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9.ジャズとの出会い(4)



「ごめんなさい。何の話でしたっけ?」


「いきなりジャズ研はハードルが高いと思うから、部員たちと一緒にジャズ喫茶に行くのはどうって提案したんだ!」


「俺はジャズ喫茶の方がハードル高いと思うけどね……。まさか、時松さんはジャズ喫茶の方がいいなんて……」


「え? は? 待ってください。ごめんなさい。私、話聞いてなくて、適当に相槌打ちました。だから、ジャズ喫茶とか、何が何だか……」


「やっぱりそうだよね? そうだと思った。奏真は無理やり話を進める天才なんだから……。ほら、ジャズ喫茶なんて誰も興味ないよ」


「だけど、弓弦ん家のジャズ喫茶に行くのが一番良くない? プロの演奏も聞けるし、本物のジャズのハーモニーが聴けるし」


 プロの演奏。本物のハーモニー。


 吹部での練習風景が脳を掠める。


 あぁ、また実力差を思い知ることになるじゃないか。


「……すみません。やっぱり、ジャズ研は無理そうです」


 愛音は知らぬ間にスカートの裾をギュッと握っていた。


 屈辱と、羞恥と、心細さと。


 トランペットを通じて感じた負の感情が心の中に渦を巻く。


 あたしだって、本当は。


 いや、あたしには無理だ。

 

 あたしの方が、ずっと誰よりも。


 いや、誰の足元にも及んでない。


 全然吹っ切れてない。心の傷が広がっていく。


「……なにか思い詰めてるならさ、やっぱり、ジャズの演奏聴いてみるべきだよ」


 愛音は顎を上げた。二ツ森先輩のくっきりとした黒目が愛音を捉える。


「なんで……そんなにあたしにこだわるんですか……。先輩、あたしの演奏聴いたことないじゃないですか。いくら葉月先輩が褒めてたとはいえ、本当はすごく下手かもしれないですよ。買い被りすぎかもしれないですよ」


 痛いほど歯を食いしばる。声が震える。二ツ森先輩の顔を上手く見れない。


 あぁ、言わなきゃよかった。いきなり取り乱して、変な風に思われたかな。


 歯が削れそうなほど強く噛み締めても、時は元に戻らない。よく知りもしない先輩たちの前で情緒不安定になるなんて最悪だ。


「トランペット、好きなんだろうなぁって思ったから」


「は?」


「だから、時松さん、トランペット好きなんだろうなって」


「どうしてそう思ったんですか」


「んー、新出の話を聞いた時もそうだし、時松さんとこうして話してる時もそうだし……」


 二ツ森先輩が目を閉じて腕を組み、喉から「んー」という音を出す。本気で何かを考えているように見える。


「……勘かな」


「へ?」


「だから、オレの勘。なんとなく、オレと同類の匂いがする。それだけ!」


「いや、意味がわからないんですけど」


 愛音が目をぱちくりとさせる。てっきり、もっと、こう……名言みたいなものを言われるとばっかり思ってた。


「時松さん、ごめんね……。コイツ、直感だけで生きてる野生児なのよ。だから、論理的思考を求めても無駄なんだよね」


「なっ、失礼な! オレだってしっかり論理的思考できます。赤点だってとったことありません」


「赤点を取らないのは当たり前なんだよ。自慢にすらならんし」


 ふっと、全身の緊張がほぐれた。顎が緩み、乾いた舌に唾液が供給される。


 変な人たち。彼らと一緒にいると調子が狂う。彼らが独特の世界観を作り出しているからだろうか。


「とにかくさ、時松さんはすごくトランペットが好きなんだってオレは思ってる。好きじゃなきゃ、トランペット吹くために、百合蘭選んでこないだろうし」


 葉月先輩が話したんだろうな。


 想像がつく。葉月先輩はおしゃべりで愉快な人だ。だから、辞めた部員である愛音の話もペラペラと二ツ森先輩に話してしまう。悪い人ではないけど、口が軽いところはあまりいただけない。


 二ツ森先輩は、あたしのこと、どこまで知ってるんだろう。


「それに、新出に褒められたって話した時、時松さん、一瞬、嬉しそうな顔したでしょ? あの顔は本当に楽器が好きな人の顔だ。だから、オレは時松さんがトランペットが好きだって確信を持っている!」


 二ツ森先輩の物言いは、ひたむきそのもので、聞いているものを怖気付かせる。でも、二ツ森先輩の言葉を聞いていると、不思議とポジティブな気持ちになってくるのだ。二ツ森の溢れ出る自信が、明るい気持ちを引き出してくれているみたいだ。力強くて、頼もしい。なんだか、打楽器っぽい。全体的なテンポを操り、心臓のように音を響かせる。存在感を出しながらも、しっかりとみんなを支えるバスドラムや、ティンパニーみたいな、そんな打楽器群みたい。


「オレはトランペットを愛する人にトランペットを吹いて欲しい。だから、上手くても下手でも関係なく、時松さんにジャズ研に入部してもらいたいんだよね」


「ちょっと待って、聞き捨てならないんだけど。俺はウッドベースは好きじゃない。それなのに、低音やってよって、中学の時に無理やり押し付けたよね?」


「まぁまぁ、それは弓弦とオレの仲に免じて許してくれよ。おじさんも弓弦がウッドベースやるって言ったら喜んで、おじさんのやつを貸してくれたじゃないか」


 放っておくと、すぐに先輩たちは自分たちの世界に入り込んでしまう。愛音は置いてけぼりをくらう。


 トランペットを愛する人に吹いてほしい……。


 頭の中で、二ツ森先輩の言葉が反復される。


 どうだろう。あたしは、トランペットが好きなんだろうか。


 そんなこと、考えたことがなかった。トランペットはかっこいいって思うし、吹いていて楽しいって思っていた。上手くなりたい、自由自在に吹けるようになりたいとも願っていたけど、今はもう好きだとか、嫌いだとか、よくわからない。


 でも、上手くなくちゃ、好きになれない気がする。だって、自分の下手な演奏を聴くのは、本当に苦しいから。


 二ツ森先輩の発言に触発されて、思考が巡る。そして、二ツ森先輩の真剣な眼。


「弓弦、邪魔すんなよ。オレは、時松さんと喋ってるんだから。時松さんには、とにかくジャズ喫茶で本物に触れてほしいんだよ、わかる?」


 二ツ森先輩の言葉は、愛音の心のジェンガのブロックをちょっとずつ抜いていく感じがした。


 トランペットが好き。本物の音色。


 好きかどうか、全然わからない。本物の音色は小学校の頃、初めて聴いたあのキラキラ光って見えた音だろう。もし、また、煌めく美しい音色を聞けたなら、何か自分の中のモヤモヤを晴らすことができるだろうか。完全にトランペットを諦められるだろうか。胸の痛みを消すことができるだろうか。


 心がゆらゆらと揺れる。


 一度だけなら、いい……かな。どうせ、プロには敵いっこないんだし。嫉妬なんてしないだろうから。それに、聴いた上で勧誘を断れば、二ツ森先輩はもう二度と教室に来ることはないだろうし。


 愛音は言い合いを続けている先輩たちの前で、仁王立ちする。愛音なりの覚悟の表れだ。


「いいですよ」


「えっ?」


「だから、ジャズ喫茶、行ってもいいです」


「……マジ?」


「マジです」


「嘘! おっしゃぁ!」


「その代わり! ジャズ喫茶に行って、結局ジャズ研に入りたくないってなったら、もう二度と勧誘しにこないでくださいよ」


「もちろん! それは大丈夫! 任せて!」


 任せてってなんだろう。別に来なきゃいいだけなんだから、任せるも何もないのにな。二ツ森先輩はやっぱり少しズレている。だけど、そこをつっこむ気はなかった。色々とめんどくさい先輩だし。


「じゃあ、コレ! オレの連絡先が書いてある紙」


 二ツ森先輩が制服のポケットから、正方形の方眼用紙を取り出して、愛音に渡す。二つに折り畳まれた紙を開けると、電話番号、メールアドレス、そして、各種SNSのIDが書かれていた。


「なんでこんなにたくさんのIDが……?」


「だってライン教えたくないかもだろ? インスタやツイッターのDMの方がいいって人もいるし」


「……なるほど」


「っていうか、いつもこんなん持ち歩いてるの? 奏真くんは怖いねぇ……」


「ちげぇし! 時松さんに何時何時連絡先を聞かれても大丈夫なように、用意してただけです!」


「うわっ……。つまり、それほど時松さんに執着してたってこと? こっわ……」


 弓弦さんは寒気を感じた時のように、自分自身の体を抱きしめ、ブルルッとする動きをした。先輩たちのやり取りは面白い。でも、いい加減、周りの視線がかなり痛くなってきた。そろそろ教室に帰ってもらいたい。


 少年少女たちが、野次馬根性丸出しでこちらをチラチラと見ていた。


「あ、あの。連絡絶対するんで、そろそろ解放してもらってもいいですかね」


「ごめん。そうだよね。ほら、奏真いくよ」


「おう。じゃ、時松さん、マジで連絡してね! 明日までに連絡くれなかったら、また押しかけるから!」


「コラ、脅迫するな」


 弓弦さんに強く促されながら、二人は階段のほうへと消えていく。二人がいなくなった瞬間、辺りが静かになったような気がする。


 人騒がせで嵐のような人たちだった……。かなり疲れた。午後の授業のためにセーブしていた体力を全て持っていかれた気がする。そういえば、弓弦さんは何者なのだろう。喋ってた内容を考えると、ジャズ研の人なんだろうけど……。


 愛音はもらった紙をスカートのポケットに入れた後、大きく深呼吸をして、教室の中へと戻る。佐和ちゃんたち三組吹部メンバーが、ソワソワと愛音の様子を伺っている。あの変わってる先輩二人組についての話を聞きたいのだろう。


 だけどごめん。今は話す気にはなれない。まだ、心の折り合いがつけれてないし、吹部メンバーにどう顔向けしていいのかわからない。上手く喋れる自信がないのだ。


 だから、話さない。


 愛音は机に突っ伏して、午後の授業の英気を養うことにした。まずは、今日の授業を乗り越えなくてはいけない。五、六時間目は体育からの地理、とかいうとても眠くなる時間割構成なのだ。


 愛音は目を閉じて、邪念を追い払う。今後のことは帰ってから考える。


 そうして、愛音はなんとか週末まで乗り切ったのだった。



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