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6.ジャズとの出会い(1)



「ねぇ、ジャズ研に入らない?」


 見知らぬ男が放課後の廊下で突然話しかけてきた。


「……はい?」


「だから、ジャズ研。興味ない?」


 男は愛音の凄みに怯みもせず、愛音の両肩を掴んだ。


 七月上旬、まだまだ雨が降る日が続く中、愛音がトランペットのない生活に慣れ始めた頃だった。帰り支度を終え、一年三組の教室を出てすぐに、見知らぬ男に声をかけられたのである。先輩の履いている学校指定の上履きの色は青色。つまり、先輩だ。


 百合蘭では、学年ごとに『学年の色』が定められていた。愛音たち一年生は赤で、二年生は青、三年生は緑という具合だ。この色は三年間ずっと変わらずに付きまとう。校章と上履きが学年ごとに違うため、どちらかを見れば学年がわかる仕様になっているのだ。色を見るだけで学年がわかるのは便利だと思うが、色々不便がある。まず第一に、ブレザーにつける校章は小さく、胸元を一度ガン見しなければ、学年がわからないということ。二つ目は、校章をつけるのはブレザーを着ている時に限られるので、夏服の時は上履きを見なければいけないこと。


 胸元を見るにしても、足元を見るにしても、一度顔から視線を外さなければいけない。その行為の無礼さたるや、極まりない。同級生や後輩ならまだいいが、先輩にそんな態度を取るなどあってはならないことなのだ。


 バッジや上履きだけじゃなく、制服の色やリボンの色を変えてくれたらいいのに、と思うけど、学年ごとに制服を変えていたらコストが嵩んでしまうから、できないのだろう。


 愛音は目の前の男の上履きを見てから、男の方へ視線を向ける。一応、失礼のないようさりげなく見たつもりだが、きっと男は学年を確認されたことに気づいているだろう。


 背はだいたい一七五センチくらいだろうか。爽やかな好青年という出立で、程よく無造作な髪の毛はワックスで軽く立てられていた。正直、第一印象はかなり悪い。好青年ではあるが、体育会系特有のグイグイくる感じの雰囲気が全身から滲み出ていたからだ。しかも、初対面なのに、明るく朗らかに臆することなく、話しかけてきた。


 この人は要注意人物だぞ!と、愛音の中の危険探知機が警鐘を鳴らしている。


 こういうタイプの人間は、吹部にもいた。「みんなでご飯行こう!」、「みんな仲間なんだから、隠し事は無しだよ!」、「ここにいるみんなは最高の仲間!」なんて、甲斐甲斐しく言ってくる。彼女らはやたらと“みんな”を強調してきて、個人を大切にしてくれないのだ。みんなは、一人一人の集合体なのに、彼女たちは一人一人を透明化する。集団でしか見ていない。


 愛音は“みんな”から外れて、斜に構えていることのほうが多かった。大人数に馴染むのが苦手だったのと、集団行動が苦手だったのだ。


 明朱花も聖奈もコミュ力が高い子達だが、グイグイのタイプが違う。二人はしっかりと個人を尊重してくれるのだ。決して、個人を“みんな”の枠組みに抑え込まない。


「よしっ、今日もみんなで頑張ろう」


 と、全体に声を鼓舞しながら、


「大丈夫? なんか最近顔が暗いけど、もしかして何かに悩んでる?」


 なんていうふうに、個人に声をかける。一致団結の大切さを知りながら、一人一人をよく見ていた。表面だけじゃない。本当の“みんな”を見ているのだ。愛音は二人のそういうところが大好きだった。


 でも、目の前の先輩は多分、そういうタイプじゃない。きっと、彼はグイグイと“みんな”を押し付けてきて、周りを振り回すタイプだ。十五年間生きてきた勘が、愛音にそう伝えてる。絶対に関わり合いたくない。


「君、吹奏楽部を辞めたんだよね? しかも、吹奏楽部でトランペットを吹いてたとか?」


 愛音の気持ちなんぞ露知らず、先輩が続ける。


「辞めましたし、吹いてましたけど……。それ、先輩に関係あります?」


 無礼な男だが、一応一つ上の先輩だ。失礼のないように敬語で対応する。


「ありあり! 大アリなんだよ! あ、そういえば、自己紹介をしていなかったね。オレの名前は二ツ森(ふたつもり)奏真(そうま)。ジャズ研究所部で部長やってます」


「は、はぁ……」


「君、この学校にジャズ研があるって知ってた?」


「……いえ。存じておりませんが」


「だよね! そこが問題なんだ。オレたちジャズ研は部員数たった四人の弱小部活! 去年、大手を振るってジャズ研を立ち上げたのはいいものの、今年の入部生は一人だわ、ジャズ研創設の同志が三人退部するわで、結局たった四人しか部員が残らなかった……。部活存続には五人の部員が必要なのにもかかわらず……。しかも、ジャズで重宝するトランペッターも辞めてしまった……」


 寂しそうな顔をしたかと思えば、バッと両手を大きく広げた。演劇調だ。愛音は不審者を見るような目つきで男を見る。


「そこで、オレは考えた! 直接、ジャズに興味を持ちそうな人たちに直談判すればいいってことに気がついたんだ!」


「それで、あたしに声をかけた……と」


「その通り! 君は元吹奏楽部で、トランペッター。ジャズにもトランペットは必須! ……これって運命だと思わない?」


「思いません。残念ですけど他を当たってください」


 ピシャリと言い切った言葉は、先輩を撥ねのけた……はずだった。先輩はスマイルを絶やさずに、愛音の前に立ち塞がったままだ。


「いや、絶対、君にジャズはピッタリだと思うんだ」


 話を聞かない男になんだか無茶苦茶腹が立ってきた。愛音は肩にかかったスクールバッグをグイッと持ち直す。それから、早口で、


「ピッタリじゃないです。ジャズなんて興味ありません。それじゃ、あたし、急いでるんで、帰りますね」


 と、言った後、男の前を縫うように歩いた。


「わ、時松さん、まって! せめて部室を見に来るだけでも! それもハードル高いなら、ジャズの音源を聴くだけでも!」


「結構です!」


「オレ、諦めないからね! また勧誘に来るからねー!」


 もう何も答えなかった。別に無視したくて無視したわけじゃない。これ以上何かを答えてしまったら、あの男がもっと調子に乗りそうな気がしたのだ。


 愛音はズンズンと歩くスピードを上げる。


 ジャズなんて微塵も興味がなかった。ビッグバンド編成のジャズ、いわゆる、スウィングジャズはよく知っている。吹部で吹くことがあるからだ。『シング・シング・シング』、『イン・ザ・ムード』なんかはスウィングジャズの有名な曲の一つだ。吹部のジャズを聴くのも、吹部でジャズを吹くのも、好きだ。だけど、少人数で演奏するジャズにはまるで興味がなかった。


 だって……メロディがしっとりしすぎてて、眠くならない?


 少人数でのジャズの演奏は、おしゃれで気取っているイメージが先行してしまい、どうも近寄りがたい。よく言えば、大人な雰囲気、悪く言えば、初心者お断りな雰囲気があると言ったらいいのか……。とにかく、おしゃれなカフェやホテルのラウンジなどで流れていて、楽しさには欠けるという印象があるのだ。


 だから、ジャズ研に入部するつもりもないし、見学にだって行くつもりもない。


 それに、そもそも百合蘭にジャズ研があることがおかしいのだ。だって、百合蘭といえば、音楽。百合蘭といえば、吹奏楽部。そんな中で、わざわざ吹部に入らずに、ジャズ研に入る人の気がしれない。ギターやベースを弾きたい、吹部では奏でることのないロックを演奏したいと願い、軽音楽部に入るのはわかる。歌を歌いたいと願い、コーラス部に入るのもわかる。


 でも、ジャズ研? なんで?


 ジャズなら吹部でスウィングジャズをすればいい。しかも、部員数が定員に満たない数しかいないときた。それなら、趣味でジャズをやってればいい。部活にしてわざわざ部員を集める必要なんてない。


 もしかして、吹部で選抜になれない落ちこぼれの集まりなんじゃないのか。


 ジャズに魅力を感じない愛音は、邪推してしまう。


 ジャズ研に入りたくない理由にはもう一つあった。トランペットは二度と吹かないと心に強く決めたからだ。


 百パーセントあり得ないが、仮に。仮に、たった四人しかいないトランペッター不在のジャズ研に入部した場合、確実に愛音はトランペットを吹かなくてはいけなくなってしまう。トランペットがソロで演奏するシーンだってあるだろう。そうなれば、愛音のトランペットの下手くそさが露呈されてしまう。才能がないのがバレてしまう。音が硬いのが顕になってしまう。それだけは絶対に避けたかった。


 男が背後でブンブンと手を振っている気配を感じる。愛音は振り返らない。スクールバッグの持ち手を両手でギュッと握り、黙って廊下を歩き続ける。


 まさか、この日、ハッキリと拒絶しなかったせいで、毎日押しかけられるとはおもわなかった。しかも、放課後じゃなく、昼休みに押しかけてくるようになったのだ。この男のタフさたるや、愛音の想像以上だった。



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