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34.輝く未来を(3)


 

 三つ目は、聖奈に関することだ。


 聖奈がジャズに興味を示したのだ。


 聖奈と話したのは以前と同じ、学校までの地獄の坂道前の道だった。


 今日はかのん先輩のご家族の事情で、かのん先輩のが使えなかったため、朝練がお休みだった。だから、いつもよりゆっくりと家を出たその日、バッタリと聖奈とあったのである。


 夏の日、学校前の坂は地獄だ。朝だというのに、日がカンカンに照って、この坂を登る生徒たちを容赦なく痛めつける。


 汗でインナーが肌に張り付く。駅からこの地獄の坂までの道も緩やかな傾斜が続いているのだ。この坂に辿り着くまでに、だいぶ体力を使ってしまう。


 学生は皆、一度、急勾配を前に足を止めて、一息つく。水分補給をしたり、坂への覚悟を決めたり……。愛音の周りにいる学生の大半がそうしていた。愛音もリュック(百合蘭に指定のスクールバッグはなかったため、自前の大きい真っ黒なリュックだ)からスポーツドリンクを取り出し、口に含んだとき、ブラウスをぱたぱたと仰ぎながら坂へ差し掛かる聖奈が目に入ったのだ。


「聖奈!」


 口に入っていた飲み物を飲み込み、叫んだ。思ったよりも大きな声だった。


「わっ、愛音じゃーん! めっちゃ久々!」


 聖奈が駆け寄ってくる。さらさらの美しい髪を頭の高いところで一つに結った美少女が愛音に微笑みかける。


 相変わらず、可愛い。そして、その煌めく漆黒の髪が羨ましい。


 ジャズ研で美男美女に囲まれ、美形に慣れてきた愛音でも、聖奈の凛とした瞳に見つめられるとどきりと胸が弾んでしまう。


「久々、とか言いつつ、愛音のことは朝、よく見かけてたんだけどね」


 聖奈が背中をポンッと叩く。そして、愛音と聖奈は話しながら、地獄の坂に足を踏み出した。


「え、そうなの? 声かけてくれればよかったのに」


「いやぁ……。なんかいつも先輩たちと一緒にいるから声掛け辛くて」


 あっ、と声を漏らす。そういえば、そうだった。最近は朝練が終わったら、みんなで一緒に登校をしているんだった。そりゃ、聖奈が声をかけられないはずだ。


「最近、すごく楽しそうだね。見かけるたびにさ、愛音顔がキラキラ輝いてて、あー毎日が充実してるんだろうなって、思ったんだ」


「うん。それなりに楽しいよ」


「だよね。吹部にいた時もよりもイキイキしてる」


 聖奈が前を見つめたまま、笑う。


「愛音はジャズ研に入ったんだっけ?」


「うん。そう。そこで、トランペット吹いてるんだ」


「愛音、いつもジャズ研の人たちと一緒にいるよね?」


「毎日、朝練してるからね」


「そんなに忙しいんだ。大会とかがあるの?」


「ないない。大会やコンテストもないような弱小の部活だもん。でも、二ツ森先輩っていう部長が『ジャズを日本中に広める』とか、わけのわからない目標掲げててさ、地域活動とかを今後増やしていく予定なの。それで勝手に忙しくされてるって感じ」


「ふーん、そうなんだ……」


 しばらくの間、と言っても五秒にも満たない間、聖奈は黙っていた。それから、横目で愛音の瞳を捉える。横から見ると長いまつ毛が際立っていた。


「わたし、愛音たちの演奏聴きたい。地域活動をするんだよね? どこで演奏会するの?」


「えっ? 聖奈、ジャズに興味があるの?」


 思わず聞き返してしまった。聖奈はずっとずっと音楽から距離を取っていたのだ。今まで、楽器の音も聞きたくないといった様子だったのに……。


 聖奈がひょいと肩をすくめた。ちょっと芝居かがっている。


「実を言うと、ジャズにはそんなに、興味がないんだ。ただ……」


「ただ?」


「愛音がすごく楽しそうにしてるから。トランペット吹くのがあんなに苦しそうだったのに、今もトランペットをやってるって聞いて、びっくりしたの。……もうトランペットを吹くのは苦しくないの?」


 愛音は吹部で、どんな顔つきでトランペットを吹いていたのだろう。きっと、すごく、苦痛で仕方ないって顔をしていたんだろうな。


 胸の中がざわつく。


 今は、どうだろう。


 トランペットを吹くのが苦しくないだろうか。


 自信と不安と好きと緊張と、間違える恐怖と自由に羽ばたく楽しさとがない交ぜになり、複雑な気持ちになる。コロコロと感情が変わる。それが面白いと思う。下手だとか、上手くできないとか、下手な演奏に価値がないとか、そんなことがちっぽけになるくらい、今が楽しい。


 技術面でも、精神面でも、肉体面でも、課題は山のようにある。奥谷さんや久島先輩、律斗から注意を受けることもたくさんある。


 それでも、ジャズ研のみんなに受け入れられて、ジャズ研のみんなの音の中に溶け込む感覚が愛音は好きになっていたのだ。


 いつかキラキラ輝く自由なステージに立つのが、愛音の夢になっていたのだ。


 自由で気ままで明るくて鋭くて輝いて……そんな風にトランペットを吹きたい。上手くなりたい。


 将来のことなどわからない。才能は、ないのかもしれない。それでも吹きたい。これからもトランペットを、ずっと。


 だから、愛音は——


「うん。苦しくないよ。すごく楽しい」


 太陽に負けないくらい眩しい笑顔でにっこりと笑った。


「そっか。……そっかぁ。苦しくないんだ。そっかぁ、いいなぁ……」


 聖奈がため息混じりに苦笑する。


 いいなって、どういう意味なのだろう。聖奈もまだ音楽に、フルートに、未練があるのだろうか。本当は吹きたいのに、愛音のように自分の気持ちに蓋をしているのだろうか。


 聖奈の表情からはなにも汲み取れない。


「やっぱり、愛音の演奏、聴きたいわ。ねぇ、どこで演奏するの?」


「直近だと文化祭。金曜日と日曜日の十四時から講堂で演奏する予定」


「文化祭なら絶対行けるじゃん! うっわぁ、嬉しいな。めっちゃ楽しみにしてる」


 先ほどとは打って変わり、満面の笑みが浮かぶ。久しぶりの聖奈のその顔に、愛音は嬉しくなった。


「うんっ、絶対来て! 絶対!」


 愛音も笑う。


「絶対行くから!」


 聖奈のことはわからない。でも、もしかしたら。もしかしたら、ジャズ研の演奏を聴いて、聖奈の心も変えられるかもしれない。聖奈もまた、ステージに立つ人々に魅せられ、音楽の道へと戻るかもしれない。


 愛音レベルの実力でこんなことを考えるなんて、アマちゃんで烏滸がましいかもしれないけれど、それでも、考えずにはいられなかった。


 ひたすら坂道を登っていく。愛音と聖奈の鼻と額に汗が光った。



 

 九月の最終週、日曜日。


 本校舎から中庭を通ってたどり着く講堂は、様々な演目(百合蘭高等学院はオペラ歌手やオーケストラ、はたまた、能やミュージカル、有名人の講演など、さまざまな分野の人々を定期的に招待する)ができるように音響効果、舞台照明、防音設備が全て完璧に備わっているらしい。とても恵まれた環境にいると、愛音は改めて心から思った。


「うわぁ、マジで緊張するな」


 二ツ森先輩が胸元をさすりながら言う。


「へぇ、二ツ森くんでも緊張することってあるんだ」


「めちゃくちゃあるよ! 平柳はオレをなんだと思ってるんだ」


「鈍感ジャズオタク」


「ひどっ!」


「はいはい。二人とも、静かに。ほら、次の演目が始まるよ」


 久島先輩が二人を宥める。いつもの光景、いつものやりとり。いつも通りというのはすごい。緊張していた心がふわりと解けていく。


 正直、愛音も緊張していた。コンクールじゃない。大会じゃない。それでも、ドキドキする。だって、愛音の実力が他人に露わになるのだ。トランペットは愛音一人だけ。音の誤魔化しは効かない。


 なにより、今日は文化祭、一般公開日で、金曜日のスカスカな客席とは訳が違う。お母さんもお父さんも、明朱花も聖奈も、全員聴きに来ているのだ。意外にもそれがけっこうなプレッシャーになっている。


「お、吹部の演奏始まるみたいだよ」


 律斗の声が聞こえた。


 ステージにはたくさんの吹部生が並んでいる。その様子はまさに圧巻だ。さすが、吹奏楽の名門百合蘭高等学院だ。皆が堂々とし、指揮者がタクトを上げた瞬間、空気が変わった。観客の息遣いが変わった。皆が吹奏楽部に惹きつけられているのが、舞台袖にいてもわかる。正直、すごくかっこいい。


 あたしも、あの一員だったら。


 なんて未練がひょこりと顔を出す。


 だけど、あそこはもう愛音の居場所じゃない。


 愛音は吹奏楽部という枠組みからこぼれ落ちた。だけど、しっかりと見つけたよ。


 あたしの居場所は、ここだ。


 オレンジ色にチカチカと光るステージ。愛音のステージ。やっとここまで来たのだ。


 出来ないこともたくさんある。だけど、出来るようになったこともたくさんある。性格も音も全然違うみんなだからこそ、出来る演奏がある。そして、これから、出来るようになることも。


「よっし! いつも通り楽しく演奏しよう」


 二ツ森先輩が笑う。愛音たち全員が笑って返事をした。




 緞帳が上がった。真っ白なライトが上方から愛音を照らす。眩しい。眩しくて、観客の顔がなにも見えない。


 今、愛音は光の中にいた。目が眩むほど煌めく光の中に。


 ワン、ツー、ワンツー、スリー。


 律斗のドラムスティックが叩かれる。


 愛音の心が、トランペットの羽が、広がる。


 ふぅ。


 小さく息を吐いた。


 目の前には大好きなトランペット。そして、いつの間にか大切になった仲間たち。


 今はただ、この瞬間の演奏を、楽しもう。


 愛音はトランペットを愛おしげに見つめて、マウスピースに口を寄せた。


最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

才能や努力に向き合う少年少女たちのお話を描くのが好きなので、今回このような形で完結できて、ほっとしております。

愛音たちの物語が、少しでも読者の皆様の心に残ったら、とても嬉しいです。


皆様のコメントやブックマーク、いつも励みになっております。

皆様の反応が次の作品づくりの大きな励みになりますので、もしよろしければ、コメントやリアクション、ブックマークなどで感想をよろしくお願いします!

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