押されなかった/押してしまった送信ボタン
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パタパタパタパタ……
小さな礫か何かを繰り返し打ちつける音がした。
重いまぶたを持ち上げると、濃紺に染まる磨りガラスがはまった窓が並び、外側から横なぶりの雨に濡らされていた。
ああ、自分は床に寝転がっているのか、と気づく。
ー今……何時だろう?
「いぁ、……ぁんぃあうぉ?」
呟いたつもりが、乾いた喉から掠れた音が漏れただけだった。
体を動かそうとした、しかし首から下は溶けたように感覚がない。そもそも思考に霞がかかkり、動かし方が思い出せない。
ー……眠い。
一度蘇った思考は、そのまま再び沈黙してしまう。
そうして『彼女』は、雨の日の教室で息絶えた。その手にメール作成画面が表示された携帯端末を握って……
『たすけて』
打ち込まれたその4文字はしかし、どこにも送信されぬまま、端末のバッテリー切れとともに消滅した。
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「……で翌朝、その女子生徒『クサカミ・アヤメ』の死体が発見されたの。死因も判らないほどの無残な姿で、教室に散らばってたんだって」
群青の空に赤紫の雲が広がる刻限、一組の高校生カップルが、雑談交じりに家路についていた。
女子の方がネタにしているのは、近頃クラスで流行りだしていた都市伝説。
しかし初耳だった男子生徒は、女子生徒が誇張気味に語る内容に、両手をシッシと振りながら距離を取る。
「うえぇ、ちょい待ち!グロいの禁止、パスパスエンガチョ!」
その反応を見て、女子生徒は悪戯っぽい笑い声を挙げながら、男子生徒に追い付く。
「あははっ、メンゴメンゴ~。で結局、事故か事件か判らず迷宮入り。そのせいで『クサカミ・アヤメ』は成仏できずに、今も助けを求めて、誰彼構わずメールを送り続けているんだって」
スマホを手に、メールを送信するしぐさをする女子生徒。だが、男子生徒はそれに異を唱える。
「助けを求めるって、死んじまってんだから助けようがないだろ?」
「ところが、『クサカミ・アヤメ』からのメールに返信してしまうと、彼女の怨霊に拐われてムリヤリ犯人探しをさせられるんだって」
「……見つからなかったら?」
「『クサカミ・アヤメ』に殺されちゃう。だから『殺めるメール』で、『アヤメール』」
ご丁寧に空へ指で『殺』の字を書く女子生徒に、男子生徒はツッコミを入れる。
「ダジャレかいっ!……ったくくだらねぇ。そんな理由で行方不明にされてたまるかッ(You gatta mail)……ん?」
その時、男子生徒のポケットから、初期設定のままの着信音が届く。
「メール、誰だ?……はぁ、なんだこれ!?」
スマホを取り出してアプリを起動する男子生徒。そして彼は、画面を確認すると、怪訝そうに眉をひそめる。
釣られて女子生徒も、横からそれを覗き見る。
「なになnひっ、嘘ッ!?」
その途端、彼女の顔から血の気が引く。
メールのタイトルは無題で、本文は一言。
『たすけて』
そして差出人は、『Ayame-kusakami@###.ne.jp』
それは、つい今さっき話していた『アヤメール』に相違なかった。
だが、怯える女子生徒とは対照的に、男子生徒は気味の悪さを覚えながらも、フッと鼻で笑う。
「どうせ、話に便乗した釣りメールだろ?」
「で、でも、この『###.ne.jp』って、もう割り振られて無いアドレスだよ?」
「んなもん、ガラケー時代からのアドレスを使い回してるだけだろ?おおかた、暇をもて余したピール腹でインナー姿のおっさんが撒いてるんだろうさ。削除しとけば……て、待てよ?」
メールを消そうと、画面を撫でていた指が、ふととまる。
そしてニヤリと笑った男子生徒の顔を、女子生徒は彼の腕に抱き付きながら見上げる。
「ど、どうしたの?」
「これ、返信してみたら面白そうじゃね?『FryTube』で生放送しながらさっ!」
「や、やめようよ。そんな気味の悪いこと。それに、不謹慎って叩かれるよ?」
女子生徒はいさめるが、男子生徒はすがりつく彼女を振り離しながら、食い下がる。
「叩かれたらその分有名になれるじゃん!炎上上等、オバケをアバケってな!ほら、お前のスマホで生放送♪」
「もぅ!何かあったら、あんた置いて逃げるからね」
と、渋々ながら女子生徒は自分の端末を取り出すと、大手動画サイトに接続し、配信を始める。
端末のカメラの横に、記録開始を告げる赤いランプが点るのを確認すると、男子生徒は片手で目元を隠しながら、大袈裟な身ぶりで自分の端末を見せびらかす。
「ヨウっ、FryTuber!熱々に揚がってるかい?なんとオレのスマホに、最近噂の『アヤメール』が届いたんだぜ!」
すると、生放送に気づいた利用者らが、コメントを送信してくる。
<<『アヤメール』?エアメールじゃなくて?>>
<<関わった奴が行方不明って、ヤバくね?>>
<<不謹慎だ!こいつの顔と住所さらせぇ!>>
「うわぁ、やっぱり」
女子生徒は呟くが、その顔には、男子生徒と同じような笑みが浮かんでいた。
そして彼らは、没した夕日の代わりに灯った街灯の下で、禁忌を犯す。
「ほらこれ、ガラケー時代のオワコンアドレス。今からこれにぃ、返信しちゃいまーす!内容は『僕で良ければ何でも手伝います。ただし有料で』でーす!」
宣った通りの文面を入力し、男子生徒はカメラへスマホの画面を見せながら、送信ボタンをタップする。
ピコーン!
軽い電子音と共に、画面には送信を完了した旨のメッセージが表示される。
それから、数秒、数十秒と経過し……
「なーんにもおきませーん!いたずらでした~!不謹慎とか言ったヤツラざまぁ♪」
と、暗闇の中で自分達を照らす街灯の下で、男子生徒はカメラへ向かって煽る言動をとる。
撮影している女子生徒も、ふっと安心したように吐息を漏らすと、生放送を止める。
すると、コメント欄は数拍置いてから、目まぐるしく更新されていく。
いわゆる、炎上状態である。
その内容は、ほとんどが2人を誹謗中傷するものだった(時折、文面ばかりながら2人を誉めるコメントもあった)。
すると、途中からそのコメントが、同じ内容ばかりとなる。
<<ありがとう、助けてくれるのね>>
<<ありがとう、助けてくれるのね>>
<<ありがとう、助けてくれるのね>>
<<ありがとう、助けてくれるのね>>
<<ありがとう、助けてくれるのね>>
<<ありがとう、助けてくれるのね>>
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それに気づいた2人の背に、つぅと冷たい汗が流れる。
「え?なに?」
「スパムか?いやでも返信したのはオレの……げっ!?」
無意識で自分の端末を覗いた男子生徒は、驚いてソレを地面に投げ捨ててしまう。
その画面には、絶え間なくメールの着信を知らせる通知が表示されていた。
そして、タイトルは、
『ねぇ、早く来て。犯人見つけて』
『ねぇ、早く来て。犯人見つけて』
『ねぇ、早く来て。犯人見つけて』
『ねぇ、早く来て。犯人見つけて』
『ねぇ、早く来て。犯人見つけて』
『ねぇ、早く来て。犯人見つけて』
「な、なんだよ、ウィルスかよ!?バグったのかよぉ!?」
「も、もういやぁ!!逃げよう!」
自分の端末も捨てた女子生徒が、男子生徒の腕を掴んで走り出す。
明るいところ、街灯の下に長く居すぎたのか、光の円錐から抜け出すと、周りも足元も黒一色という異様な暗さに感じられた。
すると、女子生徒の背後から、彼女のよく知る声が呼び止める。
「おいっまて!俺を置いていくな!!」
「えっ?だってちゃんと手を繋、つなぎ……」
今もしっかりと感じる手の感触に、女子生徒は凍りつく。
そして、ゆっくりと背後を振り返る。
すると、離れたところで灯る光の円錐の下には、誰の姿も無かった。
「なんだ、ちゃんとついてきてるじゃん」
ほっとして、彼女は自分が掴んでいる手の主の方を向く。
だが、
「もう、脅かさないd、きゃああああ!?」
暗闇の中に、少女の悲鳴が響き渡る。
そして、光の中へ置き去りにされた、2人のスマホに、それぞれ同じタイトルのメールが届く。
『さぁ、犯人を探して。じゃないと死んじゃうよ』