がズレた状態で……。
部長と顔を見合わせ、恐る恐るピアノへと目を向けると、消えた肖像画そっくりな男性が、険しい顔で鍵盤を叩いていた。
「で、で、で、たぁ!?」
「落ち着きたまえ!ただ演奏しているだけだ」
そう言いつつ、部長は私を支えながら、部屋の隅へと退く。
すると、頭上から何人もの声が聞こえた。
―やれやれ、また始まったか―
―いつもいつも、いい加減うんざりなのですが―
―あぁ、私もここから出られれば……―
見上げると、他の肖像画の面々も額縁の中で動いていた。
「Oh, ……chaos」
「これ、何をどうすれば?」
恐怖よりも戸惑いばかりが沸き起こり、私たち2人は、ポカンと呆けていた。
すると、肖像画達が私たちに気づいた。
―ん?ああ、また小娘が連れ込んだのか。おぅい、そこな2人。少し手伝ってくれんか?―
「手伝い、とは?」
やけにフレンドリーに接してくる肖像画に、私たちは逃げることも忘れて、話を聞いてしまう。
すると彼らを代表して、バッハの肖像が語る。
―うむ。あすこにおるベートーベンな。あれが毎晩毎晩、音の外れた演奏をするもんで、わしら迷惑しとるんよ。ちょいと行って、停めてきてくれんか?―
「と、停めるって……アレを?」
デデデテーン、テテテ、デデデデーン、テテテ♪
こうして会話を交わしている間も、我関せずと演奏を続けているベートーベンに、皆の視線が集中する。
というか、停まるの?アレ。
バッハは続ける。
―アレを停めてくれたら、『クサカミ・アヤメ』のヒントをやろう。わしら、あの小娘にも困っておるのでな―
「っ!?本当かね、いや本当ですか!?」
提示された条件に、部長は食いついた。
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音楽室内 ピアノ前
デーンデーン、デーンデデーン♪
曲が変わり、「ピアノソナタ14番(月光)」を引き始めたベートーベンの傍らに、私たちは立った。
まずは私が、トップバッターとして、声をかける。
「あの!ベートーベンさん?少し手を停めてくれませんか?」
―……、……―
こちらに目線すら向けずに、ベートーベンはしかめっ面でピアノを引き続けている。
「あーのー!ベートーベンさん?ベーートーーベーーン!?」
叫んでみたが、まったく反応がない。
すると、部長が何かに気づく。
「……っ!もしかして」
そして、一旦ピアノから離れ、黒板の脇にあった棚から、鉛筆と、裏が白紙の五線譜を数枚取り、戻ってくる。
そして、白紙の面に何かを書き始める。
『Stoppen Sie das Lied』
「ふふん、中学二年生の頃、必死に覚えたドイツ語だ!」
「あ、そうか。ベートーベンは耳が……」
偉大なる音楽家ベートーベンは、後天的に難聴を患い、ピアノの音以外はほとんど聞こえなくなったという。(夜に出歩いた際、警官の呼び止めが聞こえず、威嚇射撃でようやく気づいた、という逸話があるほどだ)
部長はそれを譜面台に掲げ、注意を引くために、一番端の鍵盤を適当に叩く。
ポポポポポポ……
―……ん?―
すると、演奏が停まり、ベートーベンが部長の顔と、紙に書いたメッセージを交互に見る。
「よし!」
部長はガッツポーズをし、満面の笑みを浮かべた。
しかしそれは、巨匠の放った一言で砕けた。
―あぁ!?すまんの!!ドイツ語はさっぱりなんじゃい!!―
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しばらくして
音楽室内(八雲視点)
ぶぁぁぁぁぁ!?恥っずかしいぃ!
たかがドイツ語ごときで、何を調子にのっていたぁ!?
バッハと普通に日本語で話していたのに、何でベートーベンにドイツ語が通じると思った!?
と、悶絶している間に、日暮くんが日本語文で、ベートーベンに演奏の中止をお願いしてくれた。
巨匠(の姿をしてるだけの七不思議の怪異)は、やはり耳が遠かったらしく(なぜそこだけリスペクトした)、自分が騒音を出していたとは気づかなかったのだ。
―いやぁっ、すまんかったのぅ!ピアノの音ならぁ、まだマシにきこえとったでなぁ!―
怒鳴るような大声で謝罪の言葉を口にするベートーベンに、バッハは優しい口調で告げた。
―まったく。わしらは所詮、しゃべる肖像画っちゅう七不思議が実体になったもの。モノホンのバッハやベートーベンに成らんでもよかよ?名前なんか、気にせんでええー
「っ!?……名前なんか、気にしなくて、良い?」
―あぁ!?何か言いよったか!?そこなべっぴんさん見たくぅ、筆談で話せや!この竹輪ヅラ野郎!―
―あ゛!?おんぬし、耳だけでなく口も悪かったんかいな!?ー
と、肖像画同士の漫才を聞いているうちに復活した僕は、バッハに見返りの件を問う。
「それで、『クサカミ・アヤメ』の情報をくれるという話はどうなったのかね?」
もはやこんな紙ペラに、敬語を使う気力は失せた。嗚呼、早く我が愛しい妹と再会したい。
―おお、すまんの。まず、あの『クサカミ・アヤメ』は元々、わしらと同じ『奥津城高校七不思議』の1つじゃった―
やっぱり。春芽くん達の予測は当たった訳だ。
……ん?待ちたまえ。『じゃった』?
バッハを見返すと、ご老体(の見た目をしたナニカ)は、頷き返した。
―わしらは、ホレこの通り。毒にも薬にも成らん、人によっては怖がりもせぬ程度の存在じゃが、『クサカミ・アヤメ』と理科室の『リカ』、図書室の『フミコ』らは、いつの頃からか、凶悪に成りよった。
特に『クサカミ・アヤメ』は、お主らのようにメールを介して連れ込んだ人間を、他のふたりに襲わせるように成った―
「どうして?」
―わからん。七不思議は皆、20年前に4人の高校生の手で創られた存在。だが、わしらと『ペンペン』、『花子』の3人は昔のままで、『クサカミ・アヤメ』ら3人だけが、10年ほど前を境に、変質してしまったのじゃ―
七不思議が、変質?それも10年前から?
大きな手がかりを得たが、同時により深い謎にぶち当たってしまった。
しかし、肖像画たちが認知しているのはここまでのようで、バッハは最後に言った。
―より詳しく知りたいなら、3階の女子トイレにおる『花子』を訪ねると良い。七不思議で最も良心的で、『クサカミ・アヤメ』が連れ込んだ人間たちを脱出させておるのも彼女じゃ―
なんと!解決方法が手に入った!?これは思わぬ収穫だった。
僕と日暮くんは、互いに手を取り合って喜んだ。
「やったね、日暮くん!出口が見つかった!」
「おいやめろ、と言いたいところですが、同感ですわ」
早速、『花子』さんなる七不思議の定番を探しに行くべく、僕たちはバッハに礼を告げる。
「ありがとう、心優しき七不思議!」
「ええ。皆さんの事、忘れません!」
―ほほほ、やはり善行は気持ちが良いのぅー
「……あの、最後に1つだけ、聞いても?」
ふと、日暮くんがバッハに尋ねた。
―何かね?―
「あの、20年前に、七不思議を創った4人って、誰なんです?」
何気なく尋ねた質問だった。だが、その答えは、僕たちに衝撃を与えた。
―『四季折々』というペンネームの4人組じゃった。東雲立夏、照山紅葉、冬原氷雨、そして深山八重―
「っ!?深山、先生が……それに、東雲って」
日暮くんが、恐る恐るこちらを向いた。その瞳を見ただけで、言いたいことは解る。
そう、東雲立夏は僕と出雲の父であり、そして冬原氷雨は、僕たちの母だ。